《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記 1999年10月 >>前月へ >>次月へ
1999年10月1日

仔猫たちの目が開いた。ノミはいないかと抱き上げると、大げさに騒ぐ。するとゴマも心配になるらしく、戻して欲しそうにする。

ゴマの状態も安定してきて、よくお喋りする。ただし、私達の留守中はエサも食べず、トイレも使わない。エサだけでなく、いかに精神的なものが大切かよく判る。

帰宅すると、しばらく傍にいてやる。ミュウたちには申し訳ないが、当分は仕方ない。幸い、夫が全面的に協力してくれるので、手分けして世話をする。

ゴマは、既に私と夫の双方にお愛想する事を身につけた。ミュウは戦々恐々という感じで、ダイニングのドアの前に貼り付いて、あっちで何事が起こっているのだろうと神経を集中させている。

このミュウさえゴマ達を受け入れてくれれば、アインとジーコは単純だからどうとでもなるだろう。アインとジーコは、他の状況などお構いなしだから。

ミュウのように頭が良いのも、困る場合が多い。

1999年10月4日

仔猫の里親探しの仲介をしている女性からメールを頂く。きちんとした里親希望の方を紹介して頂いた。

実際に母猫から離せるのはまだ2ヶ月も先だし、今回のお話が決まるとも限らないのだが、それでも随分勇気づけられる。

先ずは、インターネットをやらない里親希望の方の為に、プリントした写真をお送りする約束をする。



野良猫や野生動物を大切に思っていて行動しようとしている人たちは、私が知らなかったというだけで、たくさん存在しているのだ。そういうネットワークづくりが可能になるというだけでも、インターネットの可能性は素晴らしい。



夜が冷えてきた。これから冬になってくると、家の猫たちは良いとしても、野良達は可哀想。カロリーの高いエサに切り替えてやろう。



それにしても野良猫問題には身内の精神的迫害もあって、ほとほと悲しくなる。誰に迷惑掛けるじゃなし、手を貸してくれる訳でもないのに、余計な事は言わないで貰いたい。ハッキリは言いませんけどね、あまりしつこいと怒りますよ、私だって。

1999年10月6日

今日、里親募集の投稿メールが届いた。初めて届いた投稿でもあるし、学生でありながらこういう事のやれる人柄に感銘した。大切に扱いたい。励まし合って、猫にも人間にも幸せな結果を出せるよう、全力を尽くしたい。



駐車場に残ったアカは、最初兄弟とおぼしきクロと一緒だった。

クロもアカそっくりの太くて長い尻尾に、人なつこい性格。クロは少し前、私と同じ駐車場を借りている医者のハヤカワ先生に、自宅へ連れて行って貰えた。

そしてアカとゴマが仲良く毎日現れていたが、ゴマは私が保護する結果となり、遂にアカはひとりぼっちだ。毎日寂しそうで、他の野良にも怯えているし、エサよりも愛情を求めているように見えて仕方ない。

しばし相手をしてからでないと食べないし、付き添っていてやらないと安心して食べられない様子だ。

日に日に情が移り、置いて帰るのが辛くなるばかり。キリがないと思う反面、ここまで縁のある子を放っては置けないという気持ちも強まる。

どうしたら良いのだろう。

1999年10月7日

仕事の仲間が、駐車場のアカを引き取ってくれる決心をしてくれた。もともと動物に優しい人なのだが、急転直下こんな嬉しい結果となって、まだ信じられない気持ちだ。

家の猫は減らないが、とりあえず一番の気掛かりが解決する訳だ。



3連休を前に、明日の夜アカを捕まえて(難しい事じゃない、まいにち抱っこしているのだから)獣医に連れて行く。その日に去勢手術をして貰い、翌日迎えに行ってそのまま彼女の家に送り届ける予定。

あまりのうれしさに、仕事中夫の会社に電話してしまう。本当に良かった。

里親募集の学生は、かれこれ2ヶ月近く世話をしている様子だ。早くうちの仔猫も含め、里親を捜したい。私はいずれ家が自由に使えるようになったら、もっとたくさんを引き受けたい。

1999年10月8日

一日中、アカの事が気掛かり。

朝は、いつものように甘えてからご飯を食べた。古株の野良に追い払われて、気の弱そうな眼をしている。耳に真新しい咬み傷があり、血が滲んでいた。あと少しの辛抱だからね、と言い聞かせる。



仕事が忙しくて発狂しそうになりながら、昼休みにお弁当を5分でかっ込んで駐車場に行ってみる。会社の若い男の子に頼んで一緒に行って貰った。もし捕まえられたら、昼間のうちに獣医さんに連れて行こうと思って。その際の運転手に頼んだのだが、あいにくアカはいなかった。

駐車場は珍しく騒がしくて、人通りも多かったし5才ほどの男の子が乱暴に物を投げ、あたりを払うかのように大きな音をたてて遊んでいた。このくそガキ・・・と心の中でののしる。



夜、残業を終えて駐車場に駆けつける。待ち合わせていた夫が既に来ていて、アカは彼の傘にじゃれついていた。今夜は手術だから可哀想だけどエサは与えず、私が抱っこして後ろのシートに乗り込む。

用意してあったケージに入れたが、わずかな距離なのに怖いらしく、次第に興奮してきて、ケージの隙間から手を伸ばし私を引っ掻いた。こんな事は初めてだった。

ケージから出してやると、抱っこされたまま不安そうに鳴き続けた。



動物病院に預け、明日迎えに来るからね・・・と言って帰宅する。ホッとして、一気に疲れが出る。帰りはクルマに酔った。



帰宅すると、4匹の仔猫がゴマのおっぱいにしがみついていた。

1999年10月9日

朝起きると、天気が良い。こんな天気で勿体ないので、大物の洗濯までしてから家を出る。先ずアカの為に、トイレ用品一式とフード、首輪を買う。そして病院にお迎えに行く。

アカはおとなしく抱かれてクルマに乗ったが、道中が長かったので不安そうに外を見て鳴いたり、抱かれて甘えたり、そのうち眠ってしまった。



新しいおうちでは、部屋の隅のベッドの横に手作りのハウスが用意されてあった。すぐに自分で入ったので、一同大喜び。

トイレも一発で覚えて、すぐにオシッコをした。やっぱりお利口だ、アカは。ドライフードを里親の手から食べ、水も飲み、お腹を見せてゴロゴロする。これなら、もう大丈夫。名残惜しいけど、さよならして帰る。(その前に、里親さんのお母さんにお赤飯をはじめ、たっぷりの昼食をご馳走になる。ビールまで!)



気が抜けて、くたくた。里親探しの活動はまだ始まったばかりなのだ。しっかりしなくちゃ。頑張って働いて、節約して、お金は野良達の為に使おう。少し自分たちの趣味にも使うけど。

1999年10月12日

アカのその後が気になって仕方ない。暖かい家庭に優しく迎えられたのだが、どうやら人間用のベッドでウンコとオシッコをしてしまったらしい。ちゃんとトイレを覚えたくせに。

きっと何か緊張する事があったのだと思うが、いつまでも自分の猫ではないのだから(野良だったのだし)、もう里親を信頼しておまかせすれば良いのは解かっていても、アカの不始末は私の不始末・・・という気になってしまうのも確かなのだ。


それでも外飼いする事にはせず、根気よく接してくれて、「もう心配ないと思います」とのメールを貰った。やっとひと安心。心配させやがって、アカのバカ。



ゴマは金の首輪をしてやったら、まるで貴婦人のよう。迫力のある顔の柄のせいか、野良でいる時はやたらと小汚く見えたのだが、なかなかの美人だ。しなやかで、美しい。神様は、猫を何と美しい生き物に造形したのだろう。

あとは、いつ家の3匹と一緒にさせるかだが、仔猫を守ろうとしている間は、とても無理だろう。日に日にお喋りになっていくゴマ・・・もう私をママと思ってくれているかな。

1999年10月15日

毎日、アカの様子を聞いてはハラハラしたり、安心したり。

総じていい子にしている様子だ。何よりも家族の人たちに可愛がられているので、アカは本当に幸せだ。

あまり大きな声では言えないのだが、猫には「当たり猫」と「はずれ猫」があると思う。アカは「大当たり猫」だと思っている。少しずつ馴らしたとは言え、あれほど無防備で可愛い奴も少ない。家の猫達と長年かかって築き上げた関係を、アカとはほんの数ヶ月間で持てたのだ。



ゴマは仔猫をあまり触られたくないようで、むやみに抱き上げたりするのは控えている。そうしないと、本棚の隙間に仔猫を連れていって隠してしまうのだ。

部屋のあちこちに目張りをして、隠れ家となる小屋も造ってやった。本拠地のベンチの下は、バスタオルで暖簾をかけて見えないようにした。

ようやく安心したのか、運び出さなくなった。信用ないなあ・・・。

そのくせ自分はすぐに出てきて(授乳中でも)甘えた声を出す。自分の仔猫としての本能と、母親としての本能とが代わる代わるに出てきているようだ。



アメショー3匹は少し悪い子で(仕方ない。私が忙し過ぎるのだ)、今日は帰宅するとトイレの外にオシッコが飛び出して、床を濡らしていた。ベッドの毛布の上にはゲロッパ。帰るなり大洗濯と掃除。

これから先、どうなるのだろう。だけど幸せなのだ。

1999年10月16日

昨日から急に肌寒くなる。仔猫たちは4匹で団子状態になって眠っている。ゴマも涼しい場所に出て来て休息する事がなくなった。

だが、元々のアメショー軍団は過保護に純粋培養で育てた報いか、寒くなった途端に下痢。毎日毎日、起きるや否や、帰宅するや否や、ご飯をあげるや否や・・・ウンコとの闘いである。これが、猫達も私達も生きている証だろう。



貴堂直との往復書簡にて、私の夫が「やさしい男」であろうと話題になっているという事を聞く。それは勿論である。私が私らしくいられるようにあらゆる助力を惜しまない優しさ、ハードなスケジュールの中でも猫たちや私を最優先に考えてくれる優しさ、そして私を「女に生まれて良かった。ラッキー!」と思わせてくれる優しさ。

但し、優しくある為に、どれほど夫が強い意志と許容量とを持っているか、その強さは私しか知らない。

こういう夫を得た(資質も素地もあったけれど、私の調教の腕も良かったのだ)お陰で、余所の男が子供に見えて仕方ないという不幸のおまけつき。

1999年10月19日

千葉の大学生の元の里親募集していた5匹のうち2匹が、無事里子に行ったとのメールが入った。

随分と大きくなって来ているはずだから心配していたのだが、本当によかった。まだ事例は少ないが、始めてよかったとしみじみ感じている。



うちの仔猫たちも、随分しっかりして来た。ゴマがハウスから出て来ると、すぐついて出て来る。ハウスと言っても、ベンチの下の寝床だけでなく、ダンボール箱を加工して小屋を作ってやったのだ。

入ってくれるかどうか心配したが、いつの間にか4匹ともおさまっていた。中には、実家の母の昔のショールを敷いてやった。これは、アインが出産した時に使った想い出の敷物なのだ。ジーコたちもこの上でおっぱいを吸い、眠った。



三毛が特に元気が良い。アカにそっくりの茶トラは、性格までアカに似ているのか、おとなしい。キジは独りが好き。

全部手元に残したい位だが、そうも行かない。今ですら、夫も私も寝不足で死にそうなのだ。仔猫が育って8匹になったら、どちらかが仕事を辞めて家に居なくては無理だ。

どちらが・・・・・?そりゃ私に決まっているが、私も今は辞められない。エサやりと保護を続け、困っている人を助ける為には、ある程度資金も必要だし・・・。



仕事が忙しくて、帰宅するともうゾンビ状態だから、日々の更新は結構大変だ。だけど始めたからには責任もあるし、嬉しいニュースはすぐに反映させたい。時間が欲しい。

1999年10月21日

駐車場で、もう出迎えてくれるアカもゴマもいない。

・・・馬鹿な事を言っている。ゴマはちゃんと家に居るし、アカも良いお家でぬくぬくしているのだ。

なのにこの寂しさは、どうした事だろう?ずっとアカや他の猫達にエサを与えて世話をしているつもりだったが、与えられていたのはこっちなのだ。喜びを与えられていたのだ。そんな事に今更気付くなんて、馬鹿な私。



時間が足らず、充分な更新が多出来ない。焦らず、続ける事が肝要。

1999年10月22日

三毛と小アカ

Oct. 22, 1999

ゴマの仔猫たちが随分大きくなって、離乳食やトイレの心配をしているのだが、まだ粉ミルクも離乳食も舐めてくれない。おっぱいだけで大丈夫なのか、アインの時はどうだったのか思い出せない。

アインの子供は3匹だけだった事、あの当時は今以上に仕事が忙しかった事もあり、あまり手を掛けてやれなかったし、記録も付けていなかったのだ。後悔しても遅い。



案の定、仔猫が敷物の上でオシッコしていた事に、今朝気付く。みんな風邪気味でもあるようだ。

家に居る時間が少ない上、猫達の部屋を元々の家猫たちとゴマ母子とに分けて行ったり来たり・・・。

過保護で甘ったれで寂しがりのアメショー家族とは一緒に寝起きしているのに、ゴマ達とは接触が少なくて食事とトイレの始末、あとは少し抱っこしたりなでてやる程度で、放って置き過ぎた。

心のどこかに、野良で居るよりはずっとマシだろうという気持ちがあったのかも知れない。

やはり大切なこの時期に、私が家に居なさ過ぎるのか。身体が4つ欲しい。アメショーたちやパソコンの部屋にひとつ、ゴマたちの部屋にひとつ、会社には現状ではふたつ要る。

しかもミュウもアインもジーコも、本当は私を独り占めしたいのだ。家族ですら牽制し合い、取り合い、独占出来ないとスネてしまうのに。8匹全部飼いたい等とたわけた事を考えていたが、やはり無理というもの。ちゃんと里親を捜してやらなくちゃ。



夫も最大限の協力をしてくれ、かなりの犠牲も払ってくれている。申し訳ない。でも仕事は辞められないのだ。ずるいのかな。とりあえず、今日は休ませて貰う。明日夫が休めたら、私は仕事に行けるかも。

一日休むと、後に大変響くのだ。幾ら夫や猫達が大切でも、仕事は私の根幹を支えるものでもあるのだ。いいかげんには出来ない。



仔猫たちに仮称をつけた。里子に出す事を考えて、凝った名前を避けてそのまんま。「三毛」「キジ子」「小アカ(アカそっくりで小さいから)」「白アシ(アカそっくりだが、手足が白い)」・・・センスなし。里親さんに素敵な名前をつけて貰う方がよいのだ。



今日から、この雑文に写真を添えることにした。デジカメ便利。

1999年10月23日
白アシ小屋の中

Oct. 23, 1999

快晴。冬から秋に戻った。



仔猫たち、冒険が始まる。狭い部屋に家具が一杯だから、探検場所には事欠かないだろう。

ステンレスの調理用バットに猫砂をしいてやったら、今日ようやくキジが一人でオシッコした。おっぱいだけ飲んでいる仔猫のオシッコは、どこかミルク臭い。時間が経ってもアンモニア臭がしない。

まずは一安心か。猫って賢い。



午後から、月一度の歯科検診に出掛けなくてはいけない。

歯並びが良い私は(これが身体的な唯一の自慢だ)どの歯も悪くないのだが、歯医者通いは趣味だ。いざ悪くなってからでは痛い思いをするし、時間もお金もかかる事が多い。

唾液の分泌量の少ない私は、毎月検査して貰っていると虫歯や歯周病の予防にもなるし、歯磨きするモチベーションを高めておけるのだ。

治療より予防が大切と教えてくれた石原先生(日吉駅前の仁愛会歯科の院長先生。若くて素敵です)に「いいですね。」と言わせるのが、楽しみでもある。

この先生はとても腕も良くて、母や妹などはわざわざ群馬から通って来る程だ。勿論、近くに歯医者は掃いて捨てる程あるのに。

1999年10月24日
4匹一緒に

Oct. 24, 1999

三毛に引き合いが来た。鎌倉の女性だ。今週末の写真を送った。みんな幸せになって欲しい。本当は手元に全部置きたいのだが。
 
昨日アインを仔猫たちのところへ連れて行ったら、無邪気に近寄って来る仔猫に怯えたアインは、「シャーッ」と威嚇してしまった。慌てて連れ出すが、部屋の外に出てもアインは抱っこされたままのけぞって「シャーッ」。

自分が子供を育てた時の事なんて忘れてしまったのだろうか。もう9才。いろんな事があって、お互い時間をかけて築いてきた関係だが、すっかり人間くさくなってしまって他の猫は怖いようだ。困った事だ。

でも私達が諦めてしまっては仕方ない。根気強く、一緒に出来るよう努めるつもりだ。まずは仔猫の里親探しから。
 
ゴマはトイレの砂は散らかさない、いたずらはしない、騒がない、エサはおとなしく待つ・・・まったく野良上がりとは思えない行儀の良さで、夫も私も驚いてしまう。

アメショー軍団にも見習って欲しい。

1999年10月26日

いま仔猫の里親候補の方が3組あり、そのうちの2組の方が今週中に見に来てくれる事になった。とても嬉しくて勇気が湧く事だが、困った事に皆「三毛」をご希望なのだ。

確かに三毛は可愛くて気が強くて、目立つ。私が近寄って「ミーちゃん!」などと呼ぶと、小さな小さな口を一杯に開けて「シャーッ」をする。「ハーッ」としか聞えないけど。面白いので何度もやっていると、母猫ゴマに私が叱られる。



昨日は4匹の仔猫が連鎖反応のように、シッポを太くして互いに横っ飛びしながら威嚇し合っていた。最初はゴマのシッポにじゃれていたのが、だんだん興奮してきたようだ。

隙間という隙間に入り込みたがるし、仔猫は本当に遊びの天才だ。



ある猫助けのメーリングリストに登録していたが、配信されたメールの中に「猫相手のボランティアをする予定もつもりもない」と言いきり、且つ、猫だけ助けていれば良いのか・・・という意味の挑発的なメールがあった。

私自身が攻撃された訳ではないが、懸命に活動している人に対して、何もしないで傍観者を決め込み、やり方がまずいの何のと言う仲間がいるのは信じられない思いだった。

まともに受けてたった会員の1人が、すっかり深みに引きずり込まれてしまった。私ときたら、ネガティブな意見を見聞きするのは自分の士気が下がるので避けたいと思い、さっさと脱会してしまったが、改めて仲間入りしようかとも考えている。

善意のつながりの中で毒を撒いた人は、どういう目的で入会しているのか全く掴めない。と言うより何か別の意図があったとしか思えず、少し恐ろしい気もする。

これを読む事はまずないだろうが、ひとつだけ言ってやりたい。幾ら言っている事が正論であろうと、人の心は理論や法律では動かせないのだと。理屈だけで善意の人を圧倒しても、虚しいと言う事に気付かないのは愚かだ。
 
今日は、一見すると地味だが、賢くてひょうきんなキジ子の写真にしよう。
キジ子とノミ取り器

Oct. 26, 1999

1999年10月28日
小アカ

予約一番乗り

Oct. 28, 1999

昨夜、最初に仔猫を見に来てくれた女性は、若いのに落ち着いた素敵な人だった。猫や他の動物の話をするだけでなく、一緒に食事して少しワインも飲んで、お互いを少しずつ知る事も出来たと思う。

どの子も可愛いと言ってくれる。最初欲しがっていた三毛をもう一組のご家族に譲って、茶トラの「小アカ」を予約してくれた。

小アカは初対面の彼女に抱かれてツメも立てず騒ぎもせず(私の時はピーピー鳴くのに)、抱っこされたままで眠ってしまった。これには驚いた。小アカが彼女を選んだのだと思った。父親のアカが、最初私を選んでなついてくれたように。



後で、彼女ともう一度部屋に行ってみたが、三毛は暴れてツメをたてた。不思議な事だが、「縁」というものは確かにあるのだと思う。小アカは、彼女と縁があったのかも知れない。

あと一月お待ち頂く事にして、その間にも何度でも来て下さいと言ってお別れした。

彼女との出会いも、素敵なご縁だった。もう一組の方(こちらも良い人だ)とお会いする日時も約束出来たし、アカやゴマ達を贈ってくれた神様が、ちゃんと導いてくれているような気がする。



メーリングリストに再登録させて頂いた。短気なのが最初からバレてしまった。私は皆さんの活動を感心して読ませて戴くばかりだが、自分も出来る事で頑張らなくちゃという気持ちが湧いてくる。

批評家になるよりは、不完全でも実践者でありたい。改めてそう思う。



ところで、昨日の大雨の翌日が夏日となり、カメムシが今年も大発生したらしい。夜、帰宅してから植木に水をやっていると、猛烈に臭った。

1999年10月29日
キジ子

小アカと白アシと

Oct. 29, 1999

来年発行される2千円札のデザインが発表になった。

発表にあたった宮沢大蔵大臣が「とてもいいと思います。」とコメントすると、記者の声で「どこがいいと思うんですか?」という質問があった。

宮沢さんは一瞬無表情になって間をおいてから「あなたの女房はどこが良いかと聞かれても、そういう質問は答えづらい。まあ、全体としていいという事です。」と答えてにっこりした。この勝負、宮沢さんの方が一枚も二枚も上手だ。

記者のくせに、言葉の使い方がぞんざいで全く情けない。それとも、宮沢さんを引き立てる為に、わざと下手な質問をしたのだろうか?ならば成功したと言える。さすがマスコミの人は奥が深い・・・ってね。

尚、図柄は源氏物語絵巻のようで、私も綺麗で良いなと思った。変なおじさんの顔なんてやめて、どんどんこういう美しいお札を作って欲しいものだ。



仔猫たち、高い場所が好きで、勝手に椅子の上で集合して寝ている。あちこちに居心地の良い寝床を作ってやったのに、まったく猫って気儘だ。

ゴマも、片づけても片づけてもマスコットのついたキイホルダーをくわえて持っていってしまう。まだ遊びたい盛りなのだろう。母猫と言っても、仔猫に毛が生えた程度の月齢なのだ。夏には、まだ仔猫だったのだ。

1999年10月31日

今日は本当は休日なのだが、仕事が忙しくて出勤した。日曜の早朝は道が空いていたし、会社も出社している人間が少なく静かだった。

夫は留守番。どうやら留守中に雑巾掛けをしてくれたらしい。アメショー3匹とゴマ親子の世話も全部してくれた。感謝している。



その夫の話によると、白アシがゴマの食べ残したキャットフードを食べていたと言うのだ。その成長の早さは信じ難い事だが、野良猫魂を引き継いでいるのか。

用意していたキャットミルクや離乳食を経ず、いきなりこういう事を始めるとは。見守る時間が少なすぎるのは否めない。



今日は、貴堂直氏がペット自慢に投稿してくれた。なかなか進歩せず閑散とした私のホームページを可哀想に思ってくれたのか、こういうところに氏の行き届いた思いやりを感じて、これも感謝。



今日はやはり、勇者白アシの写真に尽きるだろう。
勇者白アシ


Oct. 31, 1999
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