《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記 2000年4月 >>前月へ >>次月へ
2000年4月1日
ミュウ

何でも知っている

Apr. 1, 2000

暖かくなってきたら、途端にベランダがカメムシ臭い。

少しプランターの雑草をむしったら、指もカメムシ臭くなった。ちょっと位洗っても匂いがとれない。アインが抱っこしてきたので、指先を嗅がせたら「ニャーン」と鳴いて逃げて行った。

仕方なく、また石鹸でよく洗った。



ベランダへの窓を開けてやると全員喜んで出て行くが、一番「開けてくれ」とせがむミュウが一番先に飽きて戻ってくるのが常だ。

あとの猫たちはいつまででも追いかけっこしたり、風に吹かれて目を細めていたりしている。



ミュウは私に何かして欲しいだけなのだ。ドライフードだって、皿にたくさん残っていても「ン、ン・・・」と言って催促し、3粒でも足してやりさえすれば喜んで食べる。手を掛けて貰えたら、それで満足なのだろう。

夜は暗闇の中で、私をじーっと凝視めて、私が手を伸ばすとその手を自分の両手で包み込み、口元に引き寄せる。その仕草が何とも優しさに溢れていて、ママは感動してしまうのだ。

朝、家を出る時も「ミュウちゃん、みんなをお願いね」と何度も頼んでから出掛ける。

ミュウがいれば、みんな平安な雰囲気でいられるのだ。こんな良い子は他にいない。という親バカ4月バカでした。でも、嘘はついてないもん。

2000年4月2日
ミュウも沈黙

Apr. 2, 2000

夢を見た。夢の中で、図面を作っていた。既に作っておいた5タイプの間取りをエントリーさせて、1つの画面に配置している。

ルーフバルコニーがある部屋、真四角な小さなワンルーム、横長だったり縦長だったり、うまく全部をレイアウト出来ずにいる。

ふと隣を見ると、夫が苦心して作図している。「そのマンションは、新築の時に既に全タイブ作ってあるから」と言うと「そうなの?」と言っている。

「ああ、それはもしかして306号室でしょ。それは一寸ペンディングにしておいて良いわ」などと指図している。

そうなのだ、306号室はちょっと変更があって、コバヤシからちゃんとした回答が出てこないと次に進めないのだ・・・と頭で考えている。

暗い路地の突き当たりで、そんな仕事を立ったまましている。路地を抜けて、古い厚くて重い図面集を会社に返してしまおうと思うが、会社には日曜日の夜だと言うのに人がたくさんいて、夫が手伝った事がバレるとまずい・・・私達が結婚している事までバレてしまう・・・などと危惧している。

しかし、明日の月曜日は荷物が多いので、今のうちに運んでおかなければ私一人じゃ辛い。既に右手が痺れているのだし・・・と、そこで夢ではなくて、本当に右手が痺れている事に気付いて覚醒してきた。何だ、全部夢だったのか。しかし疲れる夢だったな。



私の右手は身体にのせて眠っていると、時々血が通わなくなるみたいだ。半分眠りながら、手を身体の脇へおろすとジンジンと血が通って温かくなるのが判る。しばらくなかったのに、また始まった。

寝ていたのは夕方で、その直前に黒ビールを小さなグラスに少し飲んだ。350ミリリットルの缶を4人(舅・姑・夫と私)で分けたのだから、まさに「微量」だ。

何故そんな少しばかり飲んだのかと言えば、また舅がお決まりの発作を起こして「出ていかんなら、家に火をつけてでも叩き出してやる」だの「生かしておく訳にはいかん」「刺し殺してやる」だのと大騒ぎしたのを、何とか手打ちにした儀式だった。



3日と保たない精神、守れない約束・・・そして繰り返される発狂。しかし心を痛めるのは周囲だけで、暇でたまらない舅にとっては良いレクリエーションであり、お祭りなのだ。

その証拠に、本人は凄く喜んでいるのだ。「今日は本当によかった」と。

よかねえよ。こっちはくたくただよ。先にくたばっちまうよ。そしたら「可哀想だったなあ」と大袈裟に嘆くのだろうな。目に浮かぶよ。全部想像通りだもんな・・・と心の中で呟く。



こういう不穏な空気に、ゴマは敏感に反応する。

目の前でベッドにオシッコした。しかし防水シートのお陰で大部助かっている。猫たちに罪はないのだ。この子たちの為にも、もっと穏やかな日々を送りたい。



ジャイアンツは今夜こそ勝ちそうだ。やっほー。

2000年4月3日
ジーコ

お願い

Apr. 3, 2000

有珠山噴火で危険地域に取り残されていた動物たち(家畜やペット)に関する情報が、残念ながらTVのニュースではあまり報じられていない。

人命優先という一般常識はやむを得ないが、インターネットでは既にこの件はTV以上に情報が流れているようだ。

実際に動く事の出来ない私に出来る事は金銭支援しかないのだから、カンパ位はしたい。

カンパは個人的にするつもりですが、もし今これを読んで下さっている方が共感して下さるのであれば、少しの犠牲でいくらかのお金を、可哀想な動物たちへまわしてあげて下さい。お願いします。

2000年4月4日
ジーコ

ミュウに甘える

Apr. 4, 2000

今日は、夫も私も半休をとっておいて病院だった。舅の相談だ。

ホームドクターから紹介状を頂いて川崎市立井田病院へ行き、初診の受付に55分待たされ、その後副次的な(表向きはメインの)消化器科で呼ばれるまでに2時間。

その後精神科にまわして貰って(こっちは一般外来の日ではなかったので、予約の外来患者が全て終わるまで待たされて)2時間、また消化器科に戻り入院の手配をして貰って会計で呼ばれるのを待って、全部で6時間かかった。

その間スポーツ新聞を買って読んだくらいで、あとはぐったり不機嫌に待っているしかなかった。

もうくたびれてくたびれて、どうして舅の為に仕事を休んだり、こんなバカバカしい時間を過ごさなければならないのか恨めしかった。

しかし大きく前進した。舅の入院が決まったのだ。まだ詳しくは判らないものの、精神的な異常がある事は医者も認めてくれている。それだけでも心の負担は凄く軽くなった。

来週の水曜日、舅は晴れて入院だ。バンザ〜イ!



帰宅すると、ゴマがちゃんとオシッコしていてくれた。ベッドカバーの上の防水シートの上に。

ゴマ〜、頼むよ〜!!ミュウとジーコはお利口だよ、あんたも見習ってね。

2000年4月5日
アイン

なあに?

Apr. 5, 2000

ゴマちゃん、偉いぞ。今日はベッドでオシッコせずにいてくれたね。毎日帰りが遅くてごめんね。



アインは、ひとしきり抱っこでキイボードを打つ邪魔をし尽くすと、ベッドに戻って寝ている。「もういいの?」と尋くと、「なあに?」と言う顔で振り返る。

ふふふ、また少し一人で眠れば、目醒めた時に「キャオキャオ〜」といなないて、また抱っこされに来るのだ。

毎日おんなじビデオを再生するかのように、同じ事の繰り返しだ。それが幸せ。

2000年4月6日
ミュウ

ジーコと並んで

Apr. 6, 2000

有珠山の被災地へのカンパは、目標額達成した。勿論もっとたくさん集まるに越した事はないが、あの会社ではあれが精一杯だろう。

それにしても、普段の人柄通りの反応には感心した。一時が万事なのだなあと思った。厭な奴は例外なく厭な厭な反応。ケチ臭いのもいるし、ずるいのもいる。楽してお金など集められはしないのだ。善意の人ばかりじゃない。

だけど正直言って、普段人間がどれだけ動物を犠牲にして生きているか、少しは考えてくれても良さそうなものだと思った。まあそんな事よりも、私とその相手との人間関係が問題なのかも知れない。最初から敵視している相手もいるし、それは仕事上でどれだけ恩を売ったところで解消はしないのだ。

また、洋服や交際には随分お金を使える人間も、こういうカンパには500円だって出せないのだから、これは価値観の問題ではなくて人間性の問題だと思った。

洋子ちゃんなんて、人の3倍も協力してくれたのだ。「自分が被災して、誰かがアカを助けてくれたらどんなに嬉しいか・・・」と言っていた。その通りだよね。

今度の事で味わったものは、決して忘れないつもりだ。猫は執念深いのだ。(そうかな?)



ゴマのオシッコ、今夜もセーフ。ジャイアンツも4連勝。よかったよかった。

今夜は12時には寝て、ミュウとジーコと添い寝してやろう。

2000年4月7日
ジーコ

アインじゃないよ

Apr. 7, 2000

今日で職場での募金は終了した。今日も色んな反応があった。これ以上ないという位に厭な対応もされたし、気持ちよく出してくれた人もいた。

昨日も書いた通り、普段の人柄そのままだった。あまりに意外性がなくて可笑しくなってしまう程に。そして色々厭な思いも味わって、色んな犠牲を伴った募金活動となった。でもそれが尊いのだと思う事にする。

昨日、帰りがけにお願いした相手が本当に快くカンパしてくれた上、今日もう一度お礼を言ったら「また何かあったら言ってよ」と言ってくれた。一人で残業しながら、そういう優しさには涙が出そうになった。

一番最初にぱっと財布からお札を出してくれた小倉さん、何も言わずに協力してくれた土屋さん、子供が3人いてお小遣いが少ないというのに厭な顔ひとつせずに出してくれた総務の小林さん、ごちゃごちゃ言わずに気持ちよく出してくれた丹後さん、黒田さん、澁谷さん、安藤さん、茂永さん、須田さん、永澤さん、若田さん、小川さん、三浦さん、古田さん、武田さん、高士さん、川見さん、大門さん、中島さん、柴田さん、パートさんなのにケチらずさっさと出してくれた小田島さん、宮下さん、村田さん、俵積田さん、佐久間さん、高橋さん、3人分出した洋子ちゃん、「あそこ(有珠)には良い種牡馬がいるんだよね」と言って快く出してくれた浅海さん・・・みなさん有り難うございました。

ちゃんと責任をもって送金します。



ジーコは、最近ソファがお気に入りだ。自分だけ・・・というのが本当は好きなのだろう、どの子も。パパママを独占出来ないのは可哀想。アカなんて、3人に甘えられるのに。

2000年4月8日
アイン

得意のコロリ

Apr. 8, 2000

休みとはいえ早起きしたので、午前中が充実していた。家の前の小さな公園の桜は今が満開。

中年にもなると人生の残りの時間を考えるようになり、寝ている時間が惜しく感じられる。だけど、やった事と言えば洗濯とHPの更新である。夫はベランダの植物や部屋の植木に水やりもしてくれた。役に立つ。

そして午後は来客があり、日吉駅の改札でピックアップし、遅めのランチをご一緒する。その前に、ちょっと自宅に立ち寄った。

アインもジーコも、お愛想たっぷりで出迎えていた。アインなど、すぐにゴロリとお腹を見せてしまった。ミュウはベッドでデンと坐ったまま、撫でて貰うとグルグル・ゴロゴロ言っていた。

ゴマときたら、先日義姉が来た時同様、いそいそと(?)キッチンの隅のワゴンの裏に入って隠れてしまった。誰かが来る時は、犬のキューティーも一緒だと思うらしい。やっと誤解と判って出てきた。おかしな奴。



それにしても、「濱町」の酢味噌ドレッシングは美味しい。

2000年4月9日
ミュウの横顔

Apr. 9, 2000

昨夜遅く、さて寝ようとしたらゴマが変な声で鳴いていて、ベッドに飛び乗ったと思ったらすぐにオシッコした。例によって同じ場所なので、防水シーツを敷いていたから後の処理は楽だったが、何を訴えているのか・・・きっと何らかの満たされない思いがあるのだろう。



そのゴマは、右の牙ばかり目立つのでおかしいと思ってよく見せてもらったところ(いやいや、と言っていたが無理矢理・・・)、左の牙は先がほんの少し欠けていた。これにはびっくり。

いつからだろう?何故今まで気付かなかったのだろう?支障はないものだろうか?医者に相談してみよう。そこから虫歯になったりすると大変だ。今のところ、ドライフードも平気で食べてはいるが・・・。



今日は一日中の偏頭痛。気が抜けたのだろうから、明日には治っていると思う。また仕事かと思うと、ため息が出てしまう。もっと休みたい。

ュウだって、もっと一緒に居たいと言っている。本当なのだ。今日はどうもグズグス言っては、勝手に膝に乗ってしまう。重いってば。

2000年4月10日
ジーコ

ゴマと仲良く

Apr. 10, 2000

ゴマの犬歯の欠けは獣医さんに電話で聞いてみたら、歯髄に穴があいていなければ大丈夫でしょう・・・という事だった。

でも良く判らない。一度診て貰おう。ただし猫の口腔内には、虫歯の原因となる細菌は殆ど繁殖しないと本には書いてある。

まだ若いゴマの今後の事を思うと歯は大切だから、ちゃんとしてあげなくちゃ。歯医者の石原先生は、猫は診てくれないだろうしなあ・・・。



そのゴマは、ジーコに寄り添って眠る事もある。随分、進歩したものだ。



風が強く夜には雨にもなった。桜が散っていく。

この時期になるといつも、西行の歌を思い出す。しかし花は散り時があって、どんなに風が吹こうと大雨が降ろうと、その時でなければ散りはしないと気象予報士の森田さんがいつか言っていた。

今日は、もう寿命がきていたのだ。寂しい。

2000年4月11日
アイン

ねむねむ再び

Apr. 11, 2000

「ゴマちゃんの歯のことで」とお便りを頂いた。知らないところで見ていて下さる人がいて、しかも心配して情報を頂いたのが嬉しい。



幸せな気分で車を走らせていたのに、第一京浜に出たら凄い渋滞だった。どうしたのかと思ったら、案の定事故らしい。京急蒲田の踏切を渡ったところに、事故車が停まっていた。

朝の忙しい時間に、事故を起こすな!どうせ強引な事をしたのだろう。そこを過ぎたら、ガンガン走れた。まったく事故は迷惑だ。



帰ったら、防水シーツがくしゃくしゃになっていた。あーあ、またか。ゴマのオシッコはあまり臭くないのだが、猫が嗅げば臭いのだろう。そして誰かが砂をかける真似をしたのだ。

毎日取り替えている。するとアインがそこへ来て、顔を洗ったかと思いきや、もう眠ってしまった。

いちばん小さくなってしまったアイン。さんざんジーコを追いかけていじめたから、疲れたんだね。

2000年4月12日
ミュウ

我慢強い

Apr. 12, 2000

東京へ向ってガス橋で多摩川を渡ると、環八と交わるまでの道はケヤキ並木になっている。

晴れた日でも、葉の茂る季節にはすっかり木陰になって暗い程だが、今の時期は黄緑色の新芽が出たばかりで明るい。ほんの短い間のお楽しみだ。桜の花と同様に。



冬が長いから、今の季節が嬉しい。再生の季節だ。カラカラだったベランダのプランターの土からは、ハコベや野生のスミレが一杯花を咲かせた。枯木のようになっていたブルーベリーも、新芽が一杯出た。

死んでいたかのようだったものが息を吹き返す。毎年、この繰り返しを見る度に力づけられる。若い頃には何とも思っていなかった風景なのに。



昨夜ゴマのあごを拭いてやっていたら(相変わらず黒いかさぶたのようなツブツブが出来るのだ)「いやあん」と言った。

「いやあん、じゃないの。綺麗にしてあげるから」と言いきかせても、手足を使って阻止する。小さい手足。アメショーよりも更に柔らかい毛。

一見するとデタラメの柄が、実はとても美しい事を私は知っている。賢くて美しいゴマ。これでベッドでオシッコさえしなければ最高なんだけど。

ミュウも、とてもゴマを可愛がっている。噛まれても蹴られても、じっと相手をしてやっている。辛抱強い、優しいミュウさま。



さて、今日は舅の入院のはずだった。義姉と姑と孫娘(看護婦をしている)の三人で連れて行って入院手続きをしたにも関わらず、先生方の説得を聞かず入院を拒んだらしい。

そのやりとりをずーっと黙って見ていた精神科の先生(若くていかにもお利口な感じの素敵な先生で、手塚治のマンガから抜け出したような人だ)も、これはかなり・・・と感じたらしく、大部屋では無理と判断されてしまった。

個室が空くのを待って、付き添いがあって初めて受け入れて頂けるという展開になってしまった。何という事だろう。

会社に電話を貰って、オーバーなようだけど愕然とした。しかし今夜になって、話が二転三転している。夕食も食べずに、夫と共に舅と話をする。

明日、義姉と舅とで再びお願いに行くと行っている。もう、どうなるのか判らない。熱が出そう。

2000年4月13日
ベランダから見る桜

Apr. 13, 2000

舅の入院の件で、再度相談やお詫びが必要となり、私が仕事を休んでそれにあたっている。

婦長さんは優しい穏やかな人で、大丈夫ですよ・・と言って下さる。消化器科の担当の先生は昨日から出張でお留守だったのだが、スポーツマンタイプの筋肉質なひげ面の50代で、何事もきびきびしている。

精神科の先生は、(昨日も書いたが)子供の頃はさぞかしお利口で成績も良かっただろうと想像してしまう人だ。夫も私も、大変に興味を持った相手だ。今日は外来で忙しくて会えそうもないが、午後にまた電話する予定。



午後また出動するまでに、ぽかっと時間が空いた。外はうららかな春の日和だ。小鳥がさえずり、子供が遊んでいる声が聞こえてくる。

私も専業主婦の道を選んでいたら、もっと楽しい事がいっぱいあったのかなあ・・・と思う事もある。季節のもので保存食を作り、夫の朝・夕食にも工夫と手間を惜しまず、パッチワークやガーデニングにいそしみ・・・・・

あれ?去年までは働きながら出来ていた事じゃないか。何故、今は出来ないのかな?

やはりパソコンのせいだ。判っているけどやめられない。中毒になると予想出来たからこそ、深入りしないように気をつけていたのに。もう手遅れだ。パソコンは悪魔の箱だ。私は魂を獲られてしまったのだ。



ベランダに出してやると、猫たち大暴れ。このあたりは山のせいか、桜はまだ満開の状態を保っている。遠くが少し霞んで見え、外の世界はいかにも春。
2000年4月14日
ジーコロン

Apr. 14, 2000

ご覧頂いている方には影響ないのですが、我が家もISDNに変える事になり、14日の午前中のNTT側の工事となります。

私は、これをアップロードしたら、ターミナル・アダプターを取り付けて仕事に出掛けます。自分で上手く出来るのでしょうか?

夜に帰宅してうまく行っていたら、この続きを書きます。続きが送れるよう、祈っていて下さい。

それまでは、ジーコのコロン姿でも見てやって下さい。では・・・




ぐふぐふ。うまく行きましたよ。それにしても、一部屋に何とまあたくさんの配線・・・パソコン周辺のコードの量を見て(普段は隠してあるのですが)げんなりしましたね。

さて、ISDNにしたメリットは一体どれ位あったのでしょうか?

2000年4月15日
ジーコ(右)

ミュウパパが好き

Apr. 15, 2000

一日中冷たい雨。これで桜もお終いだろう。ありがとう、また来年。

桜サクラと大騒ぎして待つ割に、いざ咲いても花見に行くでもなし・・・。でも、朝の通勤で慶応のグラウンド(ジャイアンツの高橋由伸が自主トレする場所です)の真ん中の道を通るので、そこでは毎朝堪能した。



昨夜は映画雑記をひとつ書けた。もっとどんどん書けそうなものだけど、どうも思い入れの多い作品をどう自分なりに料理しようかと思うと、なかなか書けないのだ。週に1本書けたら御の字だ。でも、頑張ろう。



ベッドは、ゴマのオシッコ対策にシートをいろいろ敷いているのと、猫達に占領されてしまったので明け渡して久しいのだが、今度は床で寝ている私達の間に無情にもミュウとジーコが入り込んで、可愛い顔で見上げるものだから、追い払えなくて困っている。

オス同士で顔をくっつけ合って仲良くしている姿は、奇跡のようだ。特別に気の好いミュウと、そのパパが大好きで気の弱い息子ジーコ。2日連続で見て頂こうと思う。夜中の風景。

2000年4月16日
ジーコ

そろそろ重い・・・

Apr. 16, 2000

心労が重なったせいか、義姉も姑も寝込んでしまった。おろおろしては大騒ぎしている元気な舅。一族で一番元気だろうなあ。羨ましい・・・



ゴマは、アインやジーコが近づいて頭を下げると、一生懸命舐めてやっている。試しに私も顔を近づけてみたら、私の顔も舐めてくれた。可愛がってくれているようだ。

抱っこされて眠るのはパパにだけだが、私がトイレに行っても待っていて、部屋に戻ると必死に何か訴える。片時も置いて行かれたくないのだろうと解釈している。駐車場で取り残されていた事を、つい思い出してしまうのかも知れないと。



だからアメショー一家は勿論だが、ゴマの事もう〜んと甘やかしてやりたい。猫はどんなに甘やかしても良いと思っている。愛される為に生まれてきたはずなのだから。

この分だと、犬を飼っても甘やかしてしまいそうだ。だけど早くそういう日が来るといい。その時までは、懸命に働こう。



今日も鶴見の駐車場に行ったが、私達の車が判るのか、薄茶三毛がちゃんと来た。じーっと私の顔を見ていた。どうにかして捕まえたい。でも、どうやって?

さて、今日の写真は昨日の続編です。右がジーコ、左がミュウ。

2000年4月17日
ベランダのブルーベリーの花

Apr. 17, 2000

ゴマは、私達が寝ようとして灯りを消すと、ドアのあたりをウロウロして変な声で鳴く。発情の鳴き方ともまた少し違って、小さな切なそうな声だ。

どうも、ドアの向こうの部屋(子育てをした部屋)の方を気にしている感じがする。もしかして仔猫を探しているのだろうか?

その後ベッドに乗るや否や、チャッとオシッコするのだ。素早く大量に。場所が決まっているので、被害は防水シートで済んでいるのだが・・・。



しかし今は、ミュウと寄り添って眠っている。親子のように。アインとだってジーコとだって、とっても仲良しなのだ。アインもそう言えば、仔猫を離した後はしばらく探しているかのように、部屋をウロウロして鳴いたっけ。

本当に何もかも安心して家族になるのには、月日がかかるのだと思う。



ベランダでは、ろくに構ってもやらなかったのにブルーベリーの花が咲いている。たくさん実がつくと良いな。洗濯物を干す度に、ちょっとつまむのだ。

人間の言葉を理解する猿、ボノボの「カンジ」や「パンバニーシャ」がブルーベリーを大好きで、野山に出掛けて摘んでいたのを思い出した。

2000年4月18日
アイン

お調子者

Apr. 18, 2000

今朝、全部朝の仕事を片づけて、さあ、出掛けるぞ・・・という時に、ゴマがオシッコした。さっき敷いたばかりの防水シートの上に。定位置だ。

これはもうやっぱり、何かを訴えているのだろうが、出掛けない訳にも行かない。帰って来るまでには、匂いを嗅いだ誰かが砂掛けの真似をしてシーツをめくりあげて、きっとぐちゃぐちゃだろう・・・と諦めてそのまま飛び出したが、いざ戻ってみるとシーツも乱れていないし、オシッコ自体もさほど臭くない。すっかり乾いていた。

では脱臭王の出番か。どうせシーツを替えても今夜灯りを消せば又されるのだから、これで様子をみてみよう。



4月も半ばを過ぎたのに、仕事量が全然減らない。それどころか、拡販を終えて暇になった営業の親玉が売り上げの数字を懸念して、こっちの仕事を急がせるのだから堪らない。

ムカムカしながら大量の仕事を片づける。それでも終わらない。いつになったら、少しゆったり出来るのだ?



死にそうな位忙しいのに、アインはしつこく抱っこそれに来てしまう。あと少しで更新が終わるのだからちょっと待て・・・と言っても、パパが呼んでくれても駄目。ちょいとだけお愛想しに行って、すぐまた私に抱っこされに来る。

しかも、念入りに私の腕をガリガリ・ザリザリ舐めてくれるのだ。うう・・・痛い。

だけど生きていればこそなのだから、今のこのスキンシップを大事にしよう。死んでしまったら、きっとあの時もっとこうしてあげていたら・・・と後悔するに決まっているのだ。

長生きしてよね、みんな。

2000年4月19日
ミュウ

エンジェル

Apr. 19, 2000

明日いよいよ舅の入院に漕ぎ着けた。

どうあっても今度こそ成功させなければいけない。今度駄目だったら、病院からも見放されてしまうだろうし。



家に戻ってから、階下で舅の説得に時間がかかったせいか、上に上がって私達の顔を見てから、ミュウさまがゴマの定位置でわざわざオシッコした。

もしかして、今までもゴマのせいばかりではなかったのだろうか・・・?とてもショックだった。

かつて獣医さんに相談した事がある。犬にはそういう真似が見られるものの、猫では珍しいですね、感受性が強いのでしょうね・・・と言われた。

成る程、アカといいゴマといいミュウといい、奇跡と言える程に頭の良い子に限って、こういう困った真似をしてくれる。馬鹿でする事じゃないのだとは思っているが、ここまで複雑な心理を持て余してしまう。

こちら側にトラブルがあったり(今がそうだ)、充分にかまってやれない時に多発しているのも確かだ。悪いのは一方的にこっちだ。オシッコという手段がかなり有効である事を、この子達は知っているのだ。



かと言って、私が主婦専業で家にいる事は出来ない。

限りある、しかも決して長いとは言えない猫の寿命のあるうちにもっともっと一緒に居たいのは本音だが、私もそれだけでは生きては行けない。

折り合えるところを、毎日精一杯見つけているのだ。猫たちも可愛そう。だけど私だって一緒に居たいのを我慢しているんだよ、ミュウちゃん。耐えてね。

2000年4月20日
デブゴマとてもいい子

Apr. 20, 2000

朝、義姉と共に病院へ舅を連れて行った。

いざ個室に案内されると、ウォシュレットでないから帰ると騒ぎ出した。必死でなだめるが、言う事を聞かない。簡易シャワートイレを買って来るからと言い、精神科の先生にも説得をお願いする。

婦長さんにも一通り話をし、内科の担当の先生にも説得して貰う。何とか今夜だけは泊まると約束したものの、24時間誰かの付き添いを条件で、かつ短期間だけと言い渡される。

専門の施設でなければ、一般の病院ではそれ以上は無理ですと言われてしまった。



とりあえず今夜は義姉が泊まってくれる事になり、昼前に一度家に帰って貰う。犬の世話もあるし、泊まる用意もして出直す必要があったから。

仕方なく半休の予定を変更して、夜までは私が付き添う事にした。

さあ、それからの半日が大変だった。片時も目を離せない。納得したかと思うと、また「帰る」「入院とは聞いておらん」「検査の必要はない」の繰り返し。その都度根気強く説明をし直し、気分良くいて貰えるよう試みるが、話相手になっている限り際限なく続き、しかもエスカレートして行く。

二人きりで過ごすのは、想像を絶して大変だ。姑が弱ってしまい惚けてきたのも頷ける。



義姉が戻り、19時前に一旦家に帰り、猫達の世話をしてから足りない物を色々持って再び病院へ行く。

夫も仕事を早めに切り上げて、直接病院に来てくれた。あまりに聞き分けがなければ(どこでも勝手に行ってしまうし、隠れて煙草を吸おうとするし、全ての看護婦を捕まえては説得しようとするし、だいたい与えられたクスリもちゃんと飲まずに隠してしまうのだ!)明日の午後には帰されてしまうだろう。

「仕事なんて好きな時に好きなだけ休めて、たまたま休みで家にいたから付いてきたのだと思った」と言われた時にはぶん殴ってやりたくなった。何日もの間、何度も言ったのに。こういう憎まれ口を聞くから、精神を病んだ者の介護は尚更疲れるのだ。



とりあえず、明日は仕事に行く。いつ呼び出しがあるか判らないが。ケースワーカーに夫も交えて相談する予定だが、連日それだけにかかりっきりという訳にもいかない。仕事を辞める覚悟なら別だろうが・・・。



バタバタと出たり入ったりしていたのに、ゴマはオシッコもせずに良い子にしていてくれた。ミュウだって、出掛ける私にまとわりつきはしたものの(子供の頃はいつもそうだった)オシッコはセーフ。有り難う、みんな。



どういう成り行きになるとしても、このHPの更新は少しだけでも毎日する予定です。それが支えでもあるので。みなさん、色々ご心配下さって有り難うございます。頑張ってやり遂げますので、しばらく見守っていて下さい。

2000年4月21日
アイン

パパ抱っこねむねむ

Apr. 21, 2000

今朝は夜明け前に胃痛で目覚めた。

夫は昨夜、下痢をしたと言う。どっちもストレスだろう。昔の私は、胃の痛みなど知らなかった。よほど食べ過ぎた時にしか・・・。それがこの家に来てから、時折背中とも胃ともつかないひどい痛みが来る。

眠れないので、医者に貰ってあるクスリを飲む。ま、極くたまーにだけど。



兎も角、仕事に出た。遅れた分を取り戻さなくては、信用を失うのはあっと言う間だから。

ひたすら頑張って、何とか依頼者から感謝を得る程度には働いたと思う。しかし、また来週は休まなくてはならない。

午後、付き添ってくれていた義姉から電話が入った。今朝の血液検査で、舅に若干の異常が見られたらしい。酒ばかり飲んでいて「食べない事が長生きの秘訣だ」などとうそぶいていたせいで、栄養失調とも言える「低タンパク症状」だったそうだ。

今日から点滴も始まった。来週の火曜日が、当初の名目だった腸の検査日と決まる。しかし、その当日は義姉が都合悪いらしい。

付き添えるのは私と義姉しかいないのだ。仕方あるまい。会社は休ませて貰うしかない。くそーっ。



今夜は義姉が泊まると言ってくれたので、それに甘えて明日の朝と昼の食事を買い込んで21時の消灯ギリギリに届け、洗濯物を預かって帰宅した。

明日は、午後に歯科検診の予約が入っている。キャンセルも考えたが、先月も仕事の都合でキャンセルしたのだ。そう何度も自分の都合でキャンセルはしたくない。それが終わり次第、病院で付き添いを交代する約束をした。

そして明後日は、病院から仕事に行く予定だ。大丈夫かいな?



帰宅すると、姑はぼーっとしていた。

もうひとり夫には姉がいるのだが、アメリカに永住してしまっている。勿論、付き添いに来い等とは思わない。だけど自分の親が世話になっている弟の嫁に、挨拶とねぎらいの電話くらいしたってバチは当たらないだろうに。そんな事ひとつでも、人は気持ち良く仕事出来るものなのだから。ちょっとムカつく。



それにしても、私も大人になってのだなあ・・・と変なところで感心をした。舅の入院の付き添いで病院に泊まるなんて、どこか余所の事だとばっかり思っていた。まさかこんなに早く自分にまわって来るなんて。

しかし思ったより悲壮感はない。義姉だって犠牲を払って、長時間付き添ってくれているのだ。姑にはもはや無理だし、二人だけで交代して続けるしかない。



ああ、それにつけてもノートパソコンが有ったら良かった。病院で暇潰しをするのはとても大変だ。トイレに連れていく以外は、見張りをしながら本を読む以外ないか。

明日の晩は、メールチェックもHPの更新も出来ない。明日の午前中、出来るだけ済ませてしまおう。

パソコンと煙草の禁断症状が出るだろうなあ・・・。勿論、猫に触れない事も辛いだろう。あーあ。みんな、せいぜいパパに抱っこして貰いなさい。

2000年4月22日
アイン

ベランダでコロン

Apr. 22, 2000

夢をたくさん見た。

白いご飯にちりめんじゃこをふりかけて食べていた。実の母があまりにたくさん取ってしまうので、「ママったらさっき一杯食べたくせにぃ」と文句を言っている。

右隣にいた実の父が「こっちも美味しいよ」と言って小さな海老を食べている。

見ると、海老の姿が実は大きくて、ひとつがエビフライほどの大きさ、しかも殻が固くてズワイガニのようだ。顔がタツノオトシゴを凶悪にしたような尖った横顔で、日本人はどうしてこんな固いものを、カルシウムを摂れるからと言って殻ごと食べるのか・・・同席しているアメリカ人家族(家に招いているらしい)に少し恥ずかしいような気分で、私もその固い殻を歯でバリバリと噛み砕いていた。

夢とは言え、たかがちりめんじゃこをたくさん取られたからといって母親に文句を言うなんぞ、今の時代では笑われるだろう。



昔は、子供はひとつの卵を半分こして兄弟で分けて卵かけご飯にしたものだ。別に家が貧乏だったのではない。お大尽様はいたろうが、どこの家でもそんな程度だったのだ。

生卵は、よくよくかき混ぜないと、先に半分を分けられた方は白身だけがジュルッと入ってしまい、厭だった。たいてい私の茶碗に先に入れられてしまう。

文句を言うと、「お姉ちゃんでしょ」と言われる。ああ、早く大人になって、卵を一個全部自分で食べたいと思った。

昔の朝ご飯が食べたい。味噌汁・生卵・カラシとネギの一杯入った納豆・漬け物・焼き海苔・・・そして炊き立てご飯。



貴重な休日が付き添いで潰れる。よほど手際よく夫婦で分業しないと、いつもの用事が終わらない。猫缶と砂は夫が一人で買いに行ってくれた。私は洗濯と水やり。掃除は多分、留守中に夫がしてくれるだろう。



ゴマはひっきりなしに喋り掛ける。置いていかないよ。大丈夫。置いて行くのはパソコンだよ。

昨日も書いた通り、次の更新は明日の日曜日の夜となります。みなさんが、良い週末をお過ごしになれますように!

2000年4月23日
井田病院ロビー

Apr. 23, 2000

病院の夜は早い。しかも舅の就寝はもっと早かった。

夜の7時には食後の薬が効いたのか「8時には寝る」と言っていたのだが、それも待てずに看護婦さんに寝る前の薬を貰って飲んでしまった。

たちまち眠くてろれつがまわらなくなる。それでも看護婦の宮川さんが気に入ったらしく、こっそり手品のネタをポケットに入れるのが見えた。

ナースステーションは部屋のまん前だ。オシッコだと言って部屋を出たものの、ナースステーションを覗き込んでウロウロしている。

「宮川さんに見せたいものがあるんでしょ?」と言って、宮川さんを呼んでやる。宮川さんは、気持ち良く相手をしてくれた。

色白で足の線と歯と歯茎の色がとても綺麗な(部分的に誉めるのはケチ臭いが、なかなか得難いチャームポイントだと思うのだ)、声が豊田真帆に似ている若い看護婦さんだ。

手品を見せて驚いて貰ったら、満足して舅は寝た。しばしロビーで持参した本を読もうとしていたら、すぐに舅が起き出して来た。私も寝ろと言う。仕方なく夜の8時から横になるハメに。



ナースステーションの目の前だから、ひっきりなしに鳴るナースコール(エリーゼのために)と足音・話し声、そして一晩中煌煌と灯りが眩しくて眠れない。

部屋のドアを閉めれば良さそうなものだが、そうすると空気が悪くなってムッとする。カーテンだけ引いて眠ることにした。

ベッドはビニールレザーの長椅子だが、そう寝心地は悪くない。ガールスカウトのキャンプでテントの中で寝た事を思えば、ずっとマシだ。

ひと眠りして起きた23時頃、1階の出入口を出て柱の陰の灰皿の所で煙草を吸う。夜風が気持ち良い。寒くもなく暑くもない。テレホーダイの時間だな・・・と思いながら、そういうものとはとても遠い場所に居るような気分がした。



舅は午前3時まではぐっすり寝ていた。それからは1時間おきにトイレに行ったが、その都度やれ私が眠れたか寒くはないかと心配してくれた。

精神安定剤のせいかとは思うが、舅は穏やかで小さくなった。表情から険が消え、天使のようになってしまった。わずか3日ほどの間に。

私の心の中は複雑だった。もしかして舅は、単に姑との相性が悪いだけなのではないか。かつても姑が元気だった頃に旅行で居ない間も、舅は大変大人しかった。

とてもきちんと責務を果す姑だが、人一倍わがままで呆けてきた自分の連れ合いには冷淡だ。もしかしたら満たされない思いが舅を狂わせるのではないか・・・継母に育てられ愛情に飢えて育った幼年期の心の空洞が、いま代償を求めているのではないか・・・かねてより感じていた思いが改めて強まる。

私だってあんなに忌み嫌っていた舅だが、二人きりになるとうっとおしさよりも哀れみが強まってくるのが解かる。トイレの行き帰りに身体を支えたり、ベッドに横たえたり、着替えをさせたり、身体をふとんの上からさすってやったりするのが不思議と嫌ではないのだ。

むしろ可哀相に感じて、優しくしてやりたくなっている。私のような情の厚い女を妻にしなかったのが不幸だったわね、お義父さま。またすぐ行くからね。



朝の8時に義姉と付添いを代わる。車に乗ってすぐ一服したら、頭がクラクラした。空いた道を走って仕事場に向う。猫たちと夫はどうしているだろうか。

午後会社から電話したら、夫はカンカンに怒っていた。むろん私にではない。アメリカに住む別の姉に対してだ。朝方、姑と共に国際電話をして、私に一言くらい礼を言えと言ったらしい。

しかし末っ子の長男である夫は「小さいときに随分可愛がられたのだから・・・」と、あたかも面倒見るのが当然ともとれるようなものの言い方をされたらしい。

ふふふ・・・よしよし、好き勝手な事を言う奴は、親が死んだ時に泣くなよ!



夜、再び夫を伴い病院へ。既に眠っていたが起こしてやる。夫が行った事を凄く喜んでいた。何度も手を握って。

小一時間、他愛もないお喋りをして帰ってきた。戻る道中、涙が出た。多分、夫も同じ気持ちだろう。

2000年4月24日
ミュウ

今夜もふみふみ

Apr. 24, 2000

明日の腸の検査が終われば、舅は退院となるはずだ。あとは投薬だけの治療となるのだろうが、今後は一体どうなっていくのか・・・。

今夜会ってみると薬の量を減らしたそうで、しゃんとしていた代わりに、いつもの聞き分けのない滅茶苦茶な理論が復活していた。・・・何と言ったら良いのか。先が思いやられるとしか言えないか。



仕事が大部片づいてきた。明日は、あまり心配せずに休めそうだ。

昨日は胃が痛く、今日は胸が焼けて胃液を吐いた。疲れたというよりも、ストレスなのだと思う。我ながら弱いもんだ。付き添いに対するものではなくて、夫から聞いたアメリカにいる義姉の件に対してだと思う。

相手がどう感じるかを考えずに言葉を発する人には、とても敵わないなといつも思う。落ち度を指摘されると逆上する、或いは「そういうつもりじゃなかった」とお決まりの言い訳をする。

そういう人間の甘えは、私には相容れないものがある。しかし言えない。もの言わぬは腹ふくるるわざなり。



夕立のあと、急に寒くなった。今夜は、猫たちと寄り添って寝よう。明日は早朝から病院だ。

2000年4月25日
さよなら病院

Apr. 25, 2000

朝6時半、病院に到着。義姉と交代する。

舅の腸の検査当日。浣腸をしてトイレにしゃがませるが、もう出ないと言って出てきた途端に「また出たくなった」と言って、しゃがむ間もなくお漏らししてしまった。

パジャマも下着も靴下も全滅。それから地下の内視鏡検査室に移動して、短時間のファイバースコープでの検査。これは無事終了。



検査の済んだ後は、やたらと元気で少しもじっとしていない。4階の病棟から、1階の遠くの売店に行って何かを買う事3回。部屋のではないトイレに5回。

髭を剃ると言って、洗面所のお湯を出しっ放しにしていたせいで電気温水器のお湯を使い切ってしまったのに「お湯にならない」と言って私に文句を言い、理由を説明しても「そんなおかしな話は聞いた事がない」と憎まれ口を聞く。

行方をくらます事1回。

そしてやっと病室に戻らせてベッドに落ち着かせるが、同じ事をしつこくしつこく聞きたがり、答えても信用しない(今日が4月25日だって事くらい信じろ〜!)でまた聞く。

しまいにはトイレに付いていくのを煩がり、「初めてここに来たあんたに、何10回も来ているワシが何で案内されにゃならんのだ」と怒り始めた。

そしてナースステーションに詰め寄る。看護婦さん達は困った顔で「そういうお約束ですから・・・」と言うしかなく、仕方なしに「お義父さまの年齢の患者さんには、そういう決まりになっているんですって」と口をはさむ。

すると、昨日までは「こんな良い病院は他にない」と繰り返し言っていたものが「おかしな事をいいやがる。こんな病院には2度と来ん。」とキレかかっている。キレたいのはこっちだよ。



夕方、義姉が来てくれた後で、担当医に話を聞く。とりあえず、ここまでがお約束の処理で、あとは様子を見ながら投薬を続けるか、いよいよ手に負えなくなった時は専門の病院に入れるかしかないでしょう・・・と改めて言われる。

こちらにしても、退院をあと何日か引き延ばしたところで、付き添いの負担が長引くだけで解決にはならないのが解かっているから、明日帰りますと言う。

先生は、身体が動かない場合の方が、ある意味ではもっと楽なんですけどね・・・と言って下さる。そうなのだ。これは一緒に居る人間にしか解からない。精神的な負担がどれだけ看護側の心を蝕むか・・・。



一応、夜に夫が義姉のご亭主に電話で報告した。

ところが、このダンナというのがまた偉そうな説教たれで「今後の接し方を良く考えて」とか「薬とか病院なんて事じゃなくて、お義父さんを変えようとは思わない事だと思うよ」とか、一緒に暮らす者の苦労など何にも解かっていないくせに、私と代わってからもしつこく、馬鹿か子供に対するみたいな話をゆっくり強引にし続けるのだった。

あまりのしつこさに「それは充分考えての事ですし、そういう事もみんなで考えて相談していますから、もっと信頼して下さい」と言たところ、相手が突然キレた。

「貴女ね、何て事言うの。そういう言葉を言っちゃいけないよ。私に対して何言ってんだよ」と京都弁で凄んだ。はは〜ん、これが義姉のいつも嫌がっている男の正体かと思った。



あっちもこっちも精神的にバランスの悪い男ばっかりで、もうウンザリ。こっちは目が開いていられない位、疲れているところだって言うのに、1時間も話をされた。

バカヤロー、何もしない人間が何かを偉そうに言うな。こっちはクソまみれの一日だったんだよ。義姉が優しい人だから、そのダンナにも最低限度の礼を尽くしておこうと思っただけで、お前に相談する事なんか何もねえよ。

全くどいつもこいつも・・・二度と話なんかしないからな、てめえには。私より夫がもっと怒っているが、夫は良い奴です。念の為。

2000年4月26日
ミュウ

ニギニギでねむねむ

Apr. 26, 2000

今日は仕事のはずだったのだが、昨夜の舅の様子で今夜からもうトイレの心配があるとの事。

今の家は、老人が住み易い家の造りではない。寝室とトイレは一番離れており、しかも途中に3段ほどの階段が存在する。夜中に何度もトイレに起きる舅・姑ではあったが、今後薬で足元がふらつく舅に度付き添わねばならないのは、姑には既に無理だし、私が添い寝する訳にもいかない。



様子を見る為に、隣のリビングの長椅子で寝ようと思う。老夫婦の寝室で一緒とまでは姑も嫌がるだろうし、私も嫌だ(舅は夫と違ってオヤジ臭いし)

とりあえずはポータブル・トイレを置く事にして、舅が戻ったら午後それを買いに行き、ケアセンターに相談に行く。

本当は「寝室にトイレを作りましょう」と提案しているのだが、年寄りはなかなか首を縦に振らない。自分が衰えた事を認めるのは辛い事だとは判るが、もう少し素直に若い者の意見を取り入れてくれると助かる。



しかし、これまでにもこの件に限らない。二人とも耳が遠くなったのを認めずに、古いタイプの玄関ブザーが大音量のテレビの音で聞こえず、何度も宅配便の不在通知が入り、その都度「家に居たのに、声もかけないでこんなものを置いて行った」と怒っていたのだ。

そうしては我々が取りに行く。

「もっと大きな音の出るチャイムに替えよう。自分達で付けるから」と提案しても、「聞こえなかった事は一度もない!」と怒り狂っていたのだ。

遂に付け替えるまでには、3年近くかかった。せっかちな私が、こういう手順に従って何事も進めなくてはならないのは、物凄いストレスである。



老人と暮らすという事は、幼児と暮らすよりも始末が悪い。相手を尊重して相手に主導権をとらせる形であらまほしき結果に導くというのは、凄く時間と手間がかかるから。

子供相手ならば、大抵の事はこっちが決定権を持てるから楽だ。

舅はここまで来ても、自分だけが正しく、自分だけが偉いと思っている。ああ・・・足がふらついてもいいから、精神安定剤を減らすような事をしないでくれたら良かったのに・・・義姉の心の優しさが恨めしい。

私ならば、手間はかかっても大人しくしている方がいい。偉そうにされるのは真っ平。



いずれにしても、私は男の人に威張られるのが死ぬほど嫌いなのだと、昨日の義姉のダンナの一件でも改めて判る。そんな思いをする位なら、一生独身でいた方がマシ・・・とまで思う。

幸い今の夫は威張る事など皆無だ。むしろ私に威張らせてくれて、いつも気遣ってくれる心の余裕がある人なので、こういう事態でも我慢が出来るのだろう。

それを考えると、舅は出来の良い自分の息子に感謝すべきである。そんな理屈は、ちっとも判らないだろうが。むしろ自分だけが素晴らしくて、息子はいつまでも頼りない自分以下の男だと信じたいのだ。本当は自信の無い弱い男の典型ではないか。



兎に角、世話焼きの私だけど、威張るのは私。私に威張るな。

なんか凄い事を言ってますけれど、これが本音です。威張られても許せるのは相手が動物の時だけさ。ね、ミュウさま。

2000年4月27日
アイン

ビューティー

Apr. 27, 2000

絶望しないようにしたいけど、状況は悪い。今日も仕事に出られない。このままでは、なし崩しに一番望まない方向に行ってしまう。



簡易トイレ(スチール製の手すりの付いた、なかなか立派な物)を舅たちの寝室の隅に置き、昨日はご機嫌であった舅だが、それは単に姑の為と考えていて、自分の為でもあると知るや激怒。

昨日あれだけ義姉が、毎晩のように自分一人ではトイレに行けなかった事実を説明して「お父さまの為でもあるのよ」と言ってくれたにも拘わらず、自分は夜中にトイレなど起きた事はない、足がふらついて転んだ事などない、寝室にトイレなど自分には不要だと言い張った挙げ句、「俺の為だなんてぬかしやがる奴は、怒鳴りあげてやる!」と、既に怒鳴っている。

姑は昨日舅が戻る前から気落ちしていて、いざ戻って来ると具合が悪くなってしまった。そして姑は、昨夜は素直に寝室の簡易トイレを使ってくれた。



夜にちゃんと眠ってくれる為の薬はお守りとして頂く事にして、まだ家では使っていないのだ。それを飲ませた場合、姑では舅を支えてトイレを使わせる事は出来ない(自分が歩くのもままならないのに)

では病院で付き添った如く、毎晩何度もトイレに起きる度に私が世話をし、且つこれまでのように5時には起きて仕事に出掛ける生活が出来るのか?

答は判り切っている。今でさえ、もうギリギリの睡眠時間なのだ。かと言って、3食後の薬だけでは感情を抑制する効き目は殆ど見られない。ここが決断の分岐点のようだ。さあ、どうする?



何かをしようとしている人に、やり方が完璧でないからといって批判だけする人間は、私は嫌いだ。

幾ら理論武装して挑発的な言葉・過激な言葉で反論されようと、純粋に動物を愛する心で支援している人達の「心」は叩きのめされないし、人の心を動かすのはそんな論理ではないという事を私は知っている。

圧力や権威・暴力(言葉も含めて)・知識の羅列・相手を否定するやり方では、決して人は心を動かされはしない。笑われるかも知れないが、人の心を本当に動かせるとしたら、それは「無償の愛」以外にはないと信じている。



じゃあ私は、報われる事を望まずに仕事も生活も犠牲にして舅の為にだけ生きられるのか?

それは「No」だ。既に狂ってしまっている90才の男人の心は、今更変えられはしない。あるがままを受け入れる事だけで、精一杯の愛情なのだ。

愛する夫の親だから、ある程度までは犠牲を払っている。しかし自分の子供を持つ事すら諦めて仕事を続けてきた女が、この舅の為だけで仕事を辞めるという事には妥協出来ない。

冷たいのかも知れないが、まだ私は自分の中の別の声に抵抗している。往生際が悪いだけかも知れないが、往生せずに乗り切りたいというのが目標だ。

動物を見殺しにするのとは違う・・・と言い聞かせている。それこそが詭弁なのかな?

2000年4月28日
ジーコ

りりしい?

Apr. 28, 2000

やっと仕事に復帰した。

幾ら忙しかろうと、やっぱり楽しい。家に帰るのが嫌になるほど(それはまた別の意味もあるのだが)。アカの洋子ちゃんのお母さんから芹を頂いた。お浸しにすると、抜群に美味しいのだ。



会社に義姉から何度か電話が入った。舅が朝っぱらから「ビールをどこに隠しがった!」と騒いだらしい。

昨日、義姉が隠しておいてくれたものを探し出して昼に飲んでしまったので、2階のクローゼットに隠してあるのだ。家中を探して、遂には2階のドア(鍵を閉めてある)を蹴飛ばしたりしたと言う。

何て事!!猫達が怯えるじゃないか。許せない。

ただでさえ長時間お留守番をさせて可哀想なのに、怒鳴り声やドアを蹴る音などの異常な事態にさぞかし怖かっただろうと思うと、怒りで震えた。

もう、こういう人間はどうしたら良いのだろう?5月11日には病院の外来で診察の予定なのだが、限界を感じる。

一応、区役所の保健福祉課に電話で相談してみた。しかし直接出掛けて行かない事には、詳しい相談は出来ない。ああ、また仕事を休むのか?



しかし朗報もひとつ。舅も寝室の簡易トイレを使っているらしい。本人は「使わない」「使っていない」と言い張るのだが、使ってくれるならまずは安心だ。

舅が足腰たたない状態のところ、一晩中、毎回遠くのトイレに連れて行くのは不可能だから。



さて、ゴマは事もあろうに枕にオシッコしていた。

きっと舅の騒ぎが怖かったんだね。可哀想に。

あんまり臭くはないが、これから洗濯だ。

明日はずっと一緒だからね、あんたの大好きなパパも。ジーコだって、大きな音にはとてもストレスを感じるのだ。花火大会の遠くの音にも驚いて、ベランダから家の中に駆け込むのだから。

だけどジーコはオシッコしないね。健気だね、ジーコは。

2000年4月29日
ワイルドフラワー

Apr. 29, 2000

巷では、9連休のところもあると言う。

その初日は素晴らしいお天気だった。家中を見渡して、洗える物をかき集めて洗濯する。洗濯は毎日しているが、休日に大物を盛大に洗うと気分がスカッとする。洗濯大好き。



ゴマとその新生児達を保護して来てから、実に7ヶ月振りで土いじりをした。

オシッコ対策のビニールシート(温室用の大きな丈夫なもの)を買いに行った園芸店で、野草のような草花を買ってきた。

園芸店に行ったのも久しぶり。全くそういう方面に気が向かないほど、余裕のない日々を過ごしていた。すっかり雑草だらけになっていたプランターに、今年も芽を出した他の宿根草と共に寄せ植えしてやる。



ついでにパセリも植える。もうじきバジルの苗も出回るだろう。この2種は欠かせない。

パセリは刻んでたっぷりカルボナーラやジャーマンポテトにかけると、卵臭さや芋臭さが消せるのだ。卵も芋も嫌いではないが、どうもあのムンとする独特の臭いが気になる日がある。バセリを大量にまぶしてやると、栄養も補えるしさっぱりして美味しい。

バジルはもっと便利だ。オムレツにたっぷり入れる。何という事のないプレーンオムレツが、あとはケチャップをかけようがオシャレで美味しい逸品になる。

トマトと玉葱だけで作るバルサミコ酢とオリーブ油をかけたサラダ(マリネ風)にも、刻んで加える。トマトソースのパスタには殆ど使えるし、あまりに収穫出来過ぎたらニンニクと松の実と共にペースト状にして保存しておけば、いつでもジェノベーゼのソースとして使える。



でも今日は、台湾土産のカラスミ(大好物!)があり、洋子ちゃんの母親ノブコさまから頂いた新鮮な芹のお浸しがあり、無農薬のトマトがあり、こうなったら久々で冷酒でも飲むしかないな。



という事で、ほろ酔いで「猫雑記」。

実はお酒は、元旦のお屠蘇以来です。鯨飲馬食と言われたこの私が!

カラスミには猫達もたいそう興味があるらしかったが、勿論こんな塩気のある物はあげません。代わりにカツブシをあげて、カラスミは表面をさっと焙ってネチネチと(しつこいネチネチではありません。テクスチュア・食感のネチネチです)我々だけで食べました。美味しかったぁ。

2000年4月30日

舅たちは明日から軽井沢の「お別荘」に出掛けるはずだったのだが、毎度毎度のすったもんだで1日延期となる。まあこっちは1週間開放されると思うと天にも昇る気分だから、ちょっとの事は大目に見てやろう。



その舅は、家のそこかしこに買い置きしてあったワインやらシャンパンやらを飲んでいるらしい。勝手に酒屋に注文もしてしまうし、もう止めても無駄だ。

医者が「何でも好きなものを飲んでいいですよ」と言った等と平気で嘘を言う病気なのだから、呆れる。でもね、いいのよ、好きなだけ飲みなさい。どうせ治療法はないのだから。



朝、水やりをしていると、ベランダのプランターの陰で素早く動くものがあった。見るとヤモリだ。ちょっと覗き込んだだけでも、びっくりして逃げてしまう。こんなのが猫に見つかったら大変。

いつぞやも、いかにもヤモリの尻尾・・・という物体を猫たちが取り合いをするようにして弄んでいた。可哀想に。猫にかかったら、ゴキブリだろうがハエだろうが蜘蛛だろうがひとたまりもない。

蝶々だって、すっかり羽根をもがれて胴体と触覚だけになって蠢いているのを発見した時には、見覚えのある生き物なのだけど何だか咄嗟には判らず、蝶々と気付いた時にはショックだった。

動く物を見ると、いきなり野生の本能が目覚めてしまうようだ。特にアインが素早い。

「牛殺しの大山」「熊殺しのウィリー」(知らない人が多いだろうけど、いずれも極真空手のパフォーマンスとして、昔有名だったのだ。憎むべきものである)にかけて「ムシ殺しのアイン」「クモ殺しのアイン」と呼んで諫めているが、猫には罪の意識はないらしい。



口の周りがカメムシ臭かった時には、びっくりした。まさか食べやしないだろうが、嚇かして臭い体液をひっかけられたらしい。バカイン(バカアイン)

これがうちのカメムシ君

Apr. 30, 2000

ゴマがよく喋りかける。いつも何か考えているらしい。一生懸命にそれを伝えようとするのだ。ある程度は理解しているつもりだが、共通の言葉が喋れたらいいのに・・・。

そのゴマの最近のお気に入りは、TVの上だ。温かくて気持ち良いのだろうね。

ゴマ

TVの上で

Apr. 30, 2000
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