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2000年1月1日
昨年9月末に始まったこのサイトも、新しい年を迎える事が出来ました。これからも末永く続けられるよう努力致しますので、今年も相変わらず宜しくお願い致します。 それにしても、サーバーの容量はまだ大丈夫かしらん。
カウントダウンの瞬間に合わせてラベルの「ボレロ」が演奏され、熊川哲也がソロでバレエを踊っていた。熊川哲也、ギリギリのところでバランスのとれた見事な美しさを持っている。いいもの観ました。 2000年1月2日 元日の鶴見、夕暮れ時は人気もなければ明かりも殆どなくて寒々しかった。駐車場にノラ猫達の姿は見えず。でもエサは綺麗になくなっていた。 隣の廃屋あたりで、雨風から避難できているのだろうか。あの家が、軒のないビルに建て替えられない事を願うばかりだ。 折角鶴見まで入っているのだから、かの有名な総持寺でお参りしようかと思ったが、車を走らせているうちに通り過ぎてしまった。 どこもかしこも暗くて寂しい。初めての道を走ってみるが、殆どまるで「山道」だ。 昔の箱根駅伝は、さぞや暗くて怖かっただろうと思う。それにしても、箱根駅伝の沿道の観客は、どうしてああもひっきりなしに「もっと下がって下さい」「旗が選手に当たらないようにして下さい」とバカのように怒られているのだ?(東海大学の柴田の箱根の登り・・・凄かったね) ベッドまわりを整えていると、シーツにオシッコの痕を発見。ゴマがストレスの多かった頃にしたものだろう。気がつかずに寝ていた。臭いとは思ってあちこち臭いを嗅いでまわったのだか、ここは発見出来ずにいた。 小さなシミだ。小さなゴマが、必死でした自己主張だったのだろう。可哀想に。 暖かい時間に、全員をベランダに出してやった。 ゴマもベランダ・デビュー。植えていた草花が枯れて、土が剥き出しになったプランターに入り、土に身体をこすりつけていた。被毛が泥や細かい枯葉だらけ。夫が熱いタオルで拭いてやる。
アインも大部元気になった。よかった、よかった。 2000年1月3日 何と昨日、お正月そうそう舅が発狂。 力でねじ伏せて済むならば、どんなにか楽だろう。近くに住む義姉とも相談して、近々医者に相談に行く事にする。このままでは、家族みんなが舅より早死にしてしまう。 アメリカ移住している下の義姉は、お気楽なものだ。「そりや、頭イカレたわね」「何でもっと早く手を打たなかったの?」と電話で言われて、夫もムッとしていた。 私はもう何年も「あれは老人性のボケなんかじゃない。精神の病気ですよ」と言っていたのに・・・。姑の身体がいよいよ弱って、それで防御策としてようやく動き始めたのだ。 ばか。遅いわい。 猫達、全員ベッドで寝るようになった。ゴマなど堂々と真ん中に陣取っている。どうやらアインとも仲良くなれそうだし、猫社会の方が人間社会よりマシかな・・・。
ともあれ私はいよいよ精神を強く保たねば、様々なトラブルに押し潰されてしまう。 頑張るぞお!! 2000年1月4日
昨日・今日と義姉が犬を連れて来る。 昨日は猫が怖いみたいで抱っこされたまま顔をそむけていたのだが、今日は興味あり気にずっと見つめていた。時折甘えた声を出す。 猫の方は少しも怖がらず(あんなにゴマを怖がったアインだったが)匂いを嗅いでは悠然と立ち去って行く。しかしゴマは昨日「シャー」をしていたし、今日はキッチンの隅っこに隠れて出て来ようとはしなかった。やっぱり大きい動物は怖いのだろう。 今日で休暇もおしまい、という時にプロバイダーからサーバーの容量を増設するにあたり、色々と便宜を図って貰える事になった。いつもきめ細やかに迅速に対応してくれるので、ローカルプロバイダーとは言え素晴らしいと思って満足している。 webの作成やアップロードのやり方に於いても、判り易いガイドを用意してくれている。何よりアドレスがシンプルなのが良い。もうひとつ加入していた大手のアドレスは、遂に覚えられないまま解約してしまった。 ゴマは、犬が帰ったら出て来て、ひとしきり大暴れ。ジーコは母親のアインに追いかけられて、逃げまわっている。ホントに弱虫だ。 2000年1月5日
今日から仕事。どういう訳か朝の通勤路が空いていて、スイスイ(ガンガン)走れた。鈍間もいたが。 仕事は想像通り・・・ただひたすら山を崩すかのように作業を続けるのみだ。多分このまま5月頃まで・・・。 昼を外で食べる。ナポリタン650円、アイスクリーム付き。 昔、夫が浅草橋の喫茶店で見た壁のメニューに「スパゲット・ナポルタン」と書かれたものがあったと言うのを聞き、大笑いして以来、ずっと「スパゲット・ナポルタン」になってしまった。(さすがに注文の時は言えませんが) 私が忘れても、相棒のヨウコちゃんは忘れない。こういうくだらない事は。 やや暖かいせいか、朝の駐車場にはノラが3匹出て来ていた。レギュラーばかり。ホッとひと安心。 家ではミュウが「また長い時間、留守番させて・・・」と言って、足をガブガブ噛む。久しぶりに4匹とも凄い食欲だ。アインもいっぱい食べた。ブラボー。 2000年1月6日
昨日、仕事の相棒・ヨウコちゃんが「**が、いかりや系のデカイ男と歩いていた。」と言うので、てっきりいかりや長介似の男の事だと思ったら、どうも話がおかしい。 よく聞いてみると「イタリア系の・・・」と言っていたらしい。 今日、相棒が「家のお墓は近くにあって、家からダッシュで1分だ。家の前で『オッス!!』と叫べば聞こえるんです」と言うので、またもドリフネタかと思ったら、墓場まで散歩に出掛けていた飼犬の名を呼んだということらしい。『ボス!!』と。 昔、渋谷の道玄坂の会社に勤めていて、銀行におつかいに行こうとしたら、同僚が「ミドリヤ(プライムになる前にあったのです)でとんかつ定食を食べて来て」と言うので、「さっきお弁当食べたばっかりで、食べられないよ。」と答えたが、時あたかも日本シリーズのさなか、ミドリヤの店頭TVで「先発投手を見て来て」と言っていたらしい。 こんな私は、昨日の「猫雑記」の『スパゲット・ナポルタン』を笑う資格はなかったのでしょうか? ゴマにテーマソングが出来ました。 ♪ゴマゴマゴーマ、ゴーマー、ゴマゴマゴーマー子♪(ドナドナのメロディーで歌って下さい) 他の子にもあります。あまりにばかばかしくて、発表出来ませんが。 2000年1月8日
昨日は朝起きると雨が降っていた。雨の中、真暗な道を新横浜に向う。 雨の夜は、停止線やセンターラインが光って見えにくくて怖い。流石に5時台は日吉・綱島あたりは道が空いていたが、産業道路や環状線は車で一杯。みんなご苦労様。私もご苦労様だけど。 駐車場に着いてもまだ真暗。エサを置いていると、白黒が姿を見せた。「久し振りだね」と声をかけるが、おっかなびっくりの様子。いつまでも私がいると食べそうもないので、早々に立去る。 タイムカードを押すと、06:19、当然私ひとりだ。仕事がはかどった事。だけど、もうこりごり。残業もして帰ったら、もう何も出来ず。昨夜は「猫雑記」をサボッてしまった。 今朝は義姉を迎えに行き、夫と3人で近くの病院の先生に舅の件で相談に行く。先生も判って下さっていた。一気に色んな事は出来ないだろうが、治療の方向で進めることになる。 あとは気の毒な姑が、身体の楽な時にはなるべく好きな事が出来るように、家族が協力し合うようにするだけだ。 義姉の家の犬のキューティ(勝手に「キューちゃん」と呼んでいる)は、私と夫が行ったら大喜びしてオシッコちびっていた。可愛い奴。 アインのアゴにアクネが出来る。白い石のようなものが2つもとれる。ガマン強いアインは、じっとしたままとらせてくれるのだ。 私は何を隠そう、こういう事が大好き。人のオデキを潰したりする事が。悪趣味である。 2000年1月9日
朝、ゴマが起こしに来た。 寝ている身体の上に乗って来て、顔をペロペロ舐めた。いつもミュウがやる事だ。ちょっと驚いた。小さいゴマの小さい舌。あまり痛くしない。 皮膚がこそげ取られるかのような強さで力強く舐めるアインとは大違いだ。そしてゴマは、アインの顔も舐めていた。これも大変に驚いた。 谷中の墓地で世話をされているノラ猫達の大量変死の話題を、メーリングリストで知る。人間の心は病んでいる。命あるものを平気で殺せるような人間は危険過ぎる。 しかし、結構な比率でそういう頭のおかしい人間が存在するのだ。自分だけが正しいと思いこんでいる人間、他の存在を軽視する人間、過ちを指摘されると逆上する人間・・・是非とも同類同士でやり合って欲しい。 ゴマに優しいミュウは、一緒にカツブシを分け合っている。このミュウの子供が世の中に2匹しか存在しない事は、本当に勿体なかったような気がする。今更ですし、不謹慎ですが・・・。 2000年1月10日
ベッドの下からゴマが這い出して来た。見ると口にネズミのおもちゃをくわえている。いかにも得意げだ。 アカも好きなこのおもちゃ、ゴマは自分でポーンと飛ばしては追いかけ回している。 ジーコは、ゴマが出てきたベッドの下を、不思議そうに覗き込んでいる。おもちゃはミュウに取られたり、家具の下に押しやられたりしている。ゴマと並ぶと、ミュウは小錦みたいに大きい。 今年から成人の日が移動したのは「ハッピーマンデー」と言うらしい。何か恥ずかしい・・・いっそ全ての祝祭日を月曜日に移動させてくれたら良いのに。 心に余裕が無さ過ぎて、熱帯魚の水槽の水替えを怠っていた。ようやく昨夜綺麗にしてやる。排泄をしている水の中でエサも食べるのだから、可哀想だ。ごめんね。 2000年1月11日
真暗な山道を走る時ならいざ知らず、町なかで車のライトを2個も点けて走っている運転手は、一体どういうつもりなんだろう。対向車がまぶしくて迷惑している事などお構なしなんだろうか。 ライトを上向きのまま走って来る車も同様だ。頭に来るからこっちも上向きに切替えてやろうかと思うが、相手が目が眩んでハンドル操作でも誤ったら困ると思い、辛うじて我慢している。 四駆の車のライトの位置が高いのも、実は結構迷惑だ。町なかを走る為の車ではない。 加えて昨今、猫も杓子もデカイ車を乗り回していて、日吉あたりの狭い路地ではすれ違いが困難だったりする。 ろくに寄せもしないで止ってしまうおばさん・・・ラリーに参加しているんじゃないんだから、もっと小さい車に乗りなさい。そういう車は、上手い奴だけ乗れよ、と言いたい。 時間がない時間がないと嘆いてばっかりいたくないのだが、あまりにも時間が足りな過ぎる。平日はもうアウトだ。猫たち、遊んでやれなくてごめんね。あんた達の為にも頑張っているんだからね。 2000年1月12日
寒い。朝の駐車場には、野良猫もカラスも姿を見せなかった。でもエサはなくなっている。食べていてさえくれたら、良しとしなければ。 保護して里親を見つけてやれるような人に馴れた猫はもういないし、捕獲器を置けるような場所でもない。可哀相だが、エサをやるしか出来ないのだ。 せめてアカとゴマを振り切って帰る事がなくなっただけでも救いだ。寒くなる前に。 そのアカは、一人っ子のせいか(元々その傾向が強かったが)甘ったれで、手を焼いているようだ。 ゴマは手術で剃られたお腹に、毛が生えそろってきた。上手に縫合してくれたらしく、縫目も殆ど判らない程だ。 「よかったねえ」と撫でてやると、甘えて私の手をガジガジ噛む。「どうして噛むの?」と言うと、手を放すものの口を開いたままフリーズしている。般若のような顔でキョトンとしている。そしてまた噛む。 噛みたいだけ噛めば良いのだが(私にはそんなことすら嬉しい)、一応躾らしい事も言ってみるのだ。ゴマなんかに噛まれたって、ちっとも痛くないよ〜だ。 仕事多くて、毎日戦争。私の作った図面を業者に送信しているのだが、その業者リストのメンテナンスを営業の人間がちっとも進めない。もう2年越しで頼んでいるのに。 またトップシーズンが来てしまう。浮沈みの多い業界で、既に廃業している業者もあり、電話が不通だったり個人宅に届いてしまってクレームになったり、だいいち私の手間と時間(当然賃金も)は馬鹿にならないのだ。 もっと効率よく、無駄なく活動したいのに。 営業職は秋の拡販以来、仕事が一段落して早く帰ってしまう。こういう時期にメンテナンスをやらずに、いつやるんだ?若い連中が多いから早く帰りたいのは判るけど、手の空いた時に業務の整備をするものだろう。 いつまで経っても、自分からは動かない連中ばっかり。システムを作り上げて行こうという意欲はないのだろうな。私ごときにこんな事言われていたら、恥かしいと思わなくちゃ。 連日怒りの「猫雑記」で、ごめんなさい。 2000年1月13日
雪が積もらなくて本当に良かった。 雪景色は非日常的で美しいのだが、通勤を思うと気が滅入るから。 雪かきも、ここ日吉に来てからは随分やった。我が家は角地なので2面を雪かきしなくてはならず、とても辛い。雪かきしない家はふげさけている。 とは言え、時間と体力さえあればどこまででも雪かきしたい私だけど。 環境保護団体のグリーンピースの活動を、時々TVで見聞きする。今は、日本の調査捕鯨船に抗議してかなり闘っていた。 ゴムボートで、捕鯨船(調査船というのだろうが)に対抗しているのだ。大型の船から放水されて。 彼らグリーンピースの人達は、当然ベジタリアンなのだろうなあ・・・。 私も突き詰めて動物の立場を考えていくと、ベジタリアンになるしかないのだろうかと思う事がある。そこまで出来ずにいるのだが。 肉を食べないという事を主張して、一部の嫌煙家のようにヒステリックになるのは嫌だし、だいたい肉の美味さに陶酔する事の多い私が肉を絶てる自信がない。 革のバッグも買った。私の動物愛護精神など、この程度のものなのだ。 自分が手を汚さないだけで、人の善さそうな目をした牛を殺したものを食べ、無邪気な豚を殺したものを食べているのだ。 ・・・・言葉がなくなる。 2000年1月14日
早朝は霧が出ていた。暖かい朝だったのだ。 駐車場のエサやりの場所には、既に1匹が姿を現していた。トレイには雨水が溜まり、僅かな残りエサがふやけていた。それを舐めに来ていたのだ。慌てて2缶空けてやる。 昨日は実家の母の誕生日だった。妹が仕事を休んで、ショッピングにつき合ってくれたようだ。尤も妹も母と一緒に定期検診だったのだが。 運転をしない母は、妹に乗せて行って貰わないと好きな所には行きにくい。お転婆で社交的で活動的な女性なのに、家族の反対で免許を取る事が叶わなかったのだ。 私が40歳に近い歳で免許を取った時、母はとても喜んでくれた。今までの人生が嘘のようだろうと言って。確かに私の人生も人生観も変わったような気がする。 かつては車の運転には全く興味がなかったし、乗用車などにお金を使うのも勿体ないとしか思えなかった。それが180度変わった。 運転する事のない人生は、もう考えられない。一日中でも運転していたい位好きだ。ハンドル操作も、アクセルやブレーキワークも、シフト操作も全部心地よい。 ただし道路に出ると腹の立つ事ばっかりある。本当はラリーがやりたい。やらないだろうれど。 ゴマ、姿が見えないと思うと、テーブルの下の足湯器の上にいる。きっと温かいからだろう。お気に入りのようだ。 2000年1月15日
少し油断していたのと、寝不足で無理が続いたせいか・・・口唇ヘルペスが三叉神経痛(顔面神経痛)を伴って出てきた。 だけどやる事が一杯で、寝てなどいられないのだ。濃いめのプロポリスを飲んで、それでも駄目だったら月曜日に早川医院に行こう。 チッチとシバの生写真が届いて、次々とスキャナー処理する。時間はかかるが楽しい。どこのネコも可愛い。みんな抱っこしたい。 ゴマがベッドの上のアインの傍らに行ったかと思うと、アインの額や足を舐めた。「おやおや・・・」と思って見ていたら、並んで落ち着いてしまった。 アインは、尻尾を大きくパタンパタンさせて、まるで自分の仔猫をあやすようにゴマと遊んでやっていた。ゴマは目を真ん丸にして、アインの尻尾を目と手で追いかけていた。 ゴマはやっぱり子供なんだなあ・・・。二人が仲良くなってきて嬉しい。でも、相変わらずジーコはポカポカやられている。不憫なジーコ。 2000年1月16日 余計に寝たら、夢をたくさん見た。嫌な夢ばかり見る。 夫もそうらしい。精神状態は、どうなっているのだろう? 私の場合、現実には出来の良い誠実な夫が、夢の中では私を裏切る夢も時々見る。怒りと絶望と悲しみで目が醒めるのは、気分の良いものではない。 起きてから怒っていると、「夢で怒らないでよ」と言われる。そりゃごもっとも。でも頭に来るのも確かなんだも〜ん。 目が覚めて見ると、ベッドの上に4匹とも乗って眠っている。全員がようやく家族になった気がする。 意外と早かったかも知れない。ミュウが寛大なのと、ジーコがおとなしくて自己主張しないのと、アインが頑張って耐えたお陰だ。ゴマは家族に恵まれたね。
昨日の「しっぽでゴマをあやすアイン」の写真は連続でいっぱい撮ったので、また見て頂きたい。動画でお見せ出来ないのが残念。 しっぽは便利だ。私も1本欲しい。 2000年1月17日 少しずつ書き貯めていた映画に関するの雑文を、一部だが遂にアップした。そうしない限りいつまでも先に進めそうにないので、自分にプレッシャーをかける為にもアップする事にした。 あくまで思いつくまま、それでいて自分のこだわりの部分をハッキリさせたいので今後も苦労しそうだが、いずれは触れずにいられないテーマだったので頑張る。 又しても文章ばかりがが増えて、ひんしゅくを買いそうだが・・・。 アインが吐き続けいてる。食べてもすぐに吐く。脱水症状を起こすのではないかと不安だ。フードの成分のせいなのか?体調の問題なのか?もう若くないだけに心配で堪らない。 今週末ゴマの2度目のワクチンなので、一緒に診て貰おうか。 アインちゃん、元気でいてよね。 しかし、こちらが心配する程には弱っている風もない。ゴマが挨拶に行って、アインを舐めた。もう、ゴマったら本当に進歩が著しいんだから・・・。 連続写真でお見せ致しましょう。
2000年1月18日
常に雪が降るのではとビクビクしている。冬は厭だ。自分の通勤の事もあるし、野良猫達の居場所が心配で仕方ない。どこでどうやって冷たい雨や雪をしのいでいるのだろう。 カナダでの動物事情が、メーリングリストで知らされた事があった。 かの国の自然条件では、野良になるという事イコール死を意味するので、犬や猫を捨てる事は法律で厳しく禁止されている上、保護活動も公的機関で徹底して行っているという。 それもいわゆる始末を意味するのではなく、最後まで里親探しを行い、里親への監視活動まで徹底しているというのだ。 これは政治の問題ではなくて、民意の問題だ。捨て猫・捨て犬が後を絶たないというのは、民意の低さを物語っている。 しかし、捨てるのは犬・猫だけではなく、有料の粗大ゴミや空き缶などの不法投棄も甚だしいのが日本だ。 ビールの国ドイツでは、缶ビールは販売されない。公共のバスは全て電気だ。 日本人は、劣等民族と思われても仕方ないのではないか。いくら生活レベルが向上しても、こんな民意の低さでは外国で笑われ、軽蔑されるのは当然だ。 個人レベルから、何かを始めようよ。 2000年1月19日
映画の事を書き始めたら、寝る時も頭から離れなくなった。好きな映画、好きな監督、好きな俳優・・・どの切り口から行こうか、迷ってしまう。楽しい迷いだが。 夫といつも話す事をそのまま書ければ楽しいのだが、記憶が曖昧な事もあり、データに頼らず出来るだけ自分の記憶から掘り起こそうとしているので、これからも時間がかかりそうだ。 でも、かつて社内報を作っていた頃にも、勝手に映画のコーナーは作っていたのだ。避けては通れない部分だったのだ。自分のサイトに書くのだから誰にも遠慮は要らない、自由気ままなものだ。 猫達の食欲が凄い。未だかつてなかった事だが、お皿がツルツルになっている。ゴマに刺激されたのか。アインもあれから吐いていない。良かった。 ゴマに向かって「お前のお父さんは、もしかしたらブスアカかい?」と尋いてみた。「お母さんは、黒面三毛かい?」とも。 キョトンとしている。あの駐車場に出入りする猫で、顔にこんな強烈に黒が入っている猫は黒面三毛しかいないのだ。 そしてゴマにもよく見ると入っている茶色のトラ縞・・・ゴマはアカと違って、ブスアカを怖がってはいなかった。そんな事を考え合わせると、そう推理したくなる。 ブスアカ・・・最近また姿を見せない。 2000年1月20日
先週は「007 ロシアより愛をこめて」今週は「大脱走」をTVで放映している。 今夜の「大脱走」は吹き替えが以前何度もやった時と全く違って、イメージが狂う。こんな誰でも観た事のあるような映画を、どうして今更吹き替えを変えるのだろう? それでも今夜初めて気付いた事・・・脱走用に掘った3本のトンネルのネーミングが「トム」「ディック」「ハリー」であるという事。 これは「Every Tom,Dick and Harry(猫も杓子も)」という慣用句から来ている事は、聡明な皆さんだったら既にご存知だったかも知れませんが。 何でこんな事、「猫雑記」に書いているんだろう? 非常時の猫達の大脱走用にと用意してある大型ケージだが、ミュウだけで一杯のような気がする。あとは杓子くらいしか入らないかも。さて困った。 2000年1月21日
ああ寒かった!!! からっ風の強い群馬育ちのくせに、風の強い日は心の底から厭だ。こんな日は、群馬では風花が舞ったものだ。遠くの高い山に積もった雪が、強い風でホコリのように舞う。勿論、積もる事などない。 雪は、湿気の多い東京や神奈川のほうがよく降る。北関東では乾燥していて、あまり雪の想い出はない。雪合戦などした記憶も、一度しかない。雪だるまなど当然作った事はない。 日吉では、雪かきも雪下ろしもした。日吉は豪雪地帯である。(本気にしないで下さい。疲れていてハイなのです) 会社の机の抽斗には、洋子ちゃんが作って私が化粧をほどこした「パクちゃん」という折り紙の顔が入っている。恐ろしい顔のパクちゃんは、時々手紙をくわえて待っている。 「洋子お母さん、私をお家へ連れて帰って!!」とか「私のお母さんは、やっぱりカズエちゃんしかいないわ」という内容だ。 誰が書くのか判らないが(ウソつけ)、油断もスキもありゃしない。マヌケな洋子ちゃんは、誰が入れたのか知らないが(ウソつけ)ポケットに入れられたまま、家へ連れ帰った事もある。 消耗の激しい仕事をしている我々の、束の間の安らぎの時だ(ウソをつけ)。 ゴマは今夜もちゃっかりパパの膝の上。みんな元気で嬉しい。 2000年1月22日 私が歯科検診に行っている間に、夫が車の点検に行く。いずれもどこが悪い訳ではないが、趣味のようなものだ。 歯医者が590円、点検が1000円。ただしオイルとエレメントを交換したので、更に3500円ほどかかる。 車も身体も調子よく過ごせるに越した事はない。整備不良の車を見ると腹が立つ。排気ガスは真っ黒、平気でブレーキランプが片方切れていたりする車が多い。 帰宅後ゴマを獣医に連れて行く。2度目のワクチン接種だった。車の中では鳴きっ放しだったが、診察台の上では堂々としてした。 ゴマは気が強い。ミュウなんか緊張し過ぎて身体が硬くなてしまって、容易に注射針が刺さらないのだ。 家に戻ると、ケロリとすぐにご飯を食べた。次からは4匹一緒に、往診して貰ってワクチン接種する事にする。その方が、我々が楽だ。日吉のあの駅近くのひどい道を、猫連れで行くのは大変。私も疲れた。 以前お世話になった女性の上司(現在は退職している)から速達が届いた。何やらお願いがあるので会いたいと言う。 一気に気が重くなる。野心的な女性だ。私のような甘ちゃんなど、太刀打ち出来ないパワーを持つ人だ。内容が何であれ、会ったら断れなくなるのが私の常だ。電話だけして、会わないつもりだ。時間の余裕も全くないし。これは本当。
一杯鳴いたので流石に疲れたのか、ゴマはぐったりして眠っている。お腹の傷はきれいになり、先生にも誉められた。 すっかり毛も生えそろい、少し太って可愛くなったゴマ。野良だったなんて、ウソのようだ。アインもびっくりの我が家のわがまま娘。 2000年1月23日
野良のエサやりに行った帰り、猫のおもちゃを買う。みんな大好きな、プラスチックの棒に長いひもの付いた猫じゃらしだ。 アインは心臓が止まるんじゃないかと心配になる位いつまでもせがんで遊ぶし、ゴマは自分だけ入って行けるベッドの下に運んでしまうし、みんなに大人気。 部屋が狭いから、みんなでドカドカと走り回れないのが可哀想だ。 きんさんが死んだ。明治25年生まれだという。死んだお祖父ちゃんは、明治19年生まれだった。おっとりした、干渉しない、気の好いお祖父ちゃんだった。こういう年寄りだと傍にいてもストレスにならないのだが・・・。 2000年1月24日
残業して帰宅すると、猫が待ちかまえている。 「遅かったじゃないか」と責める。「ご免ね」と謝ってばっかりだ。ホントにご免。 アインとゴマがすれ違いざま、かつてならばゴマが本能的に手を出してポカッと殴ってしまったものだが、今夜はゴマがアインを舐めてやっていた。 アインはゴマの鼻先の匂いを嗅いで、またもや「もっと舐めて」と言って頭を差し出す。ゴマは、また舐めてやる。優しいね、ゴマ。偉いよ。 アインは、ジーコにもよく耳の中を舐めて貰っている。私達が寝ようとしていると、真っ暗な中「ジャリジャリ、ジャリジャリ・・・」といつまででも音がする。 アインは得意の首かしげで、可愛い様子をしていつまででも舐めて貰っている。調子よいのだ、アインは。だから、複雑な精神を持つミュウには少し疎まれて噛みつかれたりするのだろうか。 今夜もミュウは苛々してアインわ噛んでいた(怪我するほどではない)。アインが悲鳴を上げると、ゴマが心配そうに、逃げるアインを目で追っていた。 2000年1月25日
今夜帰宅すると、誰かがベッドの真ん中でオシッコしてくれていた。ストレスによる抗議行動だろうと思った。 毎朝暗いうちに出掛け、帰りも早いとは言えない。留守にしている時間は15時間にもなるのだ。本当にごめんね。オシッコされても怒る気は毛頭ない。心から謝り、抱いてやるだけだ。 多分ミュウなのだろう。昨日アインをを噛んでいたし、寝る時も枕元に来なかった。 さっき抱いてやると、舌を少し出していた。ストレスを鎮める為にネコは舌を出していると言う。頭の良い理解力のあるミュウだけに、ストレスも多いのだ。 階下に犬(キューティー)が来ている時も、実はストレスらしい。キューティは、とても大きな声でたくさん啼くのだ。大きな音が嫌いで、いつもと違う雰囲気が嫌い。そんな事、当然だ。 本当は、仕事を休んででも傍にいてやりたい。寒い時期は私も冬眠したいし・・・。思うにまかせない日々が続く。これからの2〜3ヶ月が一番忙しいのだ。ため息が出る。 ごめんね、みんな。 2000年1月26日
今日はジーコが吐き、ウンチがゆるい。4匹いると、誰かしら何かある。赤ん坊を4人抱えているようなものだろうから、仕方ない。 実際赤ちゃんを持つ母親からは「そんなものじゃない。もっともっと大変よ」とお叱りをうけそうだが、永久に赤ちゃんのままなのだから猫だって大変です。 ただし世話をする以上に与えられる喜びが大きいので、バランスとしてはおつりがくるのだが・・・。 明日の夜のTVで「リオ・ブラボー」を放映するらしい。先週が「大脱走」、その前が「007ロシアより愛をこめて」だった。 「リオ・ブラボー」は大好きなハワード・ホークス作品で、これまた大好きなジョン・ウェイン主演という映画。好きな西部劇の中で5本の指に入ると思う。何度観たか判らないが、絶対観ようと思う。若い人も観てくれるといいな。 昔はしょっちゅう放映していた西部劇だけど、最近はとんとやらない。寂しい。 昨日のランチ送別会で食べた魚のムニエルが凄くしょっぱくて、私はご飯が欲しかった。フランスパンは最初にバクバク食べてしまったのだ。何でも来るそばから全部平らげるのが、私の主義だから。 懐石料理でも西洋料理のコースでも、次が来るのが待てない。どんどん早く出してくれと言いたい。食べるのが早すぎるのも確かだが。 ミュウさまは機嫌が直ってくれた。みんなが風邪気味だったのかも知れない。体調が悪くても、苛々するものだからね。 2000年1月27日
またも舅が狂う。バカみたい・・・。 「リオ・ブラボー」はちゃんと昔の吹き替えだったのでホッとする。ただし、納谷悟郎の声を聞いていると、画面を見ていないとチャールトン・ヘストンが出ているみたいだ。 子どもの頃から繰り返し聞いた吹き替えの声は、懐かしく且つ強固なイメージとなって残っている。映画館の大画面で観るにこした事ないが、TVのお陰で田舎の子供も古い名画をたくさん観られたのは事実だ。それが確実に自分の血となり肉となっているのだ。 ジーコは本当におとなしい猫になってしまった。寝る時もおずおずと近づいてくる。他の子が来れば場所を譲ってしまう。不憫で仕方ない。 でも私を独占したい気持ちは他の猫同様なのだ。みんなを同様に愛しているつもりでも、身体はひとつしかない。だけど幾らでも甘やかしてやろう。 2000年1月28日
昨夜は寒かったのか、ジーコがそろりそろりと腕枕しに来て落ち着いていたら、次にミュウが来て、大きな顔が2つ並んだ。 仲良し親子でいたのだが、そこへ傍若無人のアインがやって来て、一番私に近い状態で落ち着いてしまった。余地がないところに来るのだから、誰かが下敷きになるか押しやられてしまうのだ。 そうなると当然ジーコが分が悪い。ミュウもシラけてしまった。結局アインだけが残る。アイン大満足で、まあるくなって私の腕の中。いい気なものだ。 仕事が多く、カッカしながらガンガンやっていると、前頭葉のあたりが痒くなる。いつもいつもだ。不潔にしている訳ではないのに、血の巡りが良くなるのだろうか。 しかし白髪が出るのもそのあたりだ。昔から産毛が伸びず、色素も薄いのが生え際なのだが、茶色の髪が次第に透明になって行き、ついには白くなるようだ。 母も真っ白。私も白髪になるのだ。ああ・・・。 ゴマは飽きもせず、あっちこっちにネズミを運んでは、独り占めして遊んでいる。子供なのだ。 2000年1月29日
毎朝煙草を買うたばこ屋のお爺さんが、昨日おつりを出す前に「ちょっと待ってね」と裏へすっ飛んで行き、いい匂いの立派なリンゴを2個持って来てくれた。 私がいつもラッキーストライクを買うのを覚えていて、「ラッキーストライクのボックス下さい」と言う前に、「貴女の買うタバコは覚えていますよ」と言わんばかりにいそいそと出してくれるので、ここ2年ほど黙ってお金を出すだけで済んでいる。 「お早うございます」とだけ言うのだが、ある朝20代前半の若い男の子が出掛けるところだったのを見て「お孫さんですか?」と聞いたところ「息子です」と言われて、びっくりするやら申し訳ないやら・・・。 てっきり70代のお爺さんだと思っていたのだが、違うのかな?息子の嫁さんだと思っていた50代のおばさんは、どうやら奥さんだったようだ。うかつな事は言えないというお話。 ジーコが風邪をひいた。連続でクシャミばかりしている。プロポリスを飲ませてみた。それで様子を見よう。 ついでにアインにも飲ませてみた。それぞれ凄く驚いていたが、続けてみる。勿論ミュウとゴマにも飲ませるのだ。 2000年1月31日
プロポリスが効いたのか、ジーコのクシャミが治まった。だけど、プロポリスは飲みたくないらしい。1度目は何とか飲ませたが、2度目は味を覚えていて懲りたのだろう。吐き出そうと苦労して泡を吹いてしまった。 裕美子さんはちゃんと飲ませられるのに、私が下手なのかうちの子がバカタレなのか・・・困ったものだ。 明日から会社は春の「拡販」で、2ヶ月間の戦争が始まる。私の仕事はもうとっくから毎日戦争だが、拡販中は依頼主の要求もきつくなるのだ。 今日も帰宅が遅くなり、メールの返事も満足に書けない。それでも毎日更新するのだ。顔を洗わない日はあっても、洗濯とHPの更新をしない日はない。 そろそろ一服したいのだが、回線が混雑して繋がらなくなる時間が迫っている(註:この当時はテレホーダイでした)。1分でも惜しい。 猫4匹全員熟睡。私も寝たい。 |
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