ジーコ

後家キラー

Mar.5,2001

月に一度の給料日。ほんの一瞬懐が潤うが、私を通り過ぎていくお金たち。さようなら〜、是非また会いたいね。(少なくとも私は会いたいです。)

月曜日は職場が騒々しい。営業の電話は仕方ないとしても、無駄話の中で下卑た高笑いをするのを聞いていると、頭に血が上るのが判る。そんな中で集中しようとすると余計に疲れるのだが、これは贅沢か?相変わらず個人レベルで「**の図面はいつ出来ますか?」と尋きに来る。全員の都合を優先させていたら、私は家にも帰れない。今でさえ、始業1時間前から始めて、帰って来れば9時過ぎなのだ。ここまで1局集中したら、そして私の段取りに文句があるのであれば、プライオリティはお偉いさん達で話し合って決めて欲しい。それを敢てしないで、出来る事であれば声の大きい人間だけが個人レベルでわがままをを通して、こっちの犠牲には無関心続き。何年もそういう仕打ちを受けていたら、こっちも強くなる。大人しく待ってろ。待てなきゃ自分で作れ。こちとら集中して頑張っているんだ。社員の誰一人使えないソフトを使って。永久にアンタッチャプルとしないで、自分でも覚えてみろ。ばかたれ。

と、のっけから失礼致しました。月曜日と金曜日は、いつもこんな気分です。今の仕事はいわば職人なので、こんな風に腹も立てるのだが、かつて自分が編集・ライターをしていた時には、印刷屋さんに対して同じ事をしていたのかも知れない・・・とふと思った。自分の都合で人を動かす時に、もっと思いやりを持たなければいけないのだ。

少しケースは違うかも知れないが、自分を酷使している人は人も同じ事が出来て当然だと考えがちだ。あるいは、人にも同様の犠牲を払わせる事を当然と思いがちだ。しかし、それは間違っている。人は自分とは違う価値観の中で生きているのだし、能力も目的も異なっても当然だ。会社というひとつの目的の中で歯車となる場合は、別の価値観で方針を決定してはならないが、しかしどこまで自分を犠牲にするかという判断や価値観は、それぞれ異なっても仕方ない。ましてやそれがボランティアの場合ともなれば、強要すべき事ではないし、出来ない人を蔑むのはもっての他だろう。意外と多い、このボランティアの世界での人間同士のいがみ合い。あるいは傷つけ合い。どうして自分と違うものを批判するのか?虚しい気持ちになる。(と言って、今現在自分が何を批判された訳ではありません。対岸の火事を見て、腹を立てているいるだけです。そういう性質なんです。スミマセン。)

ゴマが今夜初めて、新しいクルマのエンジン音を覚えたとおぼしき行動に出たとこうちゃんが言っていた。本当かな?それまでこうちゃんに抱っこされて寝ていたものが、急に飛び起きてテーブルからTVの上に飛び乗って、にゃんにゃんと鳴いて待っていたと言うのだ。今度のクルマのエンジン音はとても静かで、2階で待っている人間の耳には殆ど聞き取れない。

ジーコは、みんなが寝ていたら私の傍らに来て、チョイチョイと私の肩に手を掛けてみたり、膝に頭を乗せて甘えたりしてみせた。気が小さいので、他の子に追い払われてしまう事ばかりだが、ひとりで起きている時にはとても大胆でわがままになる。そして邪気のない表情を見せるものだから、ついつい情にほだされてしまうのだ。もうじき10歳にもなるというのに、幼気で愛らしい。そんなところが、しっぽなにも好かれるのだろうか?後家殺し・・・ジーコは隠れた色事師かも知れない。


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