アイン

貴婦人

Mar.20,2001

結論から言うと、今日は群馬に行かなかった。昨夜も遅くまで妹と母と相談したのだが、父も直ぐに危篤などという状態ではないのと、今一番具合悪い時に会うよりも少し経ってからの方が良いのではないかと言う。しかも母と妹の予定も立て込んでいる。そこへ単なる「見舞い客」としてだけ乗り込んでも、母達には負担が増えるばかりだ。生活の基盤をあちらに移して介護をするのでない限りは、行ってもあまり役に立たない事は確かだ。もどかしいのだが週末まで待てと言われる。しかも土曜日には近所の葬式があるとかで、その日も困ると言われ、意気込んでいたのに出鼻をくじかれる。

思えば、父とはもう2年も会っていない。私達が仕事が忙しく、たまの休日にわざわざ来なくても良いと言う父だった。父自身もモーレツサラリーマンで、休みだからと言ってどこかへ出掛ける事の嫌いな人だった。子供達を行楽に連れて行く事も殆どない。それで不満があった訳でもなく、父親とはそういうものなのだと受け入れていた。子供達もガール・スカウトだの習い事だのと結構忙しかったし、父親とは年に一度家族で映画を観て食事する程度で充分だった。

私が社会に出ても、仕事で活躍する事を一番喜んでいた。2度の離婚も心配はしたのだろうが、それよりは仕事を続けている事を応援してくれていた父である。新しい仕事を始めた時も「オレが気を送っているから大丈夫だ」と言っていた。父は古武術の柔術家でもあり、大変に強い人だった。肺繊維症という病気が発見されたのは、10年近く前の事だった。誰よりも強かった父が、息切れして階段の上り下りにも難儀する程になっていた。

猫がいるから、泊まりがけで里帰りする事はない。必ず日帰りで、昼ご飯を食べたら間もなく「じゃ、帰るわ・・・」と言うのが常だ。それでも手紙や電話はしていたし、父の価値観を一番受け継いだ私は、父と電話でたくさん語り合った。頑固で横暴なところもある男だから、間近にいて世話をする母や妹は大変だっただろう。これからもし回復して家に戻れても、介護の生活が待っているのだ。それを長女の私がどう援助すべきか、それをしっかりと考えたい。

冷たい娘のようだが、形式的に訪問(勿論そこに心もあるのだが)したところで、どうという事はないというのが私達家族の考えだ。絆はしっかりと強く持っているつもりだから、会ったからと言ってそれでどうという訳ではないのだ。勿論、会えば会ったで楽しい部分もあるが、会えない事が寂しいとか親不孝だとか思えない。父が死ぬ時の事を予想して、悲しみで心が押しつぶされそうな気持ちの時もあった。しかし、死は自然の摂理である。私もこうちゃんもいつかは死によってお別れするのだし(来世でまた会えるかどうかは別の問題)、何よりもミュウ達との別れは辛いだろう。父は、もう自分の人生を自分で生きたのだ。私が哀れむのは失礼だ。

そうは言っても、強い父親の老いさらばえていく姿を見るのは辛いし、いよいよその時が来たのだと思ったら昨日はとても悲しかった。父は今年の夏で76歳を迎える。人生の最後を、自分の意志の力でコントロールして欲しいと願っている。うちの舅のように、自己愛と利己主義だけが精製されたかのような高い純度で体中を支配して、且つ家族全てを理不尽なまでに支配したがるような醜い年寄りにはなって欲しくない。少しずつ自然に帰って行くまで、衰える事は致し方なしと受け入れて、謙虚に人生を仕舞って行って欲しい。私の手本となるように。

その事を言いに行こうと思う。様子を聴きつつ、仕事の休みの日になったら。そういう訳で、ご心配戴いたみなさん、有難うございました。大丈夫です。本人も家族も、少しずつ覚悟していくステージに乗れました。後は各々が自分の本分を忘れずに、バランスを見ながら進みます。決して長引くとは思えない舞台ですから、きちんと演じ続けたいと思います。

ふと目を遣ると、アインが猫とは思えない優雅な雰囲気ですましていた。まるで猛禽類の女王様だ。

今日は休日を利用して、《Catpeople Net Magazine》にたくさんの写真を掲載した。里子に行ってしまったルネとノアの想い出、すっかり大人びてゴマピーそっくりになって来たチッチ、そしてお待ちかね九州に行ったフィズ・ザビエル母子の写真集だ。是非『更新ガイド』からお入り下さい。(但しコンテンポラリーに見ていて下さる方用です。1ヶ月でガイドのリンクをはずしていますので、ずっと先のいつか、これを読んで下さった方はごめんなさい。)


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