ゴマ

ジャムをペロリ

Jun.26,2001

何と暑い!甲府では36度を記録したそうだ(ここは横浜だが・・・)。まだ6月ではないか。実は私は熱があってそれで暑いのかと思っていたら、世間一般も相当に暑かったらしい。その暑いさなか、検査で病院に行った。ちょうど今、持病が活動期なのだ。大学病院は面倒臭いのだが、仕方無しに朝一番で予約を入れる。どんなに具合が悪い急患でも、救急車で運び込まれない限りは外来の受付で延々と順番を待たされるのに、この病気は最初からVIP待遇で時間の約束をしてくれるのだ。但し、やたらと検査されるのが難点。膠原病患者は病院にとってはドル箱だと言う。一生のお付き合いでもあるからだろう。しかし一生薬漬けになってなるものか。

帰りに日吉駅で本とCDを見る事にした。単行本を2冊とCDも2枚買い込む。商品券が少しあったので、ここで使ってしまおうと思った。《猫の手倶楽部》に戴いた商品券のカンパは、私が現金に替えて入金してきた。金券ショップでは100%の換金率ではないから勿体ないと思って。生活必需品に代えようかと思いながら、やはり娯楽に使う事にした。(どうでも良い事だが、書籍やCDは家計簿の項目では「娯楽費」なのだろうか?)

帰り道に早速CDを聴く。1枚は10年あまり前のエアロスミスのアルバムである。(今見たら、エアロスミスミと打たれていて、自分でも笑った。)《Love in Elevator》という曲が聴きたかったのだ。ああ、この音だ・・・と懐かしくなった。

この曲を初めて聴いたのは、前の亭主と実家に帰る車の中だった。その子の事は良く覚えている。ちょうど今頃の季節、関越道から行って大田市内で集中豪雨に遭った。停電して信号も消え、あまりの土砂降りに前も見えず、車がみな道の端に一時停車して雨が弱くなるのを待った。富士重工の工場のあたりだったっけ。あの頃、まさかスバルの車を買う事になるとは思わなかったなあ・・・。(それよりも、自分が運転をするようになるとは思いもよらなかった。)

曲は気に入ったのだがCDを買う程には好きなグループでもなかったのでシングルのCDをレンタルしたのだった。家に戻って録音しておこうかと空いたカセットテープを探していた時、自分の電話の通話録音を発見したのだった。鮮明な声。雑音ひとつない。プロの仕業だった。それから1ヶ月としないで、私は亭主と別居したのだった。離婚はその7ヶ月後。そんな訳で、録音はせず終い。映画案内などでリブ・タイラーを見る度、父親スティーブン・タイラーの顔と彼の所属するエアロスミスを思い出していた。そしてこの曲も。

今日聴いてみると、シングルカットされたのとは別のバージョンであった事が判ったが、重厚なのに硬くて軽い心地よい音なのは一緒だった。そりゃ同じバンドの音だものな。予想通り、何の心の痛みもなく聴けた。もう1枚求めたCDにしたって、高校時代に一番最初の亭主となったボーイフレンドと一緒に聴いたアルバムなのだが、ほのぼのと懐かしい思いはするものの、一時期のような痛みは全くない。時間の経過というものは有り難い。しかも今はとても幸せなものだから、過去の事も現在の多くの問題も気にならない程にお気楽なのだ。幸せだから、バランスをとる為に厄介事が多いのかな?と思う程だ。

検査結果はまた来週の今日、同じ先生の当番の日に聞きに行く予定。ま、あまり悲観はしていないのだ。自分の身体は自分が一番良く知っている。あまり医者の言う事を聞いてばかりいても、重病人にされてしまうからな。ほどほどにつき合わないと駄目だ。へへへ。

さ、今夜も早寝しよう。


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