ジーコ

ちょいちょい

Jul.22,2001

人間のプライドというものは、なかなか難しいものだと思う。それがあるからこそ生きて行けるという一面もあるし、そのプライドが邪魔をして生きて行く事を困難にさせる面もある。とりわけ過去にプライドの拠り所を求めると、今を生きる事の障害になる場合があるのではないかと思う。年のとり方には余程気をつけないと、老いてからの年月は寂しい嫌われ者になりかねない。今を生きるのに精一杯の人の中にあっては、どうしたって壁が出来てしまうからだ。

うちの舅は、誰に対しても支配的に高圧的に振る舞う。それは家族に対するのみならず、近所の人に対してだろうが病院の先生に対してだろうが年寄り仲間に対してだろうが同様なのだ。従って嫌われる。舅は現役時代は、とある小さな企業で役員をしていたらしい。家には運転手が迎えに来る待遇だったようだ。これでは勘違いもするだろう。同じ給与所得者の中に、そんなヒエラルキィが存在するのは良い事ではない。

舅は休みの日、子供達を遊びに連れて行くにも、この運転手を使っていたと聞く。その話を聞いた時、いや〜な気分がした。もちろん特別に手当を払っての事ではあるだろうが、公私混同も甚だしい。それでいて、私が失業中に夜こうちゃんを「駅まで迎えに行って来ます。」と出掛けようとすると、みんな誰でもバスを使っているんだからバスで帰って来させろと毎回足止めをして横やりを入れた。あまつさえ「甘ったれになるから」と言っていた。そんな事を言われて「判りました」と引き下がる私ではなかったが、毎度毎度うるさい!自分は運転手に送り迎えして貰っていたくせに!という反発は心に残った。

姑は息子を大事にして貰うのは悪い気がしないだろうし「あら、どこの奥さんもご主人を駅に送り迎えしてるのよ、この辺りは」と言っていた。そういう問題でもないんだが・・・と心の中思っていた。どこの家でしていようがしていまいが、私は自分独自の意志と愛情でやるのだ・・・と。だけど孫ほど年の違う嫁は、ヘラヘラと笑ってその場をやり過ごして来た。お互いのこだわりで時間を費やしても無駄だという事は判っていた。相手は既に当時ですら80歳を過ぎた高齢だった。もっと早い時期に同居していたら違ったかも知れないけど・・・と義姉は言うが、所詮遅い再婚同士だから仕方ない。出会った時には、もう親は高齢だったのだ。しかも高齢だからこそ同居に踏み切ったのだ。若い舅・姑とはとてもじゃないが同居出来ないと思っただろう。

脱線してしまったが、そういう中途半端なプライドというか、自分は偉い人だったという過去のプライドが、今舅の現在を問題の多いものにしている側面もあるのではないかとふと思った訳だ。痴呆が進んでも、そういう支配欲が純化されて残っている。いや、むしろそれだけが純粋に残ったようですらある。

年をとっても尊敬される人というのは、どこそこの重役だったとかいう過去の栄光ではなくて、人の面倒見が良いとか聞き上手で人間関係をうまく取り持てる人であるとか、穏やかな人格だとかそういうものであるはずだ。自分の満足の為に人をふりまわす事をせず、自分が中心だという心を捨てて謙虚な年の取り方をしないと、明日は我が身である。ある程度の寂しさは我慢しなければいけないし、むしろ生きて行く事は辛い寂しい事だという基本を忘れてはならない。家族にも環境にもスポイルされ続けた作品が、我が家の舅である。多少とも、家族の中では厳しくされた方が良いのだと私は思う。

しかし甘やかされて来た舅に比べて、こうちゃんは何と人並みはずれて厳しくされている事だろう(笑)。私と一緒になっていなければ、もっと楽だっただろうに。極まれにではあるが、ちょっとでも不機嫌な顔でもしようものならば「ジイさんの息子だもんね」とイヤミを言われる。可哀想なこうちゃん。しかしその甲斐あってか、元々の資質の違いか、こうちゃんには「厭な奴」のかけらもない。そして、ただの良い人という訳でもない。私はかなりの幸せ者であろう。

今夜もどこかで花火があったらしい。大きな音が聞こえたら、ゴマが急にソワソワしてしまった。ジャムなんか全然平気。弱虫だね、ゴマちゃんは。ジーコも初めて花火を聞いた時には、ベランダからすっ飛んで部屋に戻ろうとして、ガラスに思い切り鼻先をぶつけてしまった。今日は全く平然と真っ先にベランダに出て行ってしまった。だんだんと色んな事に慣れて来るし、弱虫なようでも強くなって来たんだね。年月をかけて本当に家族になって、いない事など考えられなくなっているのに、それでも先に逝ってしまうんだろうね。親に死なれるより辛いだろうな。


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