仕事を変り鶴見から遠く離れてしまったけれど、仔猫を取り上げ避妊までし、毎日エサをあげて来た自分に責任のある猫として、ハナクソへのエサやりには通い続けている。実際には、時間もガソリン代もロスが大きい。しかし、誰かがあげてくれているかな?誰かあげてくれるだろう・・・とは考えられない。自分が気になる子は、自分で世話をするのが当然である。少なくとも薫さんも私も、あるいは長年エサやりを続けているみょーこ姉ちゃんも大崎貴ちゃんも、野良猫のエサやりの現場にいる者たちは皆、毎日野良猫たちが生きて元気にしてくれているかが何よりも心配事なのだ。その様子を自分の目で確かめたいし、雨が降ったら降ったで、寒ければ寒いで、何かと気を揉む。程度の差はあったとしても迫害を受けながら野良猫のエサやりをするという事は、ただ野良猫が可哀想だとか猫が好きだとかいうモチベーションだけでは出来ないという事だけは確かだ。

やり方の差こそあれ、エサやりさんは全国に大勢いる。ゆとりのないポケットマネーで避妊も進め、糞やゴミの清掃までする人もいれば、通りがかりに気紛れに(と見える訳だが)フードを置いていくだけの人もいるだろう。しかし少なくとも私達(先述の人たちを含む)は、出来るだけ地域の人との摩擦が無いよう、可哀想な野良猫を減らして行く努力をしている事を上手くアピールしつつ、エサやりを容認して貰えるよう人とのコミュニケーションにも努めてはいるのだ。

私は愛護活動家ではないし、里親募集のHPの管理人が専門でもない。自分の家猫たちを愛する、野良猫の「エサやりオバサン」である。基本はそこに置きたいといつも思っている。捕獲もした。やむを得ず徹夜でHPの更新もする。里親募集の掲載は、何を置いても先にして来た。だけど一番大変なのはエサやりだと判るからこそ、そこから逃げたくないと考えてやって来た。面倒を見て来た者に対しては責任がある。『星の王子様』で、最後に王子様が星に帰る時、星に残して来た我が儘なバラの花に関して、そんな事を言った。この言葉が、いつも私の頭にある。ある時は、自分がどこにでもある多くのバラの花の中の何でもない1輪としてこの言葉を受け止めていた事もあり、自分が王子の立場でこの言葉を噛みしめる事もある。

薫さんにとってのミケコは、私にとってのハナクソと同じだ。そして今では美保さんが、隼人&大和をそう思いながら日々世話をし見守っている。美保さんの彼らを見守る様子は、こちら(SOSヤマハヤ・レポート)でご覧頂けます。

「私の」ハナクソの子供達のうち、2匹の新しい写真が同じ「昨日」手に入ったので、今夜はそれを並べてみる事にした。昨日《猫手屋》のモデルコーナーで福ちゃんを掲載出来たのだが、偶然同じ日に我が家に僅かな時間預かった椋ちゃんの写真が撮れたのだ。この2匹が一番ハナクソと似ているかも知れない。柄の入り方で、随分と表情が違って見えるのだが、実物はそっくりで驚く。椋と福・・・名前まで似ている(笑)。実際には男の子なのに椋の方がはるかに小さいのだが、昨日病院で測ったら4.7sだったらしい。福ちゃんは女の子ながら、6sを超える大きさだと言う。ハナクソが小さいのに、きっとお父さんに似たんだね。
 
 

福ちゃん
椋ちゃん

今夜は、2時までには眠りに就きたいと思う。この4日間で8時間しか寝ていないのだ。微熱と頭痛がある。しかし新米を戴いたので、今夜は「二人で3合」をやってしまった。美味しかった〜〜〜!!
 

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