ジーコ

しょぼしょぼ

Nov.19,2001


キッチン3題噺

一昨日、とんでもない事があった。下のキッチンで姑の晩ご飯の支度をしていたのだが、ポテトサラダを作っていて塩を加えようとした時、手元にあった塩の容器を開けたらとてつもなく臭かった。見ると茶色いものが点々と見える。ギョッとしてよくよく臭いを嗅いでしまった。ウンコだ!テーブルに着いていた姑に言うと、「それは糠よ!」と平然としている。「糠じゃありませんよ!ほら!」と鼻先に容器を持っていってやる。流石に判ったみたいだ。下の台所を使ったのは本当に久し振りで、どうしてそんなものが入っていたのかそれは謎なのだが、おおかた舅が汚した手を徘徊の途中で突っ込んだか、舅の汚れ物を触った手を姑が突っ込んだか、いずれかしかあり得ない。兎に角べっくらぶっこいた嫁の私は、迷わず全部捨てて容器を洗った。

それにしても、姑はどうして人の言う事を信じないのだろう?いつぞやも、頂き物の砂糖を分けてくれたのだが、翌日「あれはグラニュー糖だったでしょ。」と言うので、「いいえ、普通の上白糖でしたよ」と答えたが、「ううん。グラニュー糖!」と勝ち誇った顔で言う。目の良い私が普通の砂糖とグラニュー棟を見間違える訳がない。ムカムカして後で2階から持って来て見せたら、「あら、わざわざ持って来たの?」と笑っている。

いや、こんな事もあったぞ。義姉が来ていた雛祭りの日、仕事から戻ると昼に作って食べたちらし寿司を丼に盛りつけたものをくれた。この大食らいの私達夫婦が、丼一杯のちらし寿司で足りるはずもないのだが、とりあえず私は何を貰っても喜ぶ。それが礼儀だと思うから。しかし、晩ご飯に食べた時、白い粉がふりかかっているのが気になり、塊を指先に取って見た。クセで何でも臭いを嗅ぐ。それはシッカロールの臭いだった。食堂のテーブルの脇に、もうひとつ置いてあるサイドテーブルには、いつも舅が痒がる背中にクスリを塗った後でつけるシッカロールの缶が置かれているのだ。ラップを掛ける前に、それが入ったのだろうと推測する。しかし、その事を言うべきか言わざるべきかは凄く迷った。結局、こうちゃんがそっと姑に言ってくれた。しかし、どうしても納得しない。あれは粉末の酢であると言うのだ。粉末だろうが液体だろうが、酢ならば酸っぱいだろうが?!臭いまで天花粉だぞ!念の入った私は塊を幾つか取っておいたので、再度それを持たせてやる。「ほら、舐めてみなよ!」とこうちゃん。「もういいわよ、これからは何もあげないから!」とお決まりの文句だ。

他にも「落雷の原理事件」やら「アリの巣の周りのアリの糞事件」、「観葉植物の炭酸ガス事件」と数え上げればキリがないのだが、キッチン関連では3題噺となった訳だ。

今回はすっかり強くなった嫁がテンポよく事を進めたので(笑)、ウンコの臭いを認めさせて嫁の主張は却下されずに済んだ。誰かを責めているのではないのだから、開口一番否定するのは悪い癖だぞ、バアちゃん。気が強いのは大変結構だけど、間違いを大らかに認められる懐の深さも欲しいね。そうでないと、亭主も甘えられないものだ。私?私は大マヌケだから、こうちゃんに「可愛い、可愛い」と言われ続けておるぞ(バカにされている感もあり(怒)!)。

文化の差

朝から何度もウンコをする舅を、頑張って簡易トイレの便座に座らせてみる。お腹をさすって腸を刺激してやる。起きあがる事で少し頭がハッキリするようだ。見られている中で用を足すのは流石にきまり悪いらしい。しきりに話をする。最初は妄想なのかどうか判らない内容が続く。要約するとこんな感じ。「東芝で3人が殺されたんだ・・・1月1日だったなあ・・・。」「女ばっかりやられたんだ。あれには驚いたなあ・・・」否定せずに相槌を打って聞いている。こちらからも話しかける。「ヒゲを剃って気持ち良くなりましたね。」「誰が剃ってくれたんでしたっけ?」合間にはヨーグルトを食べさせたり、葡萄ジュースを吸い飲みで与えたりしている。慣れない簡易トイレを使う事は、意識がハッキリして来れば来る程、抵抗が増すらしい。あっちのトイレに行くだとか、臭くなるから申し訳ないだとか言い始める。これはかなりの回復だ。しかも弱っているので、以前のように理屈抜きで抵抗するのとは違う。ゆっくりと言い含めれば、納得して何度も排泄をしていた。

しかしそんなところに姑が入って来ると、優しくない口調で余計な事を言うので振り出しに戻ってしまうのだ。「ここでそのままオシッコして構わないんですよ。」「そーか・・・」と言っているところに「こっちに飛ばさないでよ!」等と身も蓋もない事を言う。しょぼくれたチンチンで、バアさんのところまで飛ばせる訳がないだろ!?とは言わず、「飛ばせやしませんよ」とだけ言うと「あら、冗談よ」とケロリとしている。悪い冗談だ。自分の夫の気持ちを考えないジョークを言うからしょっちゅう怒鳴られるハメになっていたのに、全然学習していない。

しかし、何事につけ江戸っ子気質で口の悪い姑なのだ。嬉しい時も、照れ隠しで相手をわざわざクサす。多分、そういう精神文化の中で育っているのだろう。しかしそれは決してスタンダードではない。自分のスタイルが通用する相手としない相手がいる事を、世間の中で揉まれていない為に知らない人なのだ。言葉は相手にどう伝わるかで価値を発揮し、どういうつもりで言ったかどうかは問題ではない事が多い。とてもリスキーなものだ。文化の差と言ってしまえばそれまでだが、その差を超えて理解し合えないと不幸な場合もある。

今日から預かって貰えるはずの施設には、ホームドクターの往診で診断書を作り直して貰い、受け入れて頂ける運びとなったのだが、家が居心地良くて「どこへも行かん」と言い出して困らせる。意識がハッキリして来たら、元通りの意地悪な老人になってしまった。何てこった!連れて行ってからも大いばりで騒いだのだが、それでも何とか今夜はお泊まりとなった。やれやれ・・・今夜は寝られるぞ。

見えないものたち

舅が寝ている時、やたらと天井の片隅を指さしては「こっちの人は∂♪∋∽£♯¶∇∃‰(文字化けではありません)」「あっちの人はあそこから入って来てŧ∞≧⊇⇒♀♭∋Ωψζ」と言ったり手招きしたりしているのが、何とも怖い。それが怖いが為に、姑は今夜だけは義姉の家に泊まる事にして連れて行って貰った。単なる妄想なのか、本当に舅には見えているのかは判らない。私達には見えないものたち。

そんなフレーズを、つい最近メールで話題にしたばかりだ。フェデリコ・ガルシア・ロルカ(スペインの詩人 Federico García Lorca 1898 - 1936)の詩《ジプシー歌集 ーRomancero Gitanoー》の中の《夢遊病者のロマンセ》の中の一節だ。とても好きな詩だったので、最初のフレーズだけ覚えていたのを、サビ猫オーナー満津子さんへのメールで書いたものだった。
 

-Romance sonambulo-


Verde que te quiero verde.
Verde viento. Verdes ramas.
El barco sobre la mar
y el caballo en la montaña.
Con la sombra en la cintura
ella sueña en su baranda
verde carne, pelo verde,
con ojos de fría plata.
Verde que te quiero verde.
Bajo la luna gitana,
las cosas la están mirando
y ella no puede mirarlas.

−夢遊病者のロマンセ−

みどりいろ あたしの好きなみどりいろ
みどりの風 みどりの枝 
海の上の船
山の中の馬
腰に影のリボンつけて
ベランダで夢見る彼女
みどりの肉体 みどりの髪
ふたつの目は冷たい銀
みどりいろ あたしの好きなみどりいろ
ジプシーの月の下
彼女には見えない物たち
その物たちが彼女を見ている

アインも時々、見えないものを見ている気がする。舅が見ているものと同じものでない事を祈りたい。

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