みきことこうちゃんは外国語が得意である。単に外国での勤務経験があるというだけでなしに、学校の先生などよりは余程上手に教える。実際みきこは受験生の英語の個別指導をしてもいるのだが、この二人に対して時々私の積年の恨み・・・じゃない積年の疑問をぶつけてみる事がある。疑問はある日突然、何の脈絡もなしに頭に浮かぶ。積年の疑問であるからには、今更それを知らなくても全く支障はない事である。しかしそれを無邪気に問うてみると、大抵の場合どちらかが明晰な説明をしてくれるので、それで私は安心して眠るのだ。知らないと不安という訳ではないが、知る事は楽しい。自分が学生の時には、そんな事は考えた事もなかった。それどころか疑問にすら感じないまま通り過ぎていた事が、何十年も経って突然ふと疑問になるのは一体どうしい仕組みだろう? つい最近では、かなり昔に流行った「シー・ハイルの歌」という曲の「シー・ハイル」って一体何だったのだろう?と突然思い始めて、こうちゃんに尋いてみた。こうちゃんは「ドイツ語だね。」とだけ言う。ドイツ後であれば、みきこの担当だ。(こうちゃんの担当は英語ならばみきこと二頭立て・ダブルキャスト・ダブルヘッダーであり、インドネシア語も守備範囲であるが、ドイツ語は殆ど知らない。)それでみきこに電話する。わざわざ電話するような事ではないのだが、そういう内容の電話であってもみきこの場合は「何よ、唐突に。」等とは言わない。そして無事、それがスキーヤー同士の挨拶のようなものである事が判った。つまり直訳すれば「スキー万歳」という感じらしい。30年以上、何と言うこともなく「おお、シー・ハイル」という歌詞を「押し入る」でも構わなかった自分が可笑しかった。耳で聞いて知っていただけの歌だから。 また今夜は、中学生の時にアメリカ人の友達に書いた手紙を当時通っていた教会の神父様に添削して戴いた時に受けた説明が良く判らないままでいたある事項を、こうちゃんに尋いてみた。それはこういう内容だった。
知ったからと言って何の役に立つものでもない。今後そんな知識を使う事もまずないだろう。ネイティブの人から見たら笑ってしまうような問題かも知れないし、全く興味な人からは「暇なヤツだ」とこれまた笑われるかも知れない。だけど、疑問は解けると楽しい。だからどうした・・・という内容であれ。これは心の余裕である。実学的な事だけでは得られない楽しさ、そして日常の課題・問題に忙殺されていればこそ求める、ふとした隙間のような余裕なのかも知れない。さて、この次は何を疑問に思うのかな? 寝ると猫たちが回りに集まって来る。腕枕する者、その間に入ろうとする者、足元で我慢する者、膝の後ろに陣取る者・・・私の身体の形に合わせて、猫たちはそれぞれ場所を確保して落ち着く。寝返りも打てず、張り付け状態でほとほと疲れるのだが、至福の時である事も確かなのだ。今私が寝たきりになったら、あっと言う間に床ずれが出来るだろうなあ・・・。
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