毎朝起きた時には、誰がどこにいるのか確認するのが常であるのだが、大抵はミュウが私の右脇で添い寝していて、ジーコとゴマとアインが私の左側に縦に並べた3枚のふかふかマットにそれぞれ1匹ずつ寝ている。ジャムだけは、こうちゃんの枕の横の自分専用枕に乗って寝ている事が多い。希にミュウがこうちゃんの足元にいて、ジャムが私の左脇にいたりする。ともあれ、これを見渡すのが起きた瞬間の楽しみになっている。5匹とも全員が私の周囲に寝ていて、私がガリバーのように張り付けになっている日など最高に幸せだ。起きるのも勿体ない。カーテン越しに差し込む朝陽の中で猫たちといつまでも寝ていられるならば、これ以上の幸せはないと断言出来る。 義姉が来て、初七日を家族だけで迎える。既に法要はしてあるが、こうちゃんがお経を上げてくれたのでみんな神妙に聴いた。こうちゃんは練習の為(?)か、昨夜は朝方までお経を読んでいたようだ。意味は全然判らないけれど、しみじみとする良いお経だった。義姉はちょっと涙ぐんでいた。舅もきっと嬉しかっただろうと思う。兎に角、舅はこうちゃんに何かして貰うのが好きだったから。私も出掛ける前には「留守中、お義母さまをお願いしますね。」と言っては線香をあげ、帰宅したら「**に行って来ましたよ。」と線香をあげる。今までこういう風に自然に対話出来ない月日が続いていたが、お骨になってからやっと色んな話が出来るようになった。それは残念な事でもあるだろうけど、兎に角生きている間は、舅は目に見えない業のようなものに縛られていたのかも知れないと思わざるを得ない日々だった。亡くなった直後よりも3日後の告別式頃の顔はずっと穏やかに変化して行ったのだが、毎晩こうちゃんにお経をあげて貰ううちに生まれて来た時の無垢な状態に戻れたのかも知れないな・・・。少なくとも、私はそう信じている。 私が死んだ時も、こうちゃんはお経をあげてくれるだろう。カトリックだろうが日蓮宗だろうが関係ない。死者の魂を送る気持ちに差はないはずだ。でも、その頃にはこうちゃん・・・すっかり惚けちゃっていたりして・・・。
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