アイン

今頃帰ったの?

Apr.16,2002

朝のうちに出掛けて、夕方に戻って来た。今日は久々で都会に出た。ここ近年、都内に行くと言っても専ら猫のお届けや捕獲目的であった。もっと遠くまで・・・15匹の猫の救出で新座にも行ったけれど、都内は環八を走ったという程度だった。今年は、ぴーさんの家にロイ改め「のんき」君をお届けするのに世田谷に入った。その少し前には、パステル兄妹を羽田に迎えに行ったので大田区だ。いずれも多摩川からそう遠くないので、横浜とは近い。1月にテレサ・ちんを送った(いや、送らせて頂いた)時には、久し振りで目黒まで行けて感激した。

そんな訳で、都内まで行くのは専ら猫かタヌキ(に似ている人間)を運ぶ場合だけだったのだ。それがどうだろう?今日は、猫も乗せずに渋谷・赤坂まで行ってしまった。素晴らしい行動力。(もちろん私の基準だけで言っている。)

何を隠そう(いや隠す必要はないのだが)、渋谷は私の古巣である。しかも本籍が渋谷にあるので、急ぎで戸籍謄本が必要な時には渋谷区役所まで出掛ける事になる。今日はその用事のついでに、渋谷に本部を持つホームレスの支援団体に支援物資をお届けする予定にしていたのだ。そしてその後で、テレサ・ちん様とランチをご一緒するという按配である。

「どういうルートで行こうか?」とこうちゃん。「東名か第三京浜だね」と私。東名川崎インターまで行くのも面倒で、近場の第三京浜川崎インターから高速に乗るが、ご存知の方も多いと思うが、川崎から乗ると料金所を過ぎて何キロも走らずに終点である。それで50円。馬鹿らしくなるような距離ではあるが、要は多摩川を越える橋をどれにしようかという問題なのだ。橋のある道はそう幾つもないものだから、どの橋を渡って行くかが川越えして行く場合の重要なポイントだ。中原街道を丸子橋で渡るか、246で行くか、東名か第三京浜を使うか・・・というのが我が家からの選択肢である。第二京浜(国道1号線)や第一京浜(国道15号線)は、今回は目的地へも家からも遠いのだ。

環八はあまり走りたくなくて、直ぐに目黒通りに出てしまった。今日の「猫雑記」はルート説明が殆どだから、遠くの方にはチンプンカンプンで申し訳ないし面白くも何ともないだろう。しかし私は道や地図が好きなので、どういうルートを使ってどこに行くか・・・という事は、本当に大切な関心事なのでお許し願いたい。

2つ目の目的地が明治通り添いなので、そのまま目黒通りを上って行っても良いのだが、最初に区役所を済ませないと時間が計れない。仕方ないので、目黒通りからは環六(山手通り)を行く事にした。その辺りも極めて懐かしい場所である。大学生の2年〜4年までの3年間、中目黒に住んでいた。その後30歳前後の2年間も同じ辺りに住んだので、良く知っているエリアのはずだった。ところが道こそ変化していなかったけれど、辺りの風景は一変していた。

レナウン本社や目黒警察署、スタンレーのビルは当時からあった。しかし学生時代に行っていた銭湯はなくなっていたし、殆どが知らないビル群の町並みに変わっていた。白地に黒文字のダサイのれんを下げた「ブラジル食堂」はなかったし、当時ですら古色蒼然としていたので仕方ないが、古い風情ある建物が殆ど無くなっていた。建物の正面だけを銅板で覆った、独特の古い店舗の並びは消えしまった。あの頃、写真を撮っておけば良かったなあ・・・と思う。

山手通りを走り、NHKの前を通って渋谷区役所に辿り着く。区役所では滞在時間およそ1時間。そこからは裏道を通って明治通りまで出る。相変らず渋谷は凄い人出だ。しかも歩道に立ち止まってアイスクリームなど食っている。平日の昼間から、いい歳をして何をしているのだろう?と田舎者は今更不思議に感じるのだが、渋谷って前からこんな場所だったよな。

宮下公園の脇で先方と待ち合わせて、支援物資をお渡しする。喜んで受け取って頂けた。また持って来ようと思う。何事につけ、私達夫婦は単純なのだ。肩の荷も車の荷も下りて、スッキリして今度は溜池方面に向かった。既にお腹がペコペコである。早くテレサ・ちんと会って、美味しいものが食べたい。青山あたりは抜け道を良く知っているので、名ナビゲーターの本領発揮である。

待ち合わせすべきはアークヒルズであったのだが、あっと言う間に溜池の交差点まで行ってしまい、仕方なく右折したが、そこからアークヒルズの裏手に回る右折路が見あたらない。気が付くともう虎ノ門だ。「田舎者だからつい虎ノ門まで来ちゃったので、これから引き返します」と電話を入れる。とっても近くまで来ているのだ。なのになかなか近づけない。こうちゃんも私も、本当に久し振りの六本木界隈だもの。あれ?名ナビゲーターはどうした?得意エリアから出たので仕方ないさ。

テレサ・ちんに指示された通り、アークヒルズの地下駐車場に車を入れる。警備員に一般車両は身分証明書も提示させられ、トランクがあれば開けて点検されるところであった。随分と警戒厳重なのだな。しかしワゴンなので、外から中身が見えからパス。猫のフードが山ほど積んであったので、別の意味で変な車だと思われたかな?

エレベーターで地上まで出てから、「着いたよ〜!」と電話する。携帯なしでは、こういう複雑怪奇な都会での待ち合わせはとても出来なかっただろう。何たって天下の森ビル・・・いやアークヒルズだ。中に入ったのは初めてという田舎者である。

程なくテレサ・ちん登場。何を食べようか?という事になり、ご飯も味噌汁もキャベツもお代わり出来るという事で、とんかつに決定。横浜市港北区の田舎でも食べられるものではあるが、もの凄く空腹だったんだもの。待ち合わせた地点にはイタリアンの店があったけれど、「そこは量が少ないの」と言うので却下。アークヒルズの中の「和幸」に行き、ひれカツとエビフライのセットを3人とも注文する。

ご飯はやや柔らかめだったが(しかしお代わりはちゃんとした)、しじみの味噌汁も糸のようなキャベツも、カツもフライも美味しかった。テレサ・ちんと会うのは数ヶ月振りである。彼女が新居に越したり年度末だったり、こちらも葬式があったり里親募集のトップシーズンだったりで忙しく、気付いてみると最後に会ってからゆうに3ヶ月は経っている。会えないからどうだという事ではなく、月日の過ぎる早さに驚愕するのだ。

テレサ様はお仕事を食事の為だけに抜けていらしたので、名残り惜しいけれど1時間と少しでお別れする。愛猫「ぷうさん」やぷう母の話を聞き、こうちゃんとは少しだけ(いいのか、あんなに少しで・・・)仕事の話題にも触れ、引っ越しで整理した荷物の中から新品のバッグ等をオークション用に頂いた。そう、《猫の手倶楽部》資金集めに、個人でオークションをする事にした。その企画は、また後日!

帰りに青山の「紀ノ国屋」でスパイス類を買おうと決めていたので、来た道を戻る。六本木通りから骨董通りへ回り、青山通りにぶつかった向こうの角が「紀ノ国屋」である。駐車場に入れ、さっさと目当ての物だけ買って出て来る。いつまでも見ていると、欲しい物が「これでもか!」という位に並んでいるのだ。ブランド物や洋服にはとんと関心がないが、こういうスーパーマーケットに行ったらお金がふっ飛んでしまう。紀ノ国屋でしか買えそうもない物だけ買う事にして、それでもスパイス12種類とピタパン1袋、芝崎納豆(大粒で凄く美味い)1個買ったら、1万円でおつりが殆ど来なかった。ガ〜ン!高いのは納豆でもピタパンでもない。スパイスが高価なのは、コロンブスの時代と変わりない。(そうでもないか・・・)

そこからは、鶴見のエサやりにまっしぐらだ。どこから行く?と又もこうちゃんが尋く。こうちゃんに自主性がないのではなく、私に決めさせないと、もしも迷ったりひどい渋滞があったりした時に私の機嫌が悪くなるので、私にきちんと責任を持たせる為の巧妙な優しさである。

結局、また環六を大崎郵便局の辺りまで戻り、そこから第二京浜に出た。都心を離れるにつれ、夕方になっているのに渋滞が少なくなって来る。店の多いエリアはやっぱり駐車車両が多いし、違法駐車は渋滞の原因の最大のものだと思う。川崎まで来てから、第一京浜に入る事にした。いつまでも第二京浜を行っても、やがて鶴見の駅の手前では大混雑地帯の一角が待っているのだ。

エサ場では、既によりこが来ていた。「よりこ、よりこ」と言っていると、塀の向こうにハナクソの顔が見えた。まずい・・・ハナクソの名前を優先しなければ、ハナクソに申し訳ないではないか。誰かが啼いている。ここで野良猫の鳴き声を聞くのは珍しい・・・と思ったら、ティムだ。ティムはお喋りだ。耳ピアスのついた猫ばかりを見るのは嬉しい。しかし、大きな茶トラが現れて、エサ場に一番乗りしてしまった。かつてのブスアカと似ている。アカほど大きくて、顔はブスアカほど不細工だ。尻尾は見事な輪っか模様で、横広の顔に寄り目のオス猫だ。こいつも捕まえて去勢しなければなるまい。

凄く喉が乾いていたのだが、とにかく家に帰ってからアイスコーヒーを作ろう!という事にして家路を急いだ。随分とあちこちを回ったので、とても疲れた。いや、都会の雑踏に酔ったのかな?それにしても、本当に懐かしい場所ばかりを訪ね歩いた(車だけど・・・)一日だった。まるで『舞踏会の手帖』のようだな。違うか・・・。

家に戻って猫トイレの掃除をしてから、念願のアイスコーヒーを飲み、ホッとしたところに電話が入る。先日電話でアドバイスした、へその緒付きの赤ちゃん猫を拾った男子大学生からだ。実は今朝も電話を貰っていた。捨てられていた2匹のうちの1匹が、昨夜から哺乳瓶のミルクを飲まないという事だった。スポイトでも良いので兎に角少しずつでも飲ませて欲しいという事を言い、ウンチとオシッコの状態を尋き、保温の方法をお教えする。

しかし不安は残った。病院に連れて行けば済む事ではないような気もした。ミルクを飲めない限り、どんな延命処置をしても駄目だと思うからだ。獣医に預ければ全てがOKという事ではない。栄養剤を注射しようが点滴して貰おうが、口からものを入れられない場合は死んでしまうのだ。

やはり、その1匹は命尽きてしまった。彼はとても悲しんでいた。こんな小さな命を捨てる人間がいる事に怒り、その命を守ってやれなかった事を悔やんでいるようだった。これから梅林のある公園に埋めに行きます・・・と言っていた。彼の家族のマンションの近くにある土のある場所は汚いので、少しでも綺麗な場所で花見客が少ない所を選んで埋めますと言っていた。わずか3日だけ世話をしただけでも、それ程に大切に思っているのだ。

そして今大切なのは、残った仔猫を幸せにする為にも先ずは立派にミルクで育てて、里親さん探しを一緒に頑張りましょう・・・と話し合う。明後日、一度家まで伺う事にした。2匹ともに名前を付けてあげておいて欲しいと伝える。

一度も目を開けないままの仔猫だったけれど、彼の優しさに触れて暖かい場所で旅立てた仔猫は・・・そして自分の為に涙を流して貰えた仔猫は、短くともきっと幸せな一生だったと思う。天国には鶴見の怜ちゃんもいるし、ニャムちゃんもクーちゃんも、ダイちゃんもいる。チャー君もゴマの茶トラの赤ちゃんもいるからね。
ゴマの独り言

ママたち、今日はずーっとお出掛けしていたので、あたしはまたまた寂しかったのよ。帰って来た時、あたしは嬉しくてテーブルの上で一人でゴロンゴロンのたうち回っちゃったわ。

ママったら最近、「ゴゴゴゴ、ゴマちゃん、ゴゴゴゴ、ゴマちゃん♪」と変な歌を歌うので、それはやめて頂きたいわね。あたしはみょーこ姉さんの家の乃り子みたいに、背中ポンポンされても「ゴゴゴゴ・・・」なんて啼かないもん。

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