ベロを出しっ放しにしている事が多いのは、圧倒的にミュウとジャムだ。ではデブがベロを出しっ放しにする事が多いのかと言えば、あながちそうでもないらしい。ゴマもベロを出して眠る事が多いが、決して太ってはいない。ジーコにはあまり見られないのだが、いつもおどおどと緊張しているせいだろうか?ベロが出っ放しの顔はマヌケだが、性格がマヌケな精神構造をもたらさないとそうならないのかな?それにしてもミュウのベロは厚みといい丸さといい、たいへん美味しそうであった。
今朝、みょーこ姉ちゃんからこんなメールが入っていた。
エサやりを続けて10余年、人目につくところで死ぬ野良猫というのは凄い事だ。日頃、時間と愛情をかけて丁寧に接していないとこんな事はとても考えられない。私のエサ場では、幸か不幸か猫の遺骸を見た事がない。病気で保護したものの手遅れで、入院先で死を看取った子はいても、あとは何時の間にか姿を見せなくなったというケースばかりだ。 みょーこ姉ちゃんがエサやりをして避妊している事に関して、通りがかりの外人さんに「貴女は何故こういう事をしているのか?仔猫が生まれるのは自然な事ではないのか?」と訊かれた時、「私はもうこれ以上、猫の死体を見たくないんです」と答えたと言う。去年ドロシー(SUNちゃんの母猫)がお山で死んだ時も、ねえちゃんは泣かなかった。何度も捕獲を試みたものの遂に捕まらず、この世にたくさんの子供たち(全て避妊済)を残し、誰にも媚びず天晴れな一生であったと賛辞を送っていた事は記憶に新しい。 しかし、何年間も毎朝毎晩大事にエサやりとケアを続けて来た大事な野良猫が死んだ時、その心の中は人には推し量れない感情や悲しみがあっただろうと想像する。人には決して言わないだけだ。それがあの人の美学なのだから、私も敢えてお悔やみも慰めも言わないが、今回の玉男の死についても名状し難い気持ちになった事だけは確かである。姉ちゃんが死んだ時、姉ちゃんが玉男に思ったのと同じように思ってやるよ。悲しむ事はせず、姉ちゃんの「生」を反芻するよ。しかし私の方が先に死ぬ可能性も高いのが難点である。 様々な相談が毎日あるが、今日は捕獲器を貸し出した相手から(この人は外国人であるのだが)来月末帰国する時に母子猫4匹を連れて帰りたいというものだった。これから捕獲する母子の野良猫だ。病院の紹介もしてある。しかし、野良に戻す事はとても出来ない環境であると言うのだ。動物検疫の問題もあるだろうし、先ずは捕獲がきちんと出来るかどうかも判らないのだが、そこまでの決意なのかと思い、出来る限りの協力はしようと思っている。 しかし電話とご相談が多く、時間がとても足りない。明日こそ、人並みの時間にベッドに入りたい。
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