栗が大好物だった舅が生きていた頃は、毎年シーズンには何度か栗ご飯を炊いていたのだが、今年はもうおそらく作らないだろう。栗ご飯が別段嫌いではないが、あの栗の皮を剥く手間を思うと、わざわざ食べたいものでもない。ニッパのように手に握り込んで使う栗の皮剥き専用の調理器具もあるにはあるのだが、せっせと皮むきしていてハッと気付いた時には、握っていた親指の付け根内側の部分がマメになり、ずるりと皮が剥けていた。自分の指の皮を剥いてどうする。それ以来やはり包丁で剥いていたが、やはり面倒な割に食べても感動する程好きではないらしい。もう一生、生栗の皮は剥きたくないと思う。 それでもマロンパイなどは好きだ。それも栗の渋皮煮のゴロンと入ったものなど良い。実は今、それを食べているところだ。今日はシュークリームまで食べた(マルコはクリームを舐めた)。どうも疲れると甘いものが食べたくなる体質になってしまった。これは昨年まで長年勤めた会社での、女子社員たちの悪癖の影響であると確信している。元々はご飯をしっかり食べるし、愛煙家であるせいか(口がまずくなるから)間食をしなかったのだ。今は、食べたいものを食べたいだけ食べる。節操が無いと言えば節操が無いし、どうせ短いこの一生、好きな事をして生きたいと思う気持ちも強い。 昨夜のエサやりでは、レギュラー陣は全員出て来てくれたが、捕獲したいと思う新顔の三毛は現れず。とぼとぼ帰る(と言っても車だが)。これが自宅の庭であれば、一晩中でも捕獲器を仕掛けておけるのに。ま、ぼちぼちやるさ。いないものは捕まらないんだから。 あれほど私を心配させたマルコお坊ちゃまは、今日は機嫌よく鳴きながら(いささか威張って鳴いている感じもするが)部屋中を闊歩している。目が合うと何か訴えて「みゃ〜」、先程まではPCに向かう私の腕の中でクッタリと眠っていた。「また甘えてくれて有り難う!」と、すっかり若い性悪な小娘にヤニ下がったオヤジのような気分である。いかん、こういう事ではまたまた敵を付けあがらせてしまう。でも私には、甘やかす事しか出来ないのだ。 たまに諄々とお説教を聞かせたりはしているが、果たしてどれだけ効果があるものか。しかし、猫は叱っても無駄だという事だけは確かだ。それは悪い結果を引き出す事はあっても、しつけている事にはならない。もししつけるとしたら、母猫になったつもりで愛猫の頭に噛み付く位の事はしないと。叩いて叱ってしつけるなど言語道断。犬と猫では違うのだ。猫は、あくまでも飼い主と同列・対等に並ぶものだ。犬のように、リーダーが必要な生き物ではない。こうしてますます、我が家の猫たちは我が儘で甘ったれで根性なしになっていくのだろう。それでいいのだ。しかし、いずれはマルコの去勢は必要だ。その時が来るのが怖い。根性なしは、飼い主の方だったのか! シャスケがももちゃんの家に貰われて、早や7ヶ月。10歳という年齢で飼い主に捨てられたシャスケは、一種諦めにも似た境地で生きているかに見えた。ももちゃん一家はあせる事なく、シャスケの自主性に任せて、ひたすらそっとしておいてくれた。そして昨日、遂にモモ家の猫たちの一番の特等席である出窓の陽だまりで、シャスケが初めてお昼寝をしたというのだ。その様子は日記『ももの毎日』でも見られるのだが、特別に写真添付で送ってくれたのだ。「こうちゃん、シャスケだよ!」とこうちゃんを呼んで、二人で喜んで眺めた。目を細めたシャスケは、静かな満ち足りた表情に見える。良かったね、シャスケ。 たぬき君も、このシャスケに続け! うちの場合など、毎年1匹ずつ増えて来たが為に、アインをはじめ年寄り猫たちの負担はずーっと続いてしまった。こういうのが、一番下手糞なやり方だったのだ。うちの場合は今更言っても仕方の無い事だけれど、皆さんはこの轍を踏まないようにして欲しい。仔猫は2匹以上で・・・!
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