マルコ

じじむさい

Jan.6,2003

晴れた寒い朝だった。家を出てかなり車を走らせてからも、外気温は0度のままだ。しかし不思議と道は空いていた。仕事始めの会社が多いと思って覚悟して早目に出たのだが、どこの混雑ポイントもスイスイ行けた。いつもこうだと良いのに・・・。

ラボに着いてフルトさんとエントランスのところで一服していると、昨年末に片付けずに帰ったデカい灰皿の溜め水が凍っている。ヤニが溶け出した茶色い水だ。表面薄氷ではなくて、しっかりと底まで凍りついていた。まるで煮こごりのようだ。外も寒いが、ラボの中はもっと寒い。午後にならないと暖房が効いてこないという不思議な建物だ。今日も電気膝掛け大活躍。

さて、勤労意欲は戻らないと言うのに、いきなり今日から地獄モードに突入。「お尻」の決められた仕事が幾つもある。パンフレットの作成とと技術展の準備、外部広報機関への資料提出・・・今の段階では一人で何もかもだ。甘えた事を言えば孤独だ。しかしその孤独は、それぞれ孤独な仕事を抱えている仲間の存在で随分と癒されるものでもある。頭数少ない職場には嫌なタイプの人間もいるけれど、殆どは思いやりのある大人だ。また頑張ろうと思う。

毎日ミーティングが行われる中で感じるのは、本題と違うところで言外にあるものを読み取ろうとする人間が意外に多い事、そしてそれがどんどん話題をずらせてしまう事が多いという事だ。文学の討論などではなく科学者の集まりですらそうだし、顔を突き合わせて直接討議していてもそうなのだから、我々一般人が掲示板やメーリングリスト、ひいてはメールだけで話し合っていると、論点が意外な方向に拡大し散逸してしまう事が多いのもうなづける。

しかし日本には「意、言外にあるを尊ぶ」という精神土壌があった。行間を読むなどという言葉もある。それが大切な事である場合(相手の心を推し量る必要がある場合)もあるが、具体的な問題解決の為にパーソナリティが違う人間同士がプランを出し合う場合には、言葉に表現された情報だけを検討・整理した方が良い場合が多い。情緒的過ぎてはいけないし、相手は自分とは異なる価値観・精神文化を持っているというのは、それこそ「暗黙の了解」であるはずだ。改めてその精神的背景の差異を表現する事は、問題解決には必要ないのだ。会議の場では、不必要にニュアンスにこだわったりしないで貰いたい。ただでさえ多いミーティングの時間が長引いてかなわない。

しかし大人になりきれていない人間が多いから、やはり「こだわって」一言発言してしまう。これは自分への戒めでもある。今はどのミーティングに於いても超ど素人なのでひたすら黙って聴いているが、自分の分野に関しては簡潔明瞭であるだろうか?至誠に悖るなかりしか?(ちょっと違うか・・・)

帰りにカクモト先生とヤマダさんを送って来たので、鶴見のエサやりに立ち寄れなかった。これから出発だ。やれ忙しい。急いで行って、帰ったら早く寝よう。目標12時半!

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