マルコ

綺麗な歯

Mar.27,2003
にゃ〜にゃ〜、あぉあお、ぎゃ〜ぎゃ〜と騒々しい鳴き声で目が覚める。このところ毎朝だ。間もなくこうちゃんがドライフードを入れた3つの皿を携えて和室に入って来る・・・そして私は起きなければならないという合図だ。それが大体5時だ。こうちゃんは私よりも30分早く起き、寝るのも30分程遅い。計算すると3時間半しか寝ていない事になる。もともと同じように睡眠時間の少ない二人だったが、私が先にバテて来た。こうちゃんなしでは、今の仕事とサイト運営をしながら11匹と暮らす事は到底不可能だろう。一人で頑張っている人には申し訳ないが、私の場合はそれが現実だ。

それにしてもルス・リマ・カワムラは、本当にナチュバラのドライが好きだ。カワムラなど最初の頃は仔猫に頭突きしてすっ飛ばしてしまって、独占的に食べようとしていた。今ではルスとリマも大分体が大きくなり、決して負けてはいない。この3匹は、今では本物の家族のようだ。見事に仲良しだ。肩を寄せ合ってささやかな幸せを楽しんでいるように見える。寒い時期にうちにやって来た、それぞれの背景を持った3匹。この子たちと触れ合う時、こんなにも求められていると思うとしみじみと有り難い気持ちになる。命を助けたようで、実は救われてもいるのだ。これは猫との関係だけでなく、人間同士でも成り立つ関係なのかも知れない。

時折、価値観の違う人から批判的なメールを戴く事がある。かつては熱烈な賛辞(これ自体が先ずおかしいのだが)を送って来た人に限って、ある時猛烈に反発を感じるようだ。しかし理由は兎も角として、私に対して嫌悪を感じるようになれば同じ現象を見ても否定的になるのは当然の成りゆきだろう。それは、これまでにも何人もに学ばせて貰った来た。そういう不安定で抑制の効かない感情に対して、反論する気持ちにはなれない。お金を得る為に働いていない、議論する時間が潤沢にある人には、とてもじゃないが太刀打ち出来ない。議論はそういう人同士にお任せして、私は「生活」をさせて戴く。自分と仕事と猫たちとの関わりは、これで良いというものがなかなかない。

他人の評価は、今の私にはどうでも良い事だ。自分がどうしたいのか、どうしたら少しでも満足に近づけるのか、どうしたら自分の価値観に恥じる事なく毎日を生きられるのか、その最低限度の基準を満たすだけでもかなりの努力を要する困難な事なのだから。私やみょーこは、いつどうなるか解からない難病患者だ。残り時間がないかも知れないという不安は、常に根強くある。だからと言って悲観的になる事はないし、焦って生きているつもりもない。但し、無駄を省きたい、そして自分のやりたい事に集中したいという思いは、もしかしたら人よりも強情なまでに強いのかも知れない。

私が公開している事に対しては、他人がどう批判しようが、どういう感想を持とうが、それは見た人の自由だ。しかし自分の価値観と違うからと言って、それをいちいち私に言って来るのはやめて戴きたい。私も人には干渉しない。当然の事として、私も人には干渉されたくない。死んだ舅の一番嫌いなところは、とりもなおさず干渉好きであったという部分だった。実の親にも干渉されるのは厭だ。尤も私の両親は、干渉するどころか寂しい程にあっさりしているが。限られた時間を、観念的な事柄で議論するような無駄は、一切したくない。暇人と言われて腹が立つかも知れないが、どう詭弁を労したところで、議論していられる人は暇人である事は事実なのだ。その時間が羨ましいが、その生き方は少しも羨ましくない。

今朝のランランは、私が部屋に入って行くと直ぐに駆け寄って来た。甘えた声で鳴き、床にコテンと転がってお腹を見せる。抱くとゴロゴロと盛大に喉を鳴らす。リンリンは抱っこはあまり好きではないみたいだが、それでもしつこい位にスリスリしながら私の周りを歩き回る。2匹だけだから寂しいんだね。この子たちとも一緒に寝てあげたいのだが、自分をどう配分していくのか、これからまだまだ自分と猫たちの様子を見ながら検討の余地はある。
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