ミュウ

不調なのに丸々

Jul. 3,2003
朝、出勤する道すがら、尻手黒川道路から市電通りに右折して直ぐの右手に、「ビリケンヤ」という看板のある普通の一戸建ての2階家がある。何だろうといつも不思議に思っていたので、今日遂に検索してみたら、出た。川崎で60年、駄菓子やオモチャの卸問屋をしているとあった。住所も柳町だから、まさにあそこだろう。ちょっとスッキリした。

インターネットの検索機能は、確かに便利だ。手元に百科事典もなく、あったとしても最新の情報は網羅されていないから、たとえ玉石混淆だとしてもかなりの情報が得られるのは有り難い。あとは自分で、怪しい情報に惑わされないようにするだけだ。昨日も、フルトさんに「国土数値情報」を英語で何というか聞かれたが、検索してやっと判ったという次第。

SOSのインデックスに、先日「虐待されて舌を切断されたむーちゃん」を載せたばかりだが、今日は「交通事故に遭って、眼球破裂・顎骨折した白たん」を載せた。もともと里親募集に掲載依頼が来たものだったが、写真を見て愕然とした。

試されているんだろうな・・・常に自分の度量と向上心と誠実さを。新しい猫を見る度、それを感じる。

ある人は見なかった事にし、ある人は誰かに伝えるだけで役割を果たしたと思いたがり、ある人は後先考えずに手を差し伸べる。どれが正しいと言っているんじゃなくて、私ならどうするか・・・といつも考えている。

自分の限界を知る事は大切だが、自分に限界を設定しては駄目だ。時間と金と体力は有限だ。何かを受け入れれば、何かを犠牲にする以外ない。然るべくしてみょーこはTVを捨て、旅行や化粧をせず、亭主を捨て、エサやりに人生を充てこむ。私も寝る時間を極限まで削り、親戚や友達に不義理をし、町内会の回覧板すら見ず、変人の暮らしを極めて行く。そうしなければ、あれもこれも全て手に入れる事は出来ないからだ。

何かを手に入れる為には、何かを犠牲にする必要がある。手に入れようとするものが大きいほど、犠牲は大きくなるのは当然だ。一切の犠牲を払わずに欲しいものだけ手に入れようとしたら、それは虫が良いし、実際には手に入らないだろうと思う。形だけ手にしても虚しい。しかし、何故それが出来ないかというエクスキューズに関して能弁な人は多い。あまり聞きたくない事だ。

でも最初はきつかった事が、次第に出来るようになる。慣れって凄いな。無限ではないだろうが、キャパシティを大きくしていく事はある程度可能なのだ。そしてその裏には当然の事ながら、新しい犠牲をチマチマと積み重ねて払っているのだが。みょーこのように、いきなりスパッとTVを捨てたり出来ないところがいじましいのだが。

みょーこと言えば、今日の掲示板でみょーこが書いていた。『キーン(蚊の羽音)で目が覚めた。左の耳のあたりにいる。「このヤロー!ゴン!!」自分に力一杯パンチして、以後寝られなくなった。』何という事のない報告だったのだが、実は私も昨夜、左の耳の辺りに蚊の羽音を感じて、思いっきり自分の耳を叩いた。それで仕留めた訳ではないのに、不思議と朝まで刺されずに済んだ。蚊は好んで私の血を吸いやがるから、一晩中一緒にいて刺されないなんて事は稀有である。その証拠に、今日の午後ラボの駐車場でクワハラさんが運転席のシートを取り替える作業を見ていたら、ボコボコ刺された。果たして昨夜のあれは現実だったのだろうか?眠れないでいたみょーこの念波かな?

しかし、それでは眠気に負けた私だったが、3時頃に凄い声で起こされた。猫の喧嘩の唸り声だ。我が家ではついぞそんな声を聞いた事がなく、何事かと思って飛び起きた。キッチンの出窓にカワムラのシルエットが浮かび上がっていた。近づくと、網戸と格子戸の向こうに、外飼いされているどこかの家の猫の姿がチラリと見えた。勝手口に据え付けられたスチール製の物置の上に陣取った猫某が、距離わずか1メートルのところでカワムラに唸られていたのだった。

カワムラは外を眺めるのが好きだが、こんな事態は初めてだった。うちに連れて来た頃は、和室の濡れ縁に来る黒猫が心の友だった(らしい)のだが、ルスとリマが来て以来、ガラス戸越しのお付き合いは解消されたようだ。今回は、可愛い可愛い娘たちを守ろうとしたのか、いつになくカワムラは男だった。尤もルスとリマは、部屋の反対側の公園側の出窓でぐうぐう寝ていて、怯えてすらいなかったのだが・・・。あんまり吃驚させんなよ、ただでさえ寝不足なんだから。


ゴマ

しんなり

Jul. 3.2003

一昨日、不在票が入ってしまった料金着払いの荷物(ジーコの為の「カロリーエース」だが)を、昨日の夜8時過ぎに再配達指定していたら、とうとう届かなかった。今日こうちゃんが電話をしてくれたのだが、受け付けの女性が「お名前さま伺えますか?」と言ったらしく、昨日待ちぼうけ食わされて怒っていたこうちゃんは「大した事じゃないんですけどね、その『お名前さま』というのはやめませんか?『お名前』だけで充分だと思いますよ。」と教育的指導をしたようだ。よほど頭にきていたのだろう。約束が守られなければ、それは腹が立つ。有料の仕事なのだから。

しかしあちこちでこの「お名前さま」という単語に出くわし、私とて気持ち悪くて仕方ない。以前の会社の営業の女の子たちが、「会社さん」と言うのも相当に気持ち悪かったが。姑が公園の滑り台を「お滑り台」と言っていたのも「おビール」と同様嫌だったが、どうも言葉の使い方に口うるさい年寄りになりそうだな、ワシら夫婦は。

前日の「猫雑記」へ 翌日の「猫雑記」へ


月別INDEXへ戻る

「猫雑記」INDEXへ戻る

inserted by FC2 system