ミュウ

デブで可愛い

Jul.10,2003
今日も色々と腹が立つ。

自分の手の内は隠しておいて相手から回答だけ引き出そうとする姿勢の人は、女子高生の昔から嫌いだったし今も嫌いだ。それはフェアなやり方ではない。悪意があるかないかなど関係ない。人に不愉快にさせる方法で情報を引き出す事は、私にはしたくない真似だ。一体何様だ?


留守電に「お電話下さい。待ってます。」とご婦人の声で入っていて、誰だろう?と思いつつも、あまりに多くの人たちを相手にしていると忘れている人も多いから、つい電話をかけると「ああ、間違えました」とケロリと言われる。

あるいは切羽詰まった相談者にメールで長々と返信している時間や気力はないから電話すると、非通知ではとらない人が多い。頭に「186」を付ければ通知されるが、これはNTTのサービスであり、その通話はNTTに料金を支払う事になる。何の為にBBフォンにしたのか、これでは解からないではないか。BBフォン同士だったら電話代が無料、BBフォン以外の相手には全国どこでも3分間7.5円、それが「売り」だ。


私はおこがましくもご相談をあちこちから受けているし、代理で猫の搬送もするし、代理で里子出しするのに自腹で医療費も出し、里子に出す時にはキャリーも買って渡すが、だからと言って私に対して一切の寄付は受けない。寄付金《猫の手倶楽部》の基金は、私以外の「頑張っている個人」への支援にしか使わない。これだけは譲れない私のこだわりである。

従って、当然の事ながら通信費も搬送のガソリン代も高速代もサイトの維持費も自腹だ。全国を相手にしていると、毎月の電話代は物凄かった。月に5万は下らない。これを少しでも節約したいからBBフォンにしたのだ。しかし非通知では電話を受けないという人が、何と多い事か。

「非通知」や「通知不可能」では電話をとらない人には、金輪際私の自宅からは電話がかからないと思って下さい。メールでは返事出来ない日が多いんです。電話なんか嫌いだけど、仕方なく電話で済ませているんです。これが使えなかったとしたら、川口からは返事はない場合もあると思って下さい。

久し振りでお通夜に同席してみて思った事・・・昔からお通夜には線香を絶やさない事になっているが、それはもしかしたら線香の煙に乗せて故人の魂をあの世に送る等と言う綺麗事ではなくて、死体の腐敗臭を誤魔化す為ではなかったのか?とふと思った。昔は今のようにドライアイスなどなかったのだし、この季節あっという間に死体は腐敗するだろう。不謹慎な事を言うようだが、それは多分とても臭いだろうと思う。

だって、カワムラさんの蓄膿の息は凄く臭かった。今でこそ大分マシになったし、私も鼻が慣れたのかも知れないが、かつては鼻から息が吸えない位に臭かったのだ。蓄膿の仕組みは良く解からないが、膿が溜まって腐っているとしか思えない臭いだ。人間の蓄膿は知らないけど、少なくとも猫の場合はそうなんだ。

死骸だって容赦なく腐る。胃液は胃を自家溶解させると聞く。血も腐るだろう。男性には読まれたくないが、女性の経血だって体外に出た途端、直ぐに腐って臭くなる。こうちゃんは、かつて勤務先の会社の社長が社内で殺害されて、その現場を見せられた。夏の盛りの事件で、現場は血の海、指紋採取の為の銀色の粉をあちこちに叩いているので、それが飛散しないようにとエアコンを止めた室内は、腐った血の臭いで息も出来ない程であったと言う。

人間だけではないが、生命活動を停止すると身体は腐るのだ。腐った肉体は、耐えられない程の臭気を発するだろう。(度々言うが)不謹慎ではあるものの、遺体と向き合う度にその事を思わないでいられない。線香とは、あくまでも「香」なのだな。

ジャム

デブでも可愛い

Jul.10.2003
ジーコとジャム

ジーコに、今日から仔猫用の缶詰を与えてみている。もう添加物だの原産国だのとこだわっているよりは、少しでも食べてさえくれればそれで良い。アインが一時の激痩せから復活出来たように、ジーコの生命力がまだ尽きていない事を信じたい。食べ終わるまで付きっきりで、他の猫(特にジャムやマルコ)が近寄らないように牽制しつつ、一口でも多く食べてくれるものを、また毎回試行錯誤しようと思う。今日は仔猫用グロースを含めて10種類位を買い込んだ。ちょっとだけ舐めると「もう要らない」と98パーセント位残すが、残ればアインやミュウが競って食べ、最後はマルコが皿まで舐める。ナチュバラ缶は身体には良くても、いささか飽きたみたいだね。

SOSの「白たん」が死んでしまった。会った事のない白たんだったが、その訃報にはいささか参った。身内の人間の死よりも辛いのだから、私も人から見たら非情だろうな。ある程度長生きした人間の死は、別段悲しいとは思えない。もう充分にその生を生きただろうし、同情する程の事ではない。私も遠からず死ぬだろうし。

しかし小さな身体で生きる事に精一杯の無邪気な生き物の不慮の事故や苦しみ、そして短い生の終わりに対しては、どうしても不憫でならない。病院のケージから保護主の家に引き取られて間もなくの死だった。大切に思ってくれる人の手元で息を引き取れた事が、何よりの救いだ。うちの子たちも、絶対に病院では死なせたくない。

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