コ゜マ

冬の日差し

Dec.4,2003
2003年12月4日
本格的に冬らしくなって来た。寒い。そのせいなのか、ぶーちゃんが自発的に布団に入って来てくれた。「おいで」と言わなくとも、頭から潜りこんで来る。そして中で直ぐに落ち着いてしまう。寝惚けながら撫でてやると、ゴロゴロ喉を鳴らす。可愛い。こんな可愛い子が野良猫だったなんて・・・。しかし、思えばみんなもそうだったっけね。岐阜の暢子さんなんて、ゴマを見る度に「こんな子が野良でいたなんてねえ・・・」としみじみと言う。私もそう思う。あんな場所に、毎日毎日置き去りにしていた自分が情けない。

当時はまだ、猫嫌いで横暴な(を通り越して頭のイカレた)舅がこの家を支配していた。たった3匹でも、「猫なんて気持ち悪いものを良く3匹も飼うな」と毎日のように嫌味を言われ続けていた。余計なお世話だ。しかし当時は、階段下にドアも付いておらず、しょっちゅう2階の私達の居室に攻め込んで来ていたのだ、敵は。

舅というのは、スーパーで買い物した来たものまで「何を買って来たんだ。見せてみろ。」と言うような奴だった。「お前に養われている訳じゃあるまいし、何を買って来ようが私の勝手だ!」とは勿論言わず、何年かはおとなしくしていた私だったが、7〜8年経過したある日、いい加減腹に据えかねて「はいっ、これですよっ!」と袋ごと下からフワリと投げてやった事がある。中味は食パンだから空気のように軽かったのだが、奴は吃驚していたっけ。けっけっけ。私も可愛くない嫁になって行ったものだ。当然の成りゆきだがな。

そして今では13匹。この家は、猫を飼う為の家となった。それだけで、もはや我が世の春だ。しかし遅い春が来た時には、我々は歳をとりボロボロに疲れてしまっていた。10年間、根性の悪い舅・姑から受けるストレスを共に潜り抜けて苦労して来たミュウは逝ってしまった。時は戻せない。口惜しい。舅の墓にはお参りしないが、ミュウには毎朝毎晩お線香をあげて話し掛ける。「愛してるよ」と言い続ける。お花も絶やさない。

舅には損なわれ続けて来たが、ミュウには愛を与えられ続けて来たのだから、これは至極当然の結末であろう。顧られない舅を可哀想だとも思わないし、敬わない事を恥じてもいない。そんな事で罰などあたらないし、そもそもまだ舅・姑を許してもいない。そんなに寛容な人間ではないのだ、私は。こうちゃんという生をこの世に送り出してくれた事に対してだけは感謝していたので、最後まで優しく介護はし続けたけどな。温情はそこまでだ。

虚偽と虚栄に生きた年寄りは、死んだ後には物凄い落とし穴も用意してくれていたし、死んだ後も軽蔑している。そして今も尚、こういう醜い言葉を口にしなければならないような境地にさせる亡き舅に、大変苦々しい気持ちである。あんな舅の為に、人格にもせよ品格にもせよ、幾分かの堕落を忍ばなければならないと思うと情けない・・・と、『硝子戸の中』の夏目漱石になってみたが、気持ちはなかなか収まらない。

それに比べて、猫たちが与えてくれる精神効果の優しい事と言ったら・・・。そしてこうちゃんと二人、仲良く年老いて行きたい。そしてあまり離れずに、同じ頃に生を終えたい。

カワムラさん

優しい爺ちゃん

Dec.4,2003

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