出た出た、回虫ウンチさん。淡い色の緩いウンチに混じって、白くてピンピンに活きの良い回虫だった。可愛いレン・タムのお尻から出たと思うと、回虫も美しく見えた。いや、実際神秘を感じた。神様は何故にこんな生き物を創り給うたのかと昨日は嘆いたものの、回虫だってその存在には必然があるのだろう。我々に解からないだけだ。しかし共存して行く訳にもいかないので、「駆虫」と一言で済ませてはいるが、要するに抹殺するのだが。
揚げ足取りの方々は、いつも「猫の命だけ大事なのか?」「牛を食い、回虫やゴキブリは殺していいのか?」と突っ込むしか能が無くていらっしゃるが、我々猫好き達は何も博愛主義を説いている訳じゃなければ、不必要に蚊やゴキブリを殺して回っている訳でもない。見当違いも甚だしいなあ。猫が好きだから、猫を大事にしてるんだよ。単純な事さ。
4月半ばに予定されたオープンハウスの広報が、俄かに忙しくなってきた。役所のある部門に協力をお願いしているのだが、そこの担当者が非情に熱心で、且つ「そこんとこを上手く、ひとつ宜しく」というタイプで、良くも悪くも柔軟なのだ。しかしきちんと因果関係が説明出来ないと、私は叱られる。何度確認しても、どういう根拠で「そう」なるのかが良く解からず・・・というよりも明文化は出来ない世界で・・・結局は子供の遣いのように叱られる。「その根拠は確認していないのか?」「いえ、確認はしたんですけど・・・うじうじ・・・」
情けない。どうして私は、所長の前では萎縮してしまうのだろう?顔が怖いからか?いや、それもあるかも知れない。しかし忙しくとも妥協のない、厳しく吟味するあの能力が、やっぱり先生と生徒みたいな関係を作り出してしまうのだと思う。教授のデスクの脇に立ったまま、採点か添削を待つ学生の気分だ。所長は学者でもあり、トップに立つ人間としてのバランスやかけひきの能力も、企業の社長並みに極めて高いのが解かる。私など、やはり地を這うナメクジだと感じざるを得ない。今日は卑屈だなあ・・・。
隣の組織でも、外部発表に関してちょっとした失敗(独断で配慮に欠けたと言うべきか、あまりにも体制を考えないやり方だった)があり、事後報告のメールを見た時には「これはちょっとまずいなあ・・・」と感じて、それをさり気なく担当に告げたのだが、その後、案の定問題になってしまっていた。意外と反応が大きかったので、担当には気の毒だったけれど、私は仲良く協力し合ってやりたいのに、こちらの組織はちょった疎まれているのかな?なんだか悲しい。