レン

夏向きの顔

Jun. 6, 2004

2004年6月6日 日曜日

人の好みというのはまったく様々だと感心する。かつてドライビールが新製品として世に出ようとする時、渋谷でモニターを依頼された事があった。飲んでみると、どこが美味しいのかさっぱり解からなかった。「甘くない炭酸水という感じ。美味しくない。売れないと思う」と回答したけれど、爆発的に売れ世の中はドライビールのブームとなった。

尤もその売れ方というのは、メーカーの戦略に乗せられて、飲食店などはそれを置かざるを得ない部分もあっただろうと推察する。焼き肉屋に行ってビールを注文しようとすると、他に選択肢がなかったりした事もあった。私の好みは、一般の人々とそんなに違うのか・・・とがっかりした。いや、別段人と同じでなくても私は構わないのだが、好みの品物が手に入らない・入りにくいというのは不便だ。

私自身で、食品のマーケティングと商品開発に携わった事もあった。もう18年も前の事だ。コンビニエンスストアで販売する「サラダバー」の開発だった。レタスとトマト、胡瓜を盛り合わせ、スイートコーンを彩り程度に散らすような、そういうサラダにはウンザリしていた。そんなもの、私は金を払ってまで買いたくないと思った。ならばどんなものだったら、金を出して買う価値があるのか?私の出した答は、ひと手間掛かったものを売ろう・・・というものだった。

切ったり千切ったりして盛り合わせたようなサラダだったら、最悪まな板を汚さずとも作れる。フランス人の友人は、トマトも玉葱も、ナイフだけでサラダボウルの上で切っていた。日本人が、豆腐を味噌汁の鍋の上で手の平に乗せたまま切るのと同じ感覚か。即ち、当時のコンビニエンスストアのメインの客層である、単身者や学生、料理をしたくない主婦でも、そういう簡単なサラダ位は作れるだろうと思ったのだ。そんなものは料理ですらない。言って見ればアレンジメントである。

しかし、例えば茹でた豆のサラダ、ブロッコリーのサラダ、もやしのサラダ、インゲンのサラダ、ライスサラダ、牛蒡のサラダ・・・そういう「料理」されたサラダであれば、自分がかけるべき手間を省け、金を出すのも無駄ではないかも知れない。ちょっとした酒の肴にもなる。売っていれば買いたい。しかもサラダとしてはオシャレではないか。

今ではそれに近いメニューもコンビニの棚にも並んでいるが、当時はその企画は全く受け入れられなかった。ライスサラダなど「三角コーナーの中身のようだ」と散々に酷評された。白菜の葉の柔らかい部分を千切り、袋から出して粗くほぐした夏ミカンと合わせてフレンチドレッシングで和える・・・というレシピも考えたが、手間が掛かり過ぎると却下された。野菜1品だけのサラダというのは地味で、日本では好まれないとも言われた。そうかな・・・クレソンだけのサラダ、マッシュルームだけのサラダ、トマトと玉葱だけのマリネサラダ、春菊の胡麻和えや、糸コンニャクのキンピラなど、これだってサラダと言えるじゃないか、しかも色々とヘルシーにレシピの組み立てが出来るのだ・・・と随分と頑張って主張したけれど、その時点で商品化されたものは皆無だった。相手にしていた会社も悪かったのかも知れない。

その後、私の居た会社は社長の国外逃亡で消滅し、私は2度と商品開発に携わる事はない。時代のニーズを読むセンスと、一般に受け入れられる嗜好ではない事を思い知ったから。そして売らんが為の開発にも失望したし、マーケティングには向いていないのだとつくづく思う。消費者が何を求めているのかに合わせて開発するのではなく、開発者自身が良いと思うものを開発して売る事は、大衆向けの大量販売向きの事業ではないのだ。オーナーシェフのレストランですべき事なのだろうと思う。ま、良い経験をしましたけどね。

以上は食べ物に関してであるが、男の好みにしても、嫌いなCMに関してでも、人の好みは千差万別だ。ちっとも可愛くないし憎たらしいだけに思える「NO●Aウサギ」を、可愛いと言う人がいるのも驚いてはいけないのだ。NHKの『新選組』でも、オダ●リジョーなど少しも素敵だと思えないが、巷ではとても人気があるらしい。きっと私は好みが偏っているのだろう。古くはアラン・ドロンもヘルムート・バーガーも全然好きじゃなかったしな。どうやらヴィスコンティとも男の趣味が違うらしい。
ぶーちゃん

強そうな顔

Jun. 6, 2004

今日のぶーちゃんの顔・・・昨夜TVで観た映画『コン・エアー』に出ていたジョン・マルコビッチの目を思い出す。マルコビッチは好きな俳優の一人だ。『太陽の帝国』も良かった。相変わらず凄い顔で、怖い目をしていた。ぶーちゃんのこの写真の目は怖いようだが、実はとてつもないヘコタレで優しい猫だ。

『コン・エアー』の主役はニコラス・ケイジだが、いまどきの若者よ、ニコラス・ケイジのあの情けない顔に騙されてはいけない。彼は肉体美を誇る男優なのだ。途中で囚人服の上着を脱ぎ捨て、ランニングシャツになった時の、あの身体の露出はもちろん必然ではなく、セックスアピールの為のサービスであり誇示である。『月の輝く夜に』のようなラブ・ストーリーですら、ランニングシャツ姿でマッチョな肉体を誇示していたではないか。薄い頭髪も、溢れ出る男性ホルモンの成せる業、マッチョの徴(しるし)だよ。しかし情けない顔だよな。うちのマルコやジーコといい勝負だな。マルコが強くなれるよう、「マルコビッチ」と改名しようかな・・・。

前日の「猫雑記」へ 翌日の「猫雑記」へ


月別INDEXへ戻る

「猫雑記」INDEXへ戻る

inserted by FC2 system