ペリー

ふくふく

Aug. 11, 2004

2004年8月11日 水曜日

夜が明けてから少し寝て、起きてシャワーを浴びてから職安へ。説明会の日だった。久し振りに曇っていたので、道中陽に炙られる事なくて助かった。ペットボトルのお茶を買って、説明会場へ向かう。もの凄い人数だ。私は50分前には到着し、手持ち無沙汰なので求人情報の検索をしてみた。3件の求人票をプリントしてから会場に行き、30分前には受付を済ませて一番前の席に着く。大学の講義でも自動車教習所の学課教習でも、いつも一番前の真ん中の席に座った。根が真面目だから、どうせ出席するならちゃんと齧り付きで聴きたいのだ。

しかし今日も、開始時間ギリギリにしか来ない人たちの何と多い事か。13時30分開始と言われて、13時30分に会場に着くように来る神経が私には理解出来ない。若い女性の多い事にも驚いた。私は今回生まれて初めて失業保険の受給手続きというのをしたので、見るもの聞くもの初めての事ばかりで新鮮だ。

そして若い女性たちが、この真夏の職安通いとあって、肌の露出度の高い服装で来ているのが興味深かった。背中も肩も丸出しで、身体の線がハッキリ出た服装ばかりだ。退屈な職安通いをする男性たちの目を楽しませて、大変結構である。女の私だって、舐めるように観察させて戴いた。感想としては、そういう服装は日本人の顔に合っておらず、あまりパッとしない。昔だったらロスの売春婦がしていたような格好を、日本の若い素人女性がしているのだ。暗い夜道で襲われても、これでは仕方ないだろうな。

どうせだったら最大限ハローワークを活用しようと、先日の初回登録時から「早期就業支援プログラム」というものの個人カウンセリングも受けている。何と真面目なのだ、私は。この真面目さが大学卒業当時にあったなら、今頃は失業などしていなかったかも知れない。全ては後の祭りである。しかし社会人になってからは世の中の厳しさを思い知って、ひたすら真面目だ。常に危機感と共に生きていると言っても過言ではない。しかし全てに於いて悲観しない。気の小さい私が楽観的でいられるようにこそ、日々努力しているのだから。後はなるようになるさ。

2時間の説明会の後、結果的には1時間たっぷり女性カウンセラーに個別で時間をとって貰い、つまらない妥協をせずとも良いと思える為のモチベーションを高めて貰えた。自力で転職を繰り返してきたので、実際には自分を売り込むノウハウは知っているし、それは得意分野かも知れない。むしろ私の問題は、そのモチベーションを高める事とその維持なのだという事も自覚しているのだ。だからカウンセラーにお付き合い戴いて、着実に就職活動をして行けるのは有り難い。そこで仕事が得られるかどうかではなく(それは、今までも棚からボタモチ的に与えられて来たし)、自分の意識がちゃんと社会生活に向いていられるよう努力しなければいけないのだが、そのお手伝いをして戴ける事は価値が大きいと思う。

てな訳で、全て終わったら16時半。家に電話したら、こうちゃんが迎えに来てくれた。煙草を吸い、ペットボトルのお茶を飲んでいたら、あっと言う間(たった15分)にこうちゃんが到着したので驚いたが、世の中は既にお盆休みらしく、道がどこも大変空いているのだ。混んでいるのは職安の駐車場だけだ。そこは法務局も入っている合同庁舎だしな。

時間に余裕があれば、新横浜のプリンスペペで紅茶の葉でも買おうかと思ったけれど、給餌の時間に遅れてしまうといけないので、幾ら道が空いていても真っ直ぐ帰った方が無難だ。ただ機械的に2時間毎に強制給餌しているのでは駄目なのだ。オシッコの量を観察したり、胃酸が高くなり過ぎないように途中タンポポ茶を飲ませたり、それでもやはり腎不全の子は毒素の為に吐くものだから、吐いたものがどんなものかの観察もしなくてはいけない。毛玉が混じっているか、未消化のものなのか、それとも胃液なのか、どんな匂いがしているか・・・。

そして只でさえアインとジーコに費やす時間が長いだけに、他の子たちへのフォローもきちんと時間をとらなければ可哀想だ。お盆だからと言って、とてもじゃないが実家になど日帰りですら帰れない。年老いた両親にもご先祖様にも申し訳ないが、今生きている猫たちのケアの方が大切だし、それが親同然の飼い主の責任でもあると思っている。人間は自分で何とか出来るだろうし、いざとなれば福祉もあるけれど、猫は飼い主しかいないのだ。

18匹だろうが2〜3匹だろうが、その点だけは同じだと思ってやって来たし、これからも絶対に曲げない。もしも親が寝たきりになれば、こっちに来て寝ていて貰う。私は帰れない。私にとっては「猫ごとき」ではないのだから。そして私が寝たきりになったら、垂れ流しで死んで行く覚悟はしている。ま、私の場合はそこまでは生きていられないだろうが。
ゴマ

常に気配りする

Aug. 11, 2004

ゴマは一日中私達の動向を伺い、付いて回り、鳴いて訴える。しかし別に不満があるという感じでもない。甘えたいだけなのだろう。子供のうちに子供を産んでしまい、子育て完了と共に知らない猫家族の中に入れられ、やっと身の置き所が得られたと思ったらジャムが来てまたもや子育てし、今ようやく仔猫のように甘えたいのだろう。外にいた頃の事を思い出すと不憫で、幾らでも甘やかしてやりたい。

それは勿論ゴマだけではないのだが、鶴見でのゴマとアカとの付き合いは私の基礎だから、いつまでもあの頃の切ない気分が甦るのだろう。終ぞ家に連れ帰れなかった、他の大勢の野良猫への想いも相まって・・・。

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