アイン

綺麗な横顔

Sep. 3, 2004

2004年9月3日 金曜日

昨日の呼びかけに対して、メイン掲示板で予想以上に大勢の方が意見を述べて下さった。当初、ここで改めてご紹介したい書き込みは抜粋するつもりだったのだが、いずれも含蓄と常識のある大人らしい穏やかな意見で、しかも全てをコピーするともの凄く膨大な量になってしまうので、ここで引用してご紹介するのは諦めた。発言して下さった皆さん、有り難うございました。くだらない議論にはならず、皆さんがバランスの良い大人だと感じられて嬉しいです。

動物嫌いで、且つスケープゴートを作るのが好きな弱い(人を叩く時だけは強気な)人たちは、そういう「擁護派」の発言をくだらないとかバカだとか言って見ているのかも知れないが、その人たちが幾ら言葉を尽くして「告げ口」の正当性を説いたところで、それは魔女裁判や異端審問で密告したり迫害した連中と同じ匂いがする。そういう人とはお友達になりたくないなあ・・・と思うし、いつまた別件でその人自身が生け贄になるか解からないのになあ・・・とも思う。

繰り返し言いたいのだが、人の心には規則だけで縛られずにうまく対処出来る余裕と言うか、遊びの幅が多少はあっても良いと思う。そうでないと互いに監視し合い密告し合うような殺伐とした世の中になってしまうし、自分が多数派であるというだけで安心してしまう人間ばかりになってしまう。

規則や法律には、世の中で普遍的に存在する戒律に近いものもあれば、世の趨勢によって変わって行く刹那的な基準を定めたものもあるのだ。それを十把人絡げにして、人としての品性を損なわない為にも黙認していたらどうかと言う人たちを「自分勝手な信じられないバカ」呼ばわりするのは、むしろ自分の頭の悪さを披瀝している事に気づいていないらしい。

筒井康隆が幾つかのエッセイで書いていたが、タブーの多い社会は原始的な社会であると。これは専ら表現の自由に関しての見解であったが、今回のような問題にも同様の事が言えると思う。人の心の未熟さとイマジネーションの不足は、末端の細かい部分まで法律や規約で規則しないでは、社会生活が健全に営めないような幼稚で未成熟な社会を形成してしまうという危険を感じる。これはあくまでも犯罪に関する事を言っているのではないという事を断っておくが。(いちいち断らないと、読解力の無い人からは見当はずれな抗議のメールが届いたりして、厄介で仕方ない。)

「通報(密告とも言う)しない方が良いと思います」と言う意見は、必ずしも猫擁護の立場から言っているのではないという事を、「通報は当然、通報しない方が良いと言う人は非常識」と言う考えの人は理解しないだろうし、たとえ理解したとしても、人間の品性とか思いやりという事を全く自分に求める事なく、自分の都合だけ求める人と何ら変わりないという事を認めないのだろうな。

自分の都合だけ求める人というのは、他人に迷惑を掛ける形でペットを飼う「自称動物好き」の人たちも含まれる。この言わば「身内」に足を引っ張る人たちがかなりの割合でいる事が、世の犬や猫たちの立場を悪くしている事も事実だけに、何も私は動物嫌いの人たちだけを批判するつもりはない。先ずは「身内」の中にある「無責任」と「害悪」を粛清しなければ、いくら努力して完全室内飼いと多頭飼いと避妊と保護を進めたところで、所詮イタチごっこなのだ。敵はまだまだ「反愛護」ではない、猫好きの「身内」にいるのだという事を声を大にして言いたい。

これまでにも猫好きの人だけでなく、野良猫の害に悩まされているという人たちからのご相談も何件かあった。庭に糞をされて臭い、窓も開けられない、丹精した植木が荒らされたり枯れたりしてしまう・・・という京都のご相談者は、アドバイスに耳を傾けて庭にトイレを置いてくれるようになった。単に被害者意識でいるのではなく、前向きに問題解決しようとする人だったのが嬉しい。

マンションの敷地内に野良猫がいて、無責任にエサやりだけしている住人がいる。それがマンション中で問題になっており、虐待に近い事が起きたようだという川崎のご相談者は、捕獲器をお貸ししたらとりあえず個人の自腹でで避妊を始めてくれた。室内で犬を飼っているペット可の分譲マンションにお住まいの、猫の事は何も知らない方だったが、これまでに数匹の避妊去勢と怪我をしている猫の治療もしてくれ、マンションの自治会で問題提起もし協力者も現れた。またこの人は、仔猫を保護してケアしたものの命を助けられず、この次はこんな悲しい思いをしないで済むように、今回学んだ事を必ず生かしたいとも言ってくれている。長いお付き合いになって来たが、こんなにもご相談当初と比べて成長(失礼・・・)した人も珍しいのではないだろうか。

つまり猫キチガイに近い私の元に猫擁護派でない方からのご相談があったり、意見を求められたりする事は決して珍しくはないのだ。その相手が誠意を見せてくれる限り、私も誠実に答え応えるようにしている。人は話してみなければ解からないところもある。しかしちょっと話してみて、あまりにも悲観的であったりやる気が起きない人だったら、私もいつまでも付き合ってはいられない。この人たちは、もともと優しさも勇気もある前向きな人たちだったのだろう。

猫好きだけでどんなに頑張っても世の中は変えられない。我々猫擁護派は、世間から理解されるよう偏りの無い(少ない)言動を見せ続けなければいけないだろうし、動物嫌いという人たちの志向や価値観と対立だけしていても埒があかないだろう。どちらからも譲歩しなければ問題は解決しない場合があるが、どちらが先に・・・と言うならば、こちらが先に譲歩しよう。守りたいものがあるのだから。

今までにもくどい程言って来た事だ。野良猫や飼い猫にとばっちりが行かないように、私達は近隣と人間関係を円満に保つ努力をしなければいけないし、「だから猫好きは駄目なんだ」と言われないで済むよう、猫以外の事に対してもバランス良く頑張らないといけないのだ。

価値観の違う人を相手に、どんなに理路整然とした正論も法律も、相手の心を変えるだけの力など持たない事を自覚しなければいけない。事の心を動かすのは論理ではないのだ。それは(勿論ちょっと照れ臭いが)見返りなど求めない愛の実践であり、且つ悲惨さを感じさせない自己犠牲を続ける事でしか、その愛は人の心には届かないと思っている。

幾ら議論しても無駄だと思うので、私は自分の掲示板を議論の場にはしたくない。そこは同じ猫好き同士が志気を語る場であり、息抜きの場でもある。進んで情報提供するのも構わないし、調べても解からない事へのアドバイスを求める相談の場であっても良い。しかし相手を叩きのめすような討論はして欲しくないし、マルチポストも丸投げの依頼や他力本願な相談も自粛して欲しい。こだわりが強くて申し訳ないけれど、私なりに痛い学習をして行き着いたルールなのだから。

そしてこのルールにもまた例外は存在するし、遊びの幅は持たせておかないと、私ですら窮屈で息が詰まるだろうと思う。そういう時はツナミさん、貴女の出番ですね。緊張を緩めて、ほのぼのとさせて下さい。

ぶーちゃん

兎に角デカい

Sep. 3, 2004

今日は郵便局と銀行を回り、買い出しをして戻ったけれど、疲れてしまってろくな食事が作れない。ご飯と味噌汁は作ったけれど、あとはいい加減な炒め物(ウィンナとモロヘイヤの卵とじ炒め)に大根の漬け物、納豆(めかぶとキムチ入り)のみ。白和えとか筑前煮とか食べたいよ。

ガラが薬を粉にしてまぶしたドライを食べてくれた。こうちゃんが撫ででいる時だけ、少し食べるようになった。良かった。投薬が出来ない猫の為に、薬を混ぜて使う嗜好性の高いサプリメントを教えて下さったムライさん、有り難うございました。明日動物病院に行くので、先生に戴いて来ます。次からも食べてくれる保証は全然ないし、他にも投薬出来ない子が何匹もいるので。

疲れきったこうちゃんは下痢(カンピロじゃないだろうね?)、私は便秘と頭痛。さて、新聞紙トイレを作り直し、4時の給餌をしたら、交代で寝る。いつも同じ事を書いているな、最近。夏休みの絵日記の宿題が出たら、毎日同じ内容で怒られるかも知れない。いや、航海日誌ではないのだから、一日の出来事だけ書く事もないのか。むしろ18匹が日替わりで絵になるから楽しいかも知れないな。ま、ここは小学生の絵日記みたいなものだけどさ。

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