ジャム

夢うつつ

Sep. 12, 2004

2004年9月12日 日曜日

私は、私の責任に於いて自分のサイトに置く内容に関しては、一切のネガティブなものを排したい。ひとつには、私自身が気力を維持する為にも、「負」の思考に触れて志気を損ないたくないという理由もある。衰えた体力と限界の生活を辛うじて支えているのは、気合いしかないから。

そしてもうひとつは、良いものをひとつも生み出す事のないどころか、「正」の方向にはなかなか引っ張れないにも拘わらず、「負」の思考はいとも簡単に人の心に伝わるのを知っているし、その有り様を見るのが堪らなく嫌なのだ。

私には伝えたいものがあり、それを伝える事の難しさも痛感している。何が人の心を動かすだろう?どうすれば人は行動に出る勇気を持てるだろう?その事を考えた時、そこに何らかの外的な力(影響力と言っても良い)が働き得るとしたら、それは「善意に基づいた勇気ある行動は必ず良い結果に終わる」というサンプルの山を伴なったメッセージではないかと思うのだ。しかし宗教ではない。

祈るだけでは何も望み通りには展開出来ない。私はカトリックの信者だが、正しい努力をした上で祈る・・・いや、自分を超越した自然の力に委ねるしかないと思っている。祈るだけでは駄目・・・それは確かだ。そして闇雲に行動するだけでも駄目なのだと感じる。行動を計算するのではなく、影響を計算するとでも言うべきか・・・人と関わる以上は、人の心に生じさせてしまうものをイメージして働き掛けなければ駄目だという事だ。

例えば里親募集では、望ましい結果を出す事こそが目的だ。前向きで精神力のある里親さんとのご縁が欲しいと、募集主なら誰でも願うだろう。だからこそ自らが先ず率先して前向きで強い精神力を発揮して見せなければ、そういう縁は引き寄せられない。里親募集は猫の為だけではない、自分の為でもある。不幸な猫を見過ごせず保護したのも、自分が少しでも後悔したくない為、その猫に里親探しをするのも、自分が出来ない事をまだ見ぬ他人に託させて貰い、より良い環境に送り出したいと願う自分の心を満たすという側面がちゃんと存在するはずだ。

何度も言って来た事だけれど、相手は自分を映す鏡だ。ネガティブなものはネガティブなものを呼ぶ。同時に、ネガティブなものに対した時、直対応してネガティブな感受性を発揮してはいけないのだ。平たく言えばこうだ。自分がネガティブだと相手のネガティブな部分を引き出してしまいがちだが、逆に言えば相手がネガティブでも自分はそれに影響されないようにしよう・・・という事だな。

だから私は、たとえインターネット上の小さな世界だとしても、私のサイトには人の善意を信じられる力や、努力する人が報われるという信念と事例で満たしておきたい。それが世の中の縮図足り得ない事は解かっている。世界はもっとドロドロとしていて、悪しき感情や怠惰とずるさが氾濫している。しかし同時に、損得抜きの善意や弱いものへのいたわりや優しさ、素直な向上心や謙虚さ、勇気や努力もたくさん存在しているのだ。同じ人間の中に、それはちゃんと同居している。私の中にも。どの部分を意識して出して行くかが問題なだけで、生まれ持った性格だから・・・と言い訳してはいけない。

私は小学校1〜2年の時、クラスでたった二人だけ、何を質問されても手を挙げられない子供のうちの一人だった。答が解かっていても、手を挙げて立って答えるという、ただそれだけの事が出来なかった。同級生とも遊べなかったし、学校へ行くのも苦痛だった。それ以前に、幼稚園の時は完全に登園拒否だったのも覚えている。同世代の子と能動的には一切交われない、いわば問題児だった。テストは満点なのに、私の中には劣等感と疎外感で一杯だった。

それがある日突然脱皮した・・・などという事はあり得ない。しかしどういう自分でありたいのか、ある時心の底からイメージしてしまったのだ。それは劣等感を伴なう羨望からだったも知れないし、もう少し純粋な憧れだったかも知れない。しかしそうイメージした以上は、それが得られなければ満たされずに不幸だ。数年か要したような気もするが、色んな出来事がきっかけとなって私は別のキャラクターも手に入れた。(多重人格なんかじゃないよ、念の為)

色んな出来事の中には、母親の意図したプログラムもあったかも知れないし、小学生ながら自分で考えてこっそり努力した部分もあっただろうと思う。人は意図すればどうとでもなれる。出来ないと言う人は、そうしたくないだけだ。断言して構わないと思っている。私は弱かった。今も「弱い」と言ってしまえば実際に弱い。どういう面で「切り取る」かで、簡単にその人間のキャラクターが決められてしまう。でも弱いだけの自分は嫌だから、自分の中の強さがもっと出せるよう努力を続ける。それだけの事だ。

足の浮腫みがあまりにも酷いので、ラシックス(利尿剤)を飲み、こうちゃんに足のマッサージをして貰う。足の指の付け根と足の甲がプックリと腫れている。その水分を上に向かって指の腹で強く擦り、上へ上へと押し戻して行くのだが、これが痛いの何の。疲れている人にマッサージまでさせておいてこんな事を言っては申し訳ないのだが、痛くて仕方ないので早くやめて欲しいのに、こうちゃんはしつこい性格でやめてくれない。

「痛いっ。そこ、強く揉み過ぎてアザになっていない?」と私。
「なっていないよ」とこうちゃん。
「痛いっ。そこは骨だから余計に痛いのでやめて」
「骨なんかじゃないよ」
「よし。もう今日はこれ位にしておこう。有り難う、もういいよ」
「駄目だよ、そんな事ばっかり言って逃げちゃ・・・」
そしてギュウギュウとマッサージは続く。マッサージ・インフェルノ。

痛くて疲れて寝不足で、夕方から少し眠ってしまった。『新選組』も頭が朦朧としていて、ろくに観ていられない。どのみちこの先は、どんどん破滅に向かうのが解かっている。それを思うと気が重くて・・・観るのも辛い。

夜は軽めに、ペペロンチーノのカラスミ乗せ。普通にペペロンチーノを作って、極薄切りにしたカラスミをトッピングするだけ。言葉が出ない位、しみじみと美味しい。魚卵はどれも大抵美味しいけれどど、カラスミのネッチリしたテクスチュア(歯ざわり・舌触り)は格別だ。芸術品だ、カラスミって。

ぶーちゃん

特大の頭

Sep. 12, 2004

こうちゃんにお見合いの予定が入った。こうちゃんと言っても、うちのこうちゃんではない。いや、うちのこうちゃんにお見合いの世話をしてくれて、美味しいものでも食べさせてくれても全然構わないのだが、離婚の予定はないので食い逃げになってしまう。そうではなくて、マツモト先生のところで保護されているサビ猫の「こうちゃん」の事だ。

今までお問い合わせが皆無だった(そもそもこの夏は動きが少なかった)のだが、昨日遂に信頼出来る方から素敵な問い合わせを戴いたのだ。早く病院が開く時刻にならないだろうか・・・一刻も早く先生に知らせてあげたい。私もとても嬉しい。

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