ジーコ



Sep. 28, 2004

2004年9月28日 火曜日

短い睡眠時間だというのに、長い夢を見て疲れた。ほとほと疲れる夢だった。

私は道を歩いている。通行人もたくさんいるのだが、もの凄い傾斜角度の上り坂だ。急ぐ用事があるので必死になって歩いているのに、なかなか前に進まない。四つん這いになりそうな位の急斜面で、足にもの凄い力を込めて1歩ずつ精一杯前に出しているが、なかなか前進出来ない。

やっと坂を登りきると、平地に出た。見覚えのある景色になった。どうやら今から横切ろうとしているのは本町通りで、そこは錦町の十字路らしい。そうか、ここは桐生(群馬県の「桐生市」の事)だったのか・・・と夢の中で思っている。

急ぎの用事というのは、あと少しで修学旅行のバスが出発時刻なのだ。しかし私はまだ支度をしなければならない。着替えも食料(夢の中の事なので、修学旅行には「米」や飯盒なども持っていかなければならないらしいのだ)も何も用意していなかったのだ。どうして前の晩に準備しておかなかったのだろう。あと15分しかないけれど、一旦家まで戻って支度出来るだろうか?

余談だが、修学旅行のバスに乗る夢も良く見る夢だ。乗り遅れる夢も見るし、乗っていて知らない道を走っている夢も見る。バスに限らず、電車に乗っている夢も大変多いし、自分で運転しているケースでは大型バイクも今のインプレッサも果てはゴーカートのような小さな車も含め、乗り物の夢はもの凄く多く見るのだ。フロイト博士だったら、これをどう分析するだろう?

桐生に実在する「錦町」を過ぎ、もうじき「稲荷町」だというところで(ローカルで申し訳ない)、またしてももの凄く急な上り坂になった。どうやら橋らしい。あれ、こんなところに川なんかあったっけ?と記憶を辿る。実在しない川だが、かなり推量の多い、町なかのゆったりした川だ。

橋そのものは平らなのだが、橋の両端の道は殆ど絶壁に近く登らないといけない。しかしそれが不自然でもなく、当たり前に必死になって登っている。腕に込めた力まで生々しく甦る。最後の縁に手が掛かっているのに、なかなか身体を上げられなくて苦労したが、やっとの思いで上りきった。

橋の上は不思議な構造をしていた。コンクリートの橋はちゃんと欄干も付いていて、その下には川が流れている。しかし橋の通路部分は、まるでプールか用水路のように水をたたえているのだ。しかも横浜の「入江川」や「帷子川」のように深い緑に濁っていた。ああそうか、この橋は下水道橋(そんなものは現実には無い)だったっけな・・・と夢の中では納得している。そして何の躊躇いもなく、その水の中に下半身浸かって進んで行くのだ。

その水路で出来た橋を渡り切るところには、その下水道の管理事務所が建っている。橋から見れば1階建ての建物なのだが、外階段が回廊になっており、延々と下りて行かなければ地上に下りられない。管理事務所のオジサンに急ぐ訳を話して、このまま通過させて下さいとお願いしている。

その先は既に覚えていないのだが、またしても水の夢だ。オネショしていなくて良かったよ。

オネショで思い出したが、先日など『逃亡者』よろしく、無実の罪で追われている夢を見たのだが、その夢の中で巨大で古い高層ビルのある一室で移民の親子に匿われていた私は(夢の中の私は17歳の少年だった)、尿意を覚えて「このフロアにトイレはありますか?」と聞く。すると移民の父親は悲しそうな顔をして、私達に使えるトイレは無い。だから外に向かって付いているそこのドアを開けて、空中に向かって排泄するのだ・・・と教えられる。

そこは地上100階ほどの高さにある部屋で、ドアを開けただけで目が眩みそうだ。しかしもはや我慢出来ず、小さなステップに膝を着いてしゃがんで(立ったままでは恐くていられない)、現実の自分にはないオチンチンをつまみながら放尿を開始した。随分と長く我慢していたので、なかなか出ない。しかし出始めたら、いつまでもオシッコが止まらない。薄黄色い液体が(スミマセン、汚くて・・・)果てしなく大量に出続ける。そして少しずつ切ないような尿意から開放されるあの快感・・・夢とは言え、排尿の実感がまざまざとあった。かつて経験したこともない位、太いオシッコだった。

空中に撒布されたオシッコはどうなるのだろう・・・と、一部では醒めた自分が考えている。霧となって文字通り霧散してしまうのだろう(返す返す汚くて申し訳ない)・・・と考えていたのだが、眼下に見えた茶色いリンカーンコンチネンタルのボンネットやリアウィンドにバシャバシャと掛かっていた。「あちゃ〜」と思っていると、車の中から50代位の白人男性が恐い顔で降りて来た。手にはライフル銃を持っている。まずいな、私を狙っているんだ・・・と気づき、相当出してもまだ出し足りないオシッコを中断し、薄暗く殺風景で汚い室内に慌てて戻った。その辺りで目が醒めた。

寝小便をしていなくて、本当に良かった・・・とつくづく思う。しかしあと40年も経てば、寝ながらおもらしするようにもなるのだ。それまで生きていられればの話だが(まず不可能だろう)。

さて今日は、給餌と給餌の間隙を縫って、銀行と郵便局へ行って諸々の用事を済ませて来た。東急の駐車場に入れてあちこち回るのだが、股関節が痛む私はあまり歩けず、殆どはこうちゃんに回って貰い私は郵便局で順番待ちをしていた。用事を終えてから東急の本屋で新刊を何冊か仕入れ、さあ車に戻ろうと食品街をこうちゃんに手を引かれてヨチヨチ歩いていたら、いきなり左足の爪先に衝撃を感じた。ベビーカーの車輪が私の足の指に激突したらしい。ヨチヨチ歩いていたとは言っても、一定の速度で歩いていたのだ。家の中では過保護にされていても外に出るとあまり動じないのだが、咄嗟に「あっ!」と声を出してしまった。

「ちょっと、酷いな、これは」とこうちゃんが少し恐い声で言う。「スミマセン」と若い母親。どうやらベビーカーは、5歳位の息子に押させていたらしい。それで私の後ろから暴走させて勢い余ってぶつけたようだ。よくもまあ後ろから、足の爪先だけにちゃんとぶつけたものだと感心したが、爪の下に内出血が出来てしまった。私の足が浮腫んでいるせいもあるのだと思うが、ちょっと痛かったよ。

世のお母さん方は、子供連れでの買い物は大変だろうと思う。しかし、どうかベビーカーはしっかり自分の身体の一部として管理して下さい。そうでないと人にぶつける程度で済めば良いが、危険ゾーンにも大事な我が子から突入させて行く事になるのだから。車道を横断する時にも、自分の身体よりも先に「坑道のカナリア」のように先に我が子を危険に晒すのだから。

その後で乗ったエレベーターにも、立派な大きさのベビーカーからガーン!と入れて来て、人が避けるのが当然のような顔をしている別のお母さんがいた。ああ、これだからベビーカーの存在が一般の人たちから叩かれるんだな・・・と思った。ペットも子供もマナーに気をつけないと、他人にはただの迷惑な存在になり得る。可愛いペットや子供が嫌われない為には、飼い主もお母さんももっと気をつけようよ。

私もかつては子供として世間に迷惑掛けていたのだと思うし、未来を担う大事な子供たちだと思うから、子供のする事は精一杯大目に見ているけれど、あまりに度を越せば容赦なく注意するよ。

アイン

お茶の時間

Sep. 28, 2004

アインとジーコ、今日も吐く。ジーコはもう1年以上、自発的に食べる事は皆無だ。ビニールだけは今でも憑かれたように食べたがるのだが、キドナの強制給餌は嫌がって苦労する。本人が嫌でも、今はこれ以外の方法はないと信じている。顔はまだ綺麗だが、身体はもはやガリガリに痩せてしまった。どんなに食べるのが嫌だろうと、まだまだ頑張ってよ、ジーコ。

アインはここ数年の間で、何度も危篤状態から脱出して来た。心筋症の大きな発作から2回、そして血便と下血の時が1回。いずれももう駄目だと思って泣きながら介護したけれど、兎に角頑張って生き永らえてくれている。強制給餌のお陰で太ったし、甘える気力もある。仔猫の時から身体の弱い子だったけれど、どうしてなかなか気合いが入っているじゃないか。あそこまで毒素が高くなったというのに、この水準まで回復していれば奇跡だ。自然のままに任せていたら、あの時、多分数日でミュウのところに逝ってしまったはずだ。

今はこの子たちの為に頑張りたい。

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