雨の日曜日。肌寒いが、窓を締め切っていると少し暑くなる。すっかり寒くなるまでは、まだ室温の調整が難しい。
昨夜、折角たくさん撮った写真が、PCに転送しようとした時に、ファイルが破損したらしい。「予期せぬエラーが起こりました」というメッセージが出てしまう。カメラに媒体を戻しても、「この画像は表示できません」というエラーメッセージが出てしまう。そのまま次の1枚を試しに撮影すると、ちゃんと表示されるのに。泣く泣く媒体(コンパクトフラッシュ)をフォーマットした。
いい写真がたくさん撮れたのに・・・となかなか諦めがつかなかった。こうちゃんが撮った時にも、何度かそういう現象が起きて、その時には「また撮ればいいじゃん」と言って慰めたのだが、自分が撮った画像がパーになるとなかなか諦めきれない。珍しくレンが床でゴロンゴロンして悶えている可愛い写真や、隣の部屋との仕切りの格子の前で寛いでいる様子など、傑作揃いだったのだ。
もしかして媒体のメーカーに頼めば、ファイルは取り出せる方法があったのだろうか?かなり以前に、DVD-RAMの媒体が壊れた。今のDVDが普及する前の、分厚いハードケース入りのDVD-RAMの時代モノだ。日立に送ったら、無料でデータを新品の媒体に落としてくれた。親切な日立に感動した。そういう事が、もしかして出来たのだろうか?でも、今回は諦めた。また頑張って良い写真を撮れば済むさ。たかが80枚位・・・。
こうちゃんと私、どちらがいい写真が撮れるか・・・と毎回競っているのだが、なかなか決着はつかない。そもそも「どっちが撮った写真家区別がつく?」と、今日も鈴木さんに聞いてみたのだが、区別つかないと言われた。自分でも、月日が経ってしまえばどれが自分の作品だか解からなくなるのだが。因みに今日はどちらも私の撮影。昨日も私。一昨日はこうちゃんだ。いちいち撮影者を添え書きした方が良いのだろうか。いや、面倒臭い。
お客がある時や、病院での撮影の時などは、専らこうちゃんにカメラマンをして貰う。そういう時、私は営業と進行係とホステスになっているからだ。ほったらかしていても平気な客の時には、私が撮影する。人が撮っていると、撮りたくてうずうずしてくる。自分の中に撮りたいイメージがあるのに、自分がカメラを扱わないと勿体無い。
私の場合はカメラの理屈はこうちゃん程には解からないけれど、撮影する事自体が好きなんだ。あっと言う間に平均で70〜80枚(64MBの媒体に今の画質で撮っていると、大体これが限度なのだ)撮りきってしまうので、もっと容量の大きなコンパクトフラッシュを買わないと駄目だ。さっさと買えば良さそうなものだが、滅多に出掛けないのと、出掛けると忘れてしまうのでなかなか買えない。誰かお使いに行って!
殆ど毎日欠かさず80枚近く撮っていて、毎日PCにフォルダを一つずつ追加して作る。フォルダ名は年月日で付ける事にしているが(「041003」という風に)、日によってはそれに枝番がついたフォルダが作られる。体力と気力が許せば、200枚位撮る日もある。終わるとぐったり。這いつくばったり、のけ反ったり、変な体勢のままキープしたりと結構体力と言うか筋力を使うのだ、猫の撮影は。太極拳でもしているかのようだ。
撮った写真は外付けのハードディスクに保管しているのだが、どんどん溜まる。日付け別のフォルダで整理しているだけだと、後からお目当ての画像を探すのが凄く大変。何とかしたいが、全てにファイル名(例えば「goma041003-01.jpg」程度でも)を付け直したりしていたら、時間が幾らあっても足りない。几帳面で整理魔だった以前の私は死んだのだ。それに今の私には、フォルダが多くなり過ぎた。ボランティア有能美人秘書はいないか。
掲示板で『柳家三亀松』の話題を出したが、同世代の人では知らないのかも知れない。私だって、微かに記憶の隅に残っているだけだと思う。こうちゃんに確認してみた。「着流しで三味線持って舞台に出て来て、ちょっとエッチな都々逸と喋りを取り混ぜた芸だったよね?」と。牧伸二がアロハシャツでウクレレ漫談ならば、三亀松は着流しで三味線漫談である。
どうして着流しだったのだろう?「粋」なつもりだったのだろうか?着流しは粋なのか?じゃあ、鞍馬天狗も粋だったのだろうか?そもそも鞍馬天狗は馬に乗るのに、どうして着流しなのだろう?袴じゃないと、馬には乗り難いだろうに・・・と、こうちゃんと話しているうちに、話がどんどん飛躍して入った。
「丹下左膳だって着流しだった」とこうちゃん。「そんな事言ったら、旗本退屈男だって、派手だけど着流しだったじゃん」と私。マツケンサンバを歌い踊る松平健だって、ラメ入りだけど着流しだ。当たり役の『暴れん坊将軍』の時は羽織も着て袴姿のくせに。
遠山の金さんは、遊び人の時は着流しだが、お奉行さまの時には袴を着けている。この場合は裃(かみしも)姿だが。すると袴を着けるのが正装で、着流しは普段着なのだろうか?じゃあ『必殺仕事人』の中村主水は、羽織は着ていたけれど奉行所務めの時も着流しだったぞ。よく解からない。
良く解からないと言えば、鞍馬天狗の被り物だ。いや、頭巾と言うべきか。どうしてあんなヘンテコな形の頭巾を被るのだろう。あんな風に布を折り畳んで被るのは面倒臭かろうに。あれは『宗十郎頭巾』と言う被り方らしい。『旗本退屈男』早乙女主水之介だって時々被っていたぞ。
でも旗本退屈男は天下御免の向こう傷をわざわざ被り物で隠しておいて、それをサッと取って「そ〜れ、良く見よ。この眉間に冴える三日月型、天下ご免の向こう傷。直参旗本早乙女主水之介。人呼んで旗本退屈男。うほほうはほほほ・・・」となるから効果がある訳よ。しかし鞍馬天狗の場合は、顔がすっかり見えた状態で頭巾を被っていたように記憶している。こうちゃんもそう言っている。ならば何の為の被り物だ?ただのファッションか?詳しい人がいたら教えて。
因みに、私は別に時代劇フリークではありません。でも良く考えてみると、好きな方なのかな。決め台詞だとか「型」が好きなのかも知れない。歌舞伎は好きだし、古典落語は詳しい方だと思う。荒唐無稽な娯楽物は好きだけど、『忠臣蔵』は嫌い。好きな人がいたら、ゴメンナサイ。
『新選組』が始まる前に、病院で頼んでおいた『チューブダイエット キドナ』を10箱受け取りに行く。通販で買ったブラジャーも届いた。もちろん安物である。昔のように下着なんかに金を掛けるつもりは毛頭ない。そもそも、もはや『勝負』もへったくれもないのだ。適当なサイズで注文したら、ちょっとデカ過ぎた。でも返品は面倒だし、大は小を兼ねるからそのまま使う事にした。そんな程度なのだ、近頃の私の感覚は。