リマ

スノコの上で

Nov. 30, 2004

2004年11月30日 火曜日

先日、プロポリスを分けて下さっているかよ子さんに殆ど全身をマッサージして戴いた。足から始めてリンパの流れを促し、次に首と背中を触ったかよ子さんが「これは・・・」と絶句した程、固く凝り固まっていた私の背中。曰く「ムチ打ちを3〜4回やった人の首だわね」という亊だ。

鍼灸師の国家資格を持つ変わり種サラリーマンのミヨコにも、かつて何度となく「これは横浜で一番固い肩だ」と言われた。肩凝りの解消法は、理屈では知っている。血行を良くし、乳酸が早く排出されるよう努めれば良いのだ。ぬるい湯の風呂で充分温めて、その後軽い運動をするのが一番良いのだとNHKの番組で言っていた。そりゃ私には出来ない。

それでも努力して、温めたりストレッチをしたりはしているのだ。それでも首はカチカチだ。それを揉むと、今度は痛みが浮いてくる感じだ。つまり奥底に沈んでいたはずの痛みが、表面化して常に自覚されるようになるのだ。それが治癒への道のりなのだろうが、痛みに弱い私にはなかなか辛い。

という訳で、昨日は湿布をしておとなしくしていた。ほぼ丸一日経って湿布を剥がした時には、何となく身体が軽いような気がしている。そしてまた、せっせと加速度的に積み重ねて行くのだ。疲労を。バタカレだな。
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大分前に、ある企業の総務担当からクレームが来た。我が家の3本足の可愛い猫と同じ名前の運送業者があるらしく、その名前を付けたトラックが混雑した通勤路を、はた迷惑にもマイペースでノロノロと走っているのを非難した私の日記を読んで、営業妨害だと言い、削除しないと訴えると言って来たのだった。何度かメールの応酬をした後、削除なんかせず伏せ字を使う事にしたが、本心ではそんな程度で営業に支障が出るとは到底思えない。

どうでも良い事で争うのも時間の無駄だからその時はそれだけで終わったのだが、その会社に勤めていた事のある人から偶然メールを戴いた。今度はクレームではない。とても嬉しい内容のメールだった。ほのぼのとした気分になれた。有り難う。
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夕方、ラボの野良用フードが底を尽くと知らせが来た。明日の朝の分がギリギリだと言うではないか。予定していたより早く尽きてしまったという事もあるが、ちょっとコミュニケーションが足りなかったようだ。私の不手際だ。

明日宅配便で送っていては間に合わない。家にあるストックを掻き集めたらドライだけでも10キロ位にはなったので、今夜遅くにこうちゃんが車を走らせて届けると言ってくれていたのだが、ミヨコの知り合いのフード屋がラボのすぐ近くなので、明日の午後には届けてくれると言ってくれた。助かった〜。

フード屋にFAXして貰う為に、ラボの地図と所在地を書いた紙をミヨコのエサやりの現場まで持って行って、お山の猫たちの食餌風景を見学しながら話をした。猫たちは食べ終わると、三々五々散らばって行く。夜の10時も近くなると外は大分寒くなっており、靴を履いていない猫たちの肉球はさぞ冷たいだろうと思う。やりきれない。

ミヨコはいつまでお前がエサを送るんだ?と言う。解からない。エサをやってくれる人がいる限りは、私がエサを送る以外ない。しかしその地域には、猫ボランティアの手が入っている事も改めて解かった。私はエサを提供しているつもりでも、もしかしたらエサをやってくれる人には迷惑なだけかも知れないのだ。だったらいっその事やめようかとも思うのだが、私から打ち切るような事はやはり出来ない。

人間には2種類あるのだと思う。野良猫を見るとエサをやりたくなる人間と、エサをやらない人間との2種類が。勿論その背景には様々で複雑な理由が隠れているのだが、現象としてだけ見ればそういう事になる。エサを与えるだけでは責任として済まないから手を出せないと言う人はたくさんいると思う。そしてむしろエサやりこそが害悪だと唱える人たちも多い。

そのいずれの意見にも一理あると思うし、どれが正しいかという事を言っているのではない。ただ単に、目の前に野良猫がいるとエサをやらずにいられない人間と、やらずにいられる人間がいるという事を言っているだけだ。

そしてエサやりしていない人を責めている訳ではないので、その点も誤解なきようお願いしたい。この「エサやり」というのはひとつの喩えに過ぎない。「放っておけば必ず死ぬだろうと思える病気の仔猫を、自分の足元に見ておきながら知らん振り出来るかどうか」という事にも置き換えられるだろうし、「自力では生きて行けない仔猫が捨てられていて、手を差し伸べるかどうか」という亊ともほぼ同義なのだ。

エサやりは感傷かも知れないし、自己満足かもしれないとも自覚している。だけど私は、ガリガリに痩せて病気になった野良猫をただ見ているだけの人間にはなりたくない。私はエサを与える人間の側に居る事を誇りに思っているし、続ければ続ける程辛い事は確かに多いとしても、食べさせる事は喜びだ

社会との折り合いをつける為、そして死んで行く仔猫を見たくないが為、苦肉の策として避妊も保護も伴なうのだが、一番の喜びはせめてお腹一杯食べさせてやる事に尽きると断言して構わない

自分は飢えていないのに、野良猫が飢えているのを平気で見ていられる「猫好き」がいるとしたら、その人は本当は猫なんか好きじゃないのさ。猫だって腹が減るんだよ。そして猫のウンコより臭いウンコを、人間は毎日大量にしているんだよ(私は大量にも頻繁にもしていないけど)。

人間に優先して犬猫を救えとまでは言わないけれど、猫だからどうなろうと構わないと平気で言うような無教養で無神経な真似はしないで戴きたいと思う。価値観の違う者同士が、どうせ理解し合えないのであれば、棲み分けをして刺激し合わないようにしたいのだが、博士号なんか持っていても無教養な人間というのは存在する。そういう連中は、他人の領分までわざわざやって来ては大声で批判をし、ついでに野良猫を貶めるのだ。来世ではゴキブリに生まれ変わりやがれ。

ガラ

いっちょまえに香箱

Nov. 30, 2004

SOSだったキジ白猫「キンタロウ」をご記憶だろうか?今年の2月13日に都内で保護され、3月13日には私の管理としてマツモト先生にお世話になり、難しい手術を何度もして戴いた。保護当時の様子は悲惨だったが、今では大阪のさっちゃんの子としてすっかり元気になり、大層幸せに暮らしている。

保護当初から頭をグリグリと擦りつけてくるような甘ったれだったが、今は保護仔猫を可愛がる母親のような優しい猫に成長した。神々しいばかりに美しいと思う。

今日の「勝手に永久保存」をご覧下さい。キンタロウは「金団」という名を貰い、里子に行く日の様子を見るとお母さんとなるさっちゃんとのショットこそが「聖母子像」であったはずなのだが、今では金団と二八が「聖母子像」ではないか。尤も、去勢してタマを抜いたというのにデカいタマ袋を持つオスなのだが・・・。

ついでに言えば、綺麗な八割れの黒白猫「ニハチ」は現在里親募集中だ。多頭飼いの中で育って猫とも人間とも仲良しの気立ての良い男の子だから、是非あなたの家族に新たに迎えて下さると嬉しいです。

掲示板から「勝手に永久保存版」
金団(♂)と
二八(♂)

撮影:さっちゃん(大阪府)



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