ゴマ

もはや定位置

Dec. 23, 2004

2004年12月23日 木曜日
人には、人を育てられる人と、育てられないどころか無意識で若い芽を潰そうとする人がいる。どちらもいるけれど、前者は少ない。むしろ自分を凌駕する危険のあるものを早いうちに叩き潰したい人や、実力ある若手や新人を妬んで素直に相手の成長を喜べない人というのは結構な割合でいるようだ。人間が小さいというか、保身に精一杯で哀れだなあと思う。

自分が生きている間にやり遂げられる事など、相当頑張ってみたところでたかが知れている。それならば、新しい土地の開拓に泥まみれになってみる、生きて収穫を見る事はなくても種蒔きしておく、または自らを堆肥として貰い、いつか若い逞しい芽が育つ糧となれる事を、どうして年寄り達(あるいは先輩達)は喜びと出来ないだろうか。

私は子供時代から自分が主役であろうとする事はあまりなかった。その「華」がないと、かなり幼い頃から自覚していたせいだと思う。しかし卑屈になっていた訳でもない。自信がある部分だってあったし、小学5年生の担任には、通知表の通信欄に「他の追随を許さない」とまで書かれた。「但し過信しないように」とも。過信なんかするものか。自信すらなく、敢えて言うなら殆ど何も考えていなかったのだ。

私の周囲には、押し出しの良い優等生も居たし、イトコたちは皆才能に恵まれていた。ピアノひとつとってみても、イトコ連中で同様に習っていたにも拘わらず、それを生業と出来ていないのは私くらいのものだ。落ちこぼれではないものの、目覚ましい才能も無い。器用にどんな分野でもこなして来たが、実はこれといった取り柄もない。容姿も特徴がなく(多少デコチンではあったが)地味だった。だから私がスポットライトを浴びる事など考えもしなかった。

社会に出てから仕事はがむしゃらにやって来たけれど、これという専門もないまま50近い歳になってしまった。子供時代からの意欲の無さと漫然とした気の多さが、社会に出た瞬間から躓きをもたらした。何をしても一生懸命するものの、ライフワークとなるべきものが手に入れられなかった。

そんな私にも、人並みに本能に近い欲求はある。それは若い頃は、「認められたい・愛されたい」という根源的な渇望であったと思う。しかしそんな事を目的としていてはやがて虚しい事に気付いた。受け身ではいけないのだ。その時、生まれて初めて思った。自分の為に、自分の好きな事を頑張ろうと。

与えられたいものは先に与え、そして愛されたければ愛するしかない。人に評価される事を目的としても無駄だ。それは自分がして来た事の結果として付いて来る事でしかないのだという事に納得が行くと、人の心は本当に楽になる。

何故自分ばかりが貧乏くじを引くのだろう?とか、与える一方で損だとか、こんなに一生懸命にやっているのに認めてくれない等と思っているうちは、心の平安など訪れはしないのだ。いつも言う事だが、何の為にしているのかを改めて考えてみれば良いだろう。自分の心の満足の為にこそ努力するのでなければ、些細なトラブルにもめげるだろうし、心は常に不安定だ。

自己満足の為のサイトだとはっきり書いておけと罵り言葉を寄越した若者がいたが、自己満足の為に決まっているだろう。それ以外のモチベーションは、私にはない。

しかしその自己満足の内容には、私らしいバリエーションもある。私とて伊達に歳ばかりくっている訳ではないし、失敗や挫折の経験も多いが、達成感を味わった実績も少しはある。但し、課題は「継続」の為の粘り強さと、逃げないふてぶてしさだった。人を助ける事も、猫を助ける事も、エサやりも保護も、そこから逃げては自分に冥利が悪い。もっと言えば、自分を好きではいられなくなるという事だろう。自分が嫌いでは生きてはいられない。これは誰にでも当てはまる事だろうと思う。

自分の心を満たす為にこそ、人の気持ちも異なる価値観も理解しようと努める。そして私が求めるものの為には、それが自分だけでは実現し得ないものだけに、後続の若手にとって多少なりとも栄養が与えられる自分でありたいと願うのだ。それを、言葉というものの力を借りるならば「人を育てる」と表現してどこが悪い。神様ではなくとも、人は人を育てられるものなのだ。

ある人は、わざわざその事に関して「思い上がりもいい加減にしたらどうか」と言って寄越した。軽率だなあ。人を育てようとする事・・・それが自分には出来ない事だからと言って、他人にもそれを許さない精神こそが思い上がりだと知っているだろうに、妬みが言わせてしまうのだろうな。私よりも一回りも若いのだから、裏で悪口ばかり言っていないで、少しは働いて収入を得てみてばどうだろう?自分で働いて貧しさから抜け出すと、精神衛生に良いと思うよ。他人の事なんか、気にならなくなると思うんだけどね。

さて、何が言いたかったのかをまとめにかかろう。つまり、私如きをチェックしているようでは、しょせん小物だと言う事だ。私は私で、自分の目的の為に人に迷惑を掛けないようにしながら頑張る。価値観や個性の違う人たちも、いちいち違う感性の私にイチャモンつけていないで本筋を頑張って戴きたい。そして後に続く若者を、是非潰さないように育てて戴きたい。私達が人に、そして社会に育てられたように、私達もまた大人としての責任を果たさなければいけない。若者に、そして後進に脅威を感じているようじゃ、所詮大した器ではないのだと知ろうよ。
・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・−・・
ジーコの通院の日だが、ご相談者と病院で待ち合わせていたので、先にそちらの用件を済ませてしまう。病院のご紹介と、捕獲器をお貸しして、今後の段取りを打ち合わせする。その後、家にとって返してジーコを湯たんぽを入れたキャリーに入れ、再度病院へ。

良かった、今回は体重がキープ出来ていた。診察台で落ち着いているジーコの背中に輸液とビタミン剤を入れて貰い、飲み薬を処方して戴いている間に「また直ぐに次の子を連れて来ます」と言ってジーコを家に連れ帰る。

帰宅すると直ぐにアインとジーコに強制給餌し、私達もミカンを2個ずつ食べる。喉がカラカラだった。その間に滝沢さんから電話を貰ったのだが、これからまた出掛けるので夜にお願い!と言って、今度はペリーを連れて行く。

ペリーはとても素直にキャリーに入ったけれど、不安なせいかキャリーの中のクッションの下に隠れてしまっていた。頭の天辺に出来ていた小さな突起を診て戴く。診た感じでは心配された「肥満細胞腫」ではなさそうだと言う事だったが、念の為に「吸引バイオプシー」にて検査する事になった。

ペリーを押さえつけて毛を掻き分け、1ミリ程の突起に注射針を刺す。さほど痛くないのか、暴れる事はなかった。その証拠に、ついでにワクチン注射をしたのだが、こっちは皮膚に針を刺すと痛いのか、可愛い顔で一声「シャーッ!」と威嚇していた。頑張ったね、ペリー。

うちの自慢の黒白猫だけに、マツモト先生にも親バカぶりを発揮して笑われた。「先生、ここ見て下さい。この左足の白いラインがお洒落なんです」「ああ、本当だ・・・」先生はもう片方の足もチェックしてくれていた。不安げなペリーは、自分から私に抱っこをせがんでいた。可愛いペリー。

ジーコ  顔が小さくなった
Dec. 23, 2004
ジーコはアメショーのオスらしく、骨格の太い顔の大きな猫だった。ミュウは太ってはいたけれど意外と骨が細く、小顔だった。それはジャムのように、身体が大きいから顔が余計に小さく見えるという事ではなくて、ジーコと並ぶと良く解かった。どこのラインも柔らかく、手も小さかったのだ。それと比べると、ジーコは手足も大きくゴツゴツしており、顔は横に広く、本当に逞しい野生のトラのような猫だったのだ。

最盛期には、ジーコだって7キロあった(ミュウは8.5キロ)。それが今ではすっかり縮んで、骨までは縮まないから顔は相変わらず横広だが、小柄なアインと並んでも顔の大きさが同じ位になってしまった。その事に気づいたら悲しくなったが、時間や状態と共に変わって行くのは仕方ない事なのだ。こうして生きて、アインや私の傍に寄り添いたいと思う心がまだある。それが生きている喜びでなくて何だと言うのだ。

ジーコは生きる事を、ゆっくりではあるけれど享受しているのだ。だから私達はそれに手を貸す。延命の強制給餌を止めたらその時がおしまいだろうが、私達はまだやめない。

前日の「猫雑記」へ 翌日の「猫雑記」へ

月別INDEX 「猫雑記」INDEX HOME
inserted by FC2 system