ムゲン

マルコそっくり
里親募集中

Dec. 30, 2004

2004年12月30日 木曜日

今朝は今年最後のゴミの収集日だったので、納戸の片付けは出来なかったものの、出せるだけのゴミは出した。特に最優先懸案事項だった、マルコが出窓で暖かく過ごせる為の作戦遂行に伴なって出た大量のゴミだけでも出したくて、昨夜は結局部分的な大掃除をしてしまった。

棚代わりにしていた出窓だったので、CDコンポや昔のPCのモニター(但し小型だが解像度の高い綺麗に写るTVとしては立派に生きている)、大量の本が置いてあった。そこに猫ベッドも2個置いていたのだ。モニターと数冊の本を選別して残し、全て廃棄する事にした。CDコンポは、どうせCDのセンサー部分が壊れてしまったままだ。ラジオもカセットも聞かない。

すっかり物が無くなった出窓には、改めて猫ベッドを置き直し、小さなオイルヒーターを設置した。これでマルコが長時間、カーテンの陰に隠れて過ごしても寒くないだろう。コタツへの改造はそう簡単には出来ないけれど、暖かい場所で気持ち良さそうに眠っているマルコを見て安心した。

ゴミを捨て、ぶーちゃん部屋の新聞紙トイレを作り直し、冷えた身体を温めようと風呂に入り、髪を乾かしながら生ハムでビールを飲んでいたら夜が明けてしまった。少し寝ておきたかったけれど、今日はお出掛けなのだ。天気は上々。道に雪は殆どない。これなら行けるだろう。
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日が昇ると、屋根に積もった雪が「ガラガラガラ」と音を立てて滑り、「ドカッ」と落ちる。その音を恐がっているのは、意外にもジャムだけだ。威嚇までしている。断続的にそんな音がするので、やがては唸り続けるようになってしまった。他の猫たちだって驚いて耳をピクッとさせたり、まちあるものは窓辺に駆け寄ったりしたいたけれど、ジャムのように本気で恐がっている猫は一人もいない。マルコですら平っちゃらなのに。ジャムの繊細な本質を垣間見たような気がする。

可愛いジャム。生まれて間もなく捨てられ、運良く拾い上げられ人工授乳で育てられたジャムは、野良生活を知らず、猫の母親を知らず、初乳も飲んでいないと思われた。ゴマにもミュウにも可愛がられて、むろん私達も溺愛して育てたけれど、眠る時にはいつもムートンのクッションに吸い付きながら、前足をふみふみしながら眠りに付いていた。それを見るにつけ、全く母の乳を知らない猫はジャムだけだった事に気づく。

同じように捨てられた子たちでも、カラスに食べさせようとして公園の真ん中に生まれたてで濡れたまま、箱にも入れられずに捨てられたのはジャムだけだ。どのみち「捨てる」という行為に差はないし、5歳とか7歳まで飼われて放棄され、おニャアニャンちに里子に行った公太郎や、明美さんちに里子に行ったポッポ太郎、そして亡きでぶっち、小町、ジュリナ、雅さんたちの方が、捨てられたという事に関しての心の傷は深かっただろうと思う。

そのいずれの猫も里親の元で過去とは比べ物にならない位に幸せにして貰い、それぞれの経緯を辿っているけれど、ジャムのように全く捨てられたという意識すらないだろう猫の中にも、永久に欠落した何かがある事は確かだ。それを感じるにつけ、ジャムがどんなに苛めっ子ぶりを発揮しようと、改めて溺愛してやりたくなる。

悪い事ばかりするので「下に行くか?」と抱いて階段を下りかければ、死に物狂いで泣いて2階に戻ろうとするジャム。完全な内弁慶で、へこたれマルコと弱いジーコにしか優位を誇示出来ないような、守られたファミリーの中でお嬢さんが素直になれずに苛々して我が儘ぶりを発揮してしまうような、そんな程度の凶暴さでしかない。

だからマルコは、逞しくなるしかないね。あんたが先に威嚇し、手を出すのだもの。男だったら、所詮お嬢さん芸でしかないジャムの攻撃なんか恐がらず、ドーンと受け止めてやりなさい。そう、こうちゃんのようにね。
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そして寝る暇の無いまま、9時ちょっとにはお迎えの車が到着した。黒塗りのリムジンが家の車寄せに音もなく着き・・・というのは白昼夢か。たくさんの猫を運んでいる愛車フィットを機敏に操り、グレーのダッフルコートを着た鈴木さんが元気に現れた。私も元気で出掛けよう。眩しいような青空で、サングラスを持たずに出た事を直ぐに後悔した。

道中はガラガラという訳にはいかなかったけれど、一度も渋滞せずに走れた。この分では早く着き過ぎると思い、東北道に乗ってから間もなくの蓮田のパーキングエリアでお茶にした。お茶だけで済ませれば良いものを、神戸屋ベーカリーが入っていたので、アップルパイとソーセージのピタパンを食べてしまった。朝ご飯だってちゃんと食べたくせに。

げこちゃんの家に着いたのは、午前11時半頃。雪が解けて凍りついた駐車場には、げこちゃんの黒いアルテッツァがあった。家はサンルーム部分がガッチリと細かい目のフェンスで囲われていて、まるで囚人護送車のようだ・・・と失礼な事を平気で言いながら、本当は「ここまでやって貰えて、猫たちは何て幸せなんだろう」と、フェンスの向こうにで日差しを浴びている日輪ちゃんをワクワクして見ていた。

げこちゃんの祖父と私の祖母がイトコという関係、つまり私達の親同士がハトコ。私達はきっと偶然の話題が出なければ、一生ただの猫友達として付き合っていたのだろと思う。親戚であろうとなかろうと、お互いの心を信頼する度合いは強く、会う事はなくても強い絆を感じていた相手だったのだが、遡ると家系が一緒だと知って以来というもの、成る程さもありなん・・・と感じる事が多くなった。女が強い血筋、そして金に汚くない血筋だと思う。

初対面なのに懐かしい。その顔やスタイルは、彼女の描く最近の絵の女性と似ていた。造作は小さいくせに、笑うと顔中が笑顔になる。鈴木さんも声がデカいが、げこちゃんもデカい。まったくもう、うるさいなあ・・・と言いながら、先ずはキンピラを作る事にした。げこちゃんに、牛蒡と糸コンニャクを買って来いと命じる。本当は昨日のうちに作って、持って来ようと思っていたのだが、思いがけない雪で買い物に出るのを挫折したのだった。

牛蒡と人参と糸コンニャクのキンピラを、最後に水菜のザク切りと合わせる。仕事が桁外れに忙しいので料理をせず、肉を食べないげこちゃんへの置き土産にしたかったのだ。そうこうしているうちに、電車で来る事になっていたテレサ・ちん到着。ますます騒々しくなり、4人のうちで一番物静かなのは私であっただろう。

4人でうな重を戴き、蒲焼きの皮を食べないと言うげこちゃんの皮まで私が食べ、具沢山の茶碗蒸しと肝吸いも全て平らげてから、キッチンで煙草を吸って戻ると、鈴木さんとげこちゃんはまだ鰻を食べていた。テレサ・ちんも食べるのが早い。しかも結構たくさん食べるくせに、私ばかりを大食いだと言う。先に機関銃の如く、反論の余地も与えずに言うから、そういう結論になってしまうのだ。それに私はおとなしいから。

げこちゃんちの猫たちは、いずれも可愛い。いやどこの家の猫も皆可愛いのだが、マルコ似のムゲンにしても、かつて知り合った時に2匹だけ居たエドとアインの黒猫兄妹にしても、黒猫おかんと茶トラのシャルの偽親子も、小さくて品の良い日輪ちゃんも、鈴木さんの保護猫だった頃とは別猫になってしまったかのようなおデブの甘ったれ黒猫の七歩も、そして大きくておっとりしてミュウにそっくりの六花もそれぞれ広い家中の好きな場所で寛ぎ、その美しい姿を見せてくれていた。

初めて見るエドとアインは、確かに優雅で美しい黒猫だった。特にエドの男っぷりは素晴らしい。カッコ良くて、遠くからでも見惚れてしまうような猫だった。アインちゃんは、うちのアインと同じくお姫様だった。しかし私が一番気になるのは、体型も素振りもミュウとそっくりの茶白の六花だ。たっぷり触り、床暖房の効いた暖かい床で添い寝し、どのようにして抱かれようがされるがままというところもミュウと同じだと思いながら長時間抱っこし、瞼や鼻の頭にチューもした。放せない気がした。とてもヤバイ感覚に陥っていた。

しかしこの件は、また日を改めて書こう。今日のところは長くなるばかりなので、出来事を日誌として書くに留めたい。

猫の為に建てた家は、本当に快適に造られていた。絶対にどんな仔猫だろうが出られる隙間もなく作られているサンルームは、太陽の光と風を自然のままで楽しめる、猫にとっての極楽ゾーンだ。そして家中のポイントには、猫の大好きな隠れ場所がわざわざ作られている。弱虫シャルの為には、猫だけが出入り出来る小さな入口がついたトイレ部屋があり、そのトイレを掃除する為のドアが別に付いている。この工夫は素晴らしいと思った。

和室には2間幅の出窓があり、その手前には丈夫な障子がはめられている。ここも猫が大好きな空間だろう。1階のリビングは吹き抜けになっており、猫だけが利用出来る階段状の戸棚からキャットウォークへと繋がり、2階の廊下へと自由に行ける。全ての窓は、脱走防止のフェンスや仕掛けが完璧に出来ていて、玄関は当然二重構造だった。

ここまで完全な猫の楽園は見た事がない。私もげこちゃんちの猫として飼われたい位だ。3人で、どの猫を貰って帰ろうかと好き勝手な事を言い合うが、間髪を入れず「ダメッ!」「絶対にあげない!」と大声で断られる。ケチ〜。

午後5時を回り、名残惜しいけれどお暇する事にした。もっと早く切り上げるつもりでいたのに、お喋りで姦しい3人の為にすっかり遅くなった・・・という事にしておこう。こうちゃんに電話しておけば?とげこちゃんが言うので、今から帰るね・・・とだけ電話で伝える。半日離れていただけなのに、とても懐かしい声だった。

とても遠いので、そうそう会えないだろうけど、余りにも居心地が良いので、ここの家の子になる〜!と駄々をこねたいところだった。げこちゃんには私と同じ血が色濃く通っている事も、改めて感じた。別れが寂しいという気分を、実家を出て間もなく里帰りした時以来初めて感じた。

帰りも、テレサ・ちんは電車を選択。最寄り駅で降ろし、暗い夜道をちょっとだけ迷いながら帰路についた。予想はしていたのだが、東北道から首都高に入り、いつも渋滞する地点でかなり混雑した。向島や駒形あたりは通らず、扇大橋や千住新橋あたりで下道に下りてしまう方が良いのかも知れない。首都高は合流に継ぐ合流で、渋滞しない方がおかしい。行きは分岐に継ぐ分岐で、だんだん空いてくるのだが。

水分をかなり摂った私は、子供みたいに(あるいは年寄りみたいに?)「オシッコしたい」と我が儘を言い、下道に下りるまでは我慢したけれど、中原街道沿いのコンビニでトイレを借りるハメに陥った。もちろん買い物もした。ラッキーストライク1カートン。3千円も買えば、トイレ位借りても良いだろう。しかし我慢し過ぎたせいか、思うほどには出なかったのだが。
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一日留守にしてしまったので、こうちゃんにお土産として持たせて貰ったうな重の折り詰めを食べさせている間、私はあちこちに大事な用件の返信だけ済ませる。実はうな重はもう1個ある。流石の鰻食いの私でも、昼夜連続は無理だったので、「朝ご飯にうな重」という念願が果たせそうだ。げこちゃん、色々とお気遣い有り難う。そして鈴木さん、長道中の運転を本当にお疲れ様。鈴木さんの運転は冷静で機敏、アグレッシブで慎重、スポーティーで男性的だった。いずれはホンダのS2000を買うと言っているけれど、彼女ならば存分に乗りこなすだろう。

寝不足でヘトヘトの状態が続いている私には、もう首都高が楽しくて下りたくない・・・等とは言えなくなっている事を実感した。目が回ってしまう。このところ、かなり衰えが激しいかも知れない。

ジャム

恐いものもある

Dec. 30, 2004
私達が出発した後、げこちゃんはこうちゃんに電話しておいてくれたようだ。「こんな言い方は変だけど、カズエさんを宜しくお願いします」と彼女はこうちゃんに言ってくれたそうだ。私は色んな人の想いに守られている。テレサ・ちんだって、健気で(みんな笑うだろうけど)損な性分の私が可愛くて仕方ないのだ。年下の鈴木さんにまで、いつも助けられている。私って、本当はお姫様だったのかしら〜。

さて、ムゲンがどれだけマルコに似ているかの証拠写真を色々と探して時間が掛かってしまったのだが、幾つか過去の「猫雑記」から参照してみて戴きたい。これとか、これとか・・・。でも、たくさんこれまでに見て下さっている方は、ちゃんとイメージとしてマルコの姿を覚えて下さっているだろうから、うまく例が探せなかったけれど、私が言いたいイメージはご理解下さると思う。

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