みーちゃん
日向ぼっこ
Jan. 22, 2005 |
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2005年1月22日 土曜日
下の写真は、おニャアニャン家の麻呂と颯太だ。
いい写真なのでかっぱらって来た。
颯太の顔を見るとミュウを思い出し、麻呂を見るとお山のマロを思い出す。
どちらも今はもう現実には姿を持たない存在となっている。しかし、どちらも決して私の中で薄れる事の無い存在感を持つ。
特にマロはあんなにも人恋しくて、通行人誰にでも擦り寄っていたのに、「私はマロがいいな」等と口ばかりで、気になっていたくせに・・・いや、これ以上言うのはよそう。
所詮お為ごかしでしかない。
左が麻呂、そして右が颯太。 |
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キャットタワーの穴からはみだす麻呂の腹はどうしたものか。体型だけで言えば、麻呂の方がミュウに近いのか。
しかも人間のような顔をしているな。
額には三日月の傷(傷でない事は解かっておる)。そうか、お前は旗本退屈男「早乙女主水之介(さおとめ もんどのすけ)」だったのか。そうでないなら、ごま麩アザラシか。
麻呂と颯太、どちらもとても可愛い。
猫とは、どうしてこんなに可愛いのだろう。
そんな猫という生き物を虐待したり出来るヤツは犯罪者というだけじゃなくてキチガイだろうな。
コトラちゃんをあんな目に遭わせたヤツは、きっとまたなにかしでかす。
警察にだけは届けておいた方が良いと思うが、警察も動物虐待に対してはあんまりアテにならないからな。
しかし、諦めていては駄目だ。住民がきちんと要求をしないと。 |
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個人がアテにされるかされないかの違いについて・・・以下は私の見解。
私の場合、自分でも集中力は抜群に(病的に?)あると思う。
だから仕事がもの凄く速い(間違いも多いけどね)。ひとつ事に集中していると、寝食を忘れる。いや、食は忘れないだろう・・・と思われがちだが、勤めていてつまらない仕事をしていた時には忘れなかったが、夢中になる事だと食事はおろかトイレに立つのも嫌だ。
そういう性癖だけに、とことん一つの事にのめり込み、エネルギーが少しでも残っているうちは作業をやめたくない。
そんな風だとしても、大仕事を片付けた後に気を抜いて休むと、どっと疲れが出て暫く動けなくなるのはまずい。
躁と鬱を繰り返すかのような仕事のやり方や生活のあり方というのは、甚だアテにならないと言わざるを得ない。
そしてそんな風では、大人としての自己管理能力の無さを披瀝する事になる。
だからコンスタントであるという事が大切なのだ。
それを肝に銘じていないと、私の場合は努力が途切れてしまってアテにならなくなるだろう。一日も休まずに続ける事が、私には必要な事なのだと思っている。他人に対して求める事は出来ないけれど。
しかし動物との関わりに於いては、他人にも求めるだろう。エサやりや飼育に休日はないのだから。
人間の子育てだって同じ事だろうと思う。お母さんは大変だな。 |
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その「お母さん」でもある鈴木さんが、保護主から預かって里親募集しているタコちゃん(注1)を、早く良いご縁と出会わせてやりたい。ある人は、きっと一部の人の募集ばかり私が贔屓していると思うかも知れないが、それは違う。
誰であれ、私の提案を聞き入れてマメに更新する為の努力をして下されば、私は一生懸命に贔屓している。どの子が里子に行けても嬉しいのだから。
仮に出しっ放しの募集でも、その募集主の困窮した様子を見聞きすれば、猫が欲しいというご相談があれば、そういう募集主にお話を繋いでいる。勿論、ただ丸投げするのではなくて、繋ぐ以前にきちんと説得・宣伝してから回しているつもりだ。
しかし、少し前から方針を変えていた。困窮していようといまいと、努力している様子を伝えて戴いてこそ、私はその人の為に動く事にしていた。そうでなければ不公平だからだ。
従って、身近な猫仲間や親戚や私の里親さんの行う募集だからという事で肩入れする事はない。募集が古びないようにマメに近況や写真を追加して下さい・・・という私の提案に応じ、或いは私の心を動かすような前向きな努力の姿勢が伝わり、私を上手に働かせる人が、贔屓されているかのように見えるだろうと思う。
里親探しは、機械的に広くやれば良いというものでもないと思っている。どこまで丁寧に、そして情熱的にやれるか・・・これは猫の為ではあるものの、人と人の心のかけひきであり、どう相手の心の根っこにまで届くやりとりが出来るかが肝要だ。
その交流に関してはなかなか骨の折れる事でもあるし、心と心の交わりは決してマニュアル通りにやって出来る事ではない。
そういう意味でも、アンディの里親募集は、ここまで丁寧に野村さんがケアしつつ更新を重ねてくれた事が、素晴らしい里親さんとの出会いをもたらし、且つ、ずっと見守ってくれていた里親さんがアンディを迎えるまでの決意を少しずつ固めさせてくれたのだろうと思う。
妥協の無い募集活動、しかしそれが通り一遍のやり方を踏襲するのではなく、一人一人違う人の心にフィットして行けるだけの柔軟で綿密な対応、表現力が求められるものなのだという事を立証する、見事な模範を見せて戴けたと感謝している。
これからも私も掲載にあたっては妥協しないし、募集主とタッグを組めるケースが多くある事を望む。 |
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さて、そんなタッグチームを組める数少ない人達の一人でもあり、「お母さん」兼「お父さん」兼「勤め人」兼「エサやり」の鈴木さんだが、再来週に入院して手術する事になってしまった。随分前から、鼠頸部にしこりが出来ていた事は聞いていたのだが、遂に大きな玉に育ち、切除する事になった。
私も同じようなものが出来て、昨年は長い月日それに悩まされていたのに、退職したらペシャンコに消えてしまった。
何軒もの医者に診て貰い、きちんと病理に出さなければ駄目だから、町の開業医なんかで切ってはいけないと、その開業医自身に言われてガックリしていたものだが、切らずに済んだ。ストレスが育てていたデキモノだったのか。
しかし鈴木さんの場合は、まるで男になってしまったかのように「玉」に育ったと言う。
出来た場所も、足の付け根であった私よりは、男性のタマに近いようだ。うつ伏せ寝が出来ないと言っていたから。
タマを切除したら病理検査に回すだろうから、是非写真に撮って見せて欲しいとお願いしてある。
オデキフェチの私としては、他人の不幸を喜んでいる訳ではないのだが、どんなモノだろうが見たくて見たくて我慢出来ない。詳しくレポートもして欲しいとお願いした。
これでうちの掲示板でのコードネーム「タマちん」を持つ鈴木さんは、名実共に「タマちん鈴木」となった。
しかし切除してしまうと、オカマになってしまうのか。しや、元々戸籍上では女だったのだし(戸籍謄本を見た訳ではないが)、息子も産んだのだし(これも見た訳ではなくて、私の息子ですと言われているだけだが)、男になりかけていたのを食い止めたという事だろう(違うって)。
勿論、留守中の猫たちや息子のお世話の手配にはぬかりのない鈴木さんだが、その間のタコちゃんの問い合わせ先は、私にさせて戴こうと思う。
どうぞタコちゃんを宜しくお願いします。
タコちゃんに良いご縁があって里子に出せれば、タマちん鈴木は、自分のエサ場で「ボクを連れて帰って〜」と甘える「喜助」というデカ猫を家に入れられるのだ。
毎日それを振り切って家に帰る気持ちは、私にもとても良く解かる。 |
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ペリー
ソファの上が定位置
Jan. 22, 2005 |
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