《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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アイン

不死身の女

Jan. 30, 2005
2005年1月30日 日曜日

昨夜遅く、ジーコはやっと少しだけキドナを飲んでくれた。

1.5ccほど飲ませるのに大変時間が掛かったけれど、諦めずにこれからも与えようと思う。

飲み込めない時にはダラダラとこぼしてしまった分が、濡れコットンで念入りに拭いているつもりでも、乾くとカピカピになる。だけど一気に色んな事をするのも負担だろうから、いつか綺麗にしてやろうね、ジーコ。



触っても冷たく硬くなっていて反応がなかったのに、生命反応のようなものが出て来た事が嬉しい。

根気強く水のスポイトから始めて、漸く少し口を開けさせる事が出来た。水分と栄養を、たとえ少しでも入れ続けよう。



マツモト先生には電話でちょっと報告し、キドナが無理だったら、ポカリスエットのようなものを3倍位に薄めて飲ませると良いと教えられた。

楽になる事なら、何でもしてやりたい。




ずっと徹夜続きだったので、こうちゃんと交替で2時間近く寝た。

そしてお互いに悪夢を見て目覚めた。

寝るとろくな事がない。

でも一体どれ位連続で起きていられるものだろう。もちろんチャレンジするつもりなんかない。私達が元気でいなければいけないのだから。



そして泣いている暇はないのだと自分を戒める。

本音を言えば悲しくて堪らないし、ネガティブになりかける。

ジーコに与えられた運命を呪い、我が子との時間をいつも後回しにして他人の依頼や相談事に多過ぎる時間を割いて来た馬鹿な自分を呪い、ジーコの命の灯火が消えようとしている時にも関係なく回っている世の中まで呪いたくなる。



だけど、そんな方向を向いていてはいけないのだという事も解かる。

ネガティブな想いは不幸を呼ぶだけなのだという事も。

「お前は一生貧乏クジ引いて一番最後に死ぬんだ」と言ったミヨコの言葉は、そのまま褒め言葉だと思う事にするよ。



ミュウもジーコも、きっと解かってくれているはずだ。私の子なのだから。

うちの子たちは幸せだと私が信じて努力せずに、どうして叶うだろう。


ジーコは一番幸せな子のはず。

猫の両親と人間の両親に囲まれ、一度の余所の家を経験する事もなく、ただ1匹だけ純粋培養で生きて来たのだから。



その「とき」は誰にも平等にいつかはやって来るのだから、必要以上に悲観しないでいたい。

生も死もしっかり受け止めてやるよ、みんな。

私の骨はミヨコが拾ってくれて、7回忌まではちゃんとやってくれるそうだから、せいぜい期待していよう。

しかし私が93歳までは生きるのだから、私の7回忌にミヨコは101歳だな。

またもや、おニャアニャンの日記から写真をかっぱらって来た。

下の黒白猫が公太郎だ。

4年前、私とこうちゃんとで新座市の多頭飼い崩壊現場から救い出して来た猫たちの1匹だ。



大変な美男子で自意識過剰、そして我が儘で甘ったれだった。

自分の魅力を知っているジゴロのようなオスだった。



搬送中の車で何時間も鳴き続けて、すっかりガラガラ声になってしまった。しかし一緒に運んだ彼の母猫が、この大きな息子の鳴き声に呼応していたのが印象的だった。



幸運にも、母と息子は同じ里親さんに引き取られた。

それがおニャアニャンだった。



この時期、雪が降る度、私もおニャアニャンも、それぞれの地で同じ事を思い出しているようだ。

しかし過去ばかり思い出している訳ではない。日々のトイレ掃除で忙しい多頭飼い同士、数多の想いを抱えつつ、今日と明日の事に勤しむ姿を見せ合って自分に誇りを持ちたいと思う。



私達は折に触れ、同じ怒りを感じて来た。

信じきっている子供を捨てる親への怒り、自分の弱さを克服出来ないばかりか他人に責任転嫁して、して貰った事への感謝よりもして貰えない事への恨みを口に出来るような精神に対しての怒り・・・。

彼女の、リスクを覚悟で責任ある言葉を発する潔さには、私も見習うべきところが多い。

水面下では、ジーコの容態に関係なく様々な事が動いている。

結局は、一日とて休めないようになっているのだろう。

そして多分、そういう風である事が望ましいのだろうとも思う。



それにしても、今日は色々と疲れた。

懸案事項は、全てこれからの頑張り次第。ネバー・ギブアップ。

ジーコ

少し楽かな?

Jan. 30, 2005


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