《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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ジーコのお花畑

左側

Feb. 19, 2005
2005年2月19日 土曜日

朝、ゴミを出しに家を出ると、うっすらと雪が積もっていた。

まあ、寒いと思ったら・・・。でも寒い方が、戴いたお花が長持ちしてくれるだろう。

大切に毎日水を足している。

お花はまだ増えつづけている。

「ジーコ、嬉しいね」




流石に疲れがどっと出て、一日殆ど動けず。

顔と手足の指が浮腫み、唇にヘルペスの水泡が出来他。

そのせいなのか顔面神経痛(三叉神経痛)のおまけつきだ。いつもと違って右側に出た。

まあいいさ、いつかは治る。





朝は、ほうとうを味噌味で煮込んだ。

具は大根のイチョウ切りに豚肉としいたけ、長ネギをたくさん。身体が温まった。





私がベッドに横になると、アインが首のあたりに陣取って丸くなる。

ずっと抱いていたい。

この時間が永久に続くならば、どんなにか良いだろう。





晩ご飯は豚しゃぶ。具は芹とえのきをたっぷり使う。

芹、美味しい。

大根おろしもたくさん用意し、ポン酢もたっぷり。

ご飯も炊きたて。

夕飯の後、TVで映画『フォレスト・ガンプ』を観る。

トム・ハンクスは相変わらず巧い。



オープニングの最初の表情だけで、既に「ある事」が解かる。つまり軽度の知的障害がある人物を演じているのだが。



物語は30年にわたる回想場面で綴られるのだが、その年代の文化が色濃く描かれていて懐かしい。

当時の音楽が効果的にたくさん挿入されいているので、同時代を生きていた私達にとっては、その音楽を聴くだけであの頃の空気に包まれる。

音楽のチカラは偉大だ。どんな説明にも勝る。



流石にプレスリーの「Hound Dog」までを自分の同時代とは言い難いのだが、ボブ・ディランの「Blowin' In The Wind 」やドアーズの「Break On Through」、ママス&パパスの「California Dreamin'」、そしてスリー・ドッグ・ナイトの「Joy To The World」、サイモンとガーファンクル「Mrs. Robinson」等々、通り過ぎて来た時代が瞬時に甦る。

とりわけドアーズは、ベトナム戦争の時代と切り離せないような印象がある。

時代的に一致するのも確かだが、どうも『地獄の黙示録』でドアーズの「The End」が使われていたお陰で、頭の中にサイゴンのホテルでのオープニング場面とジム・モリソンの歌声がセットできっちりインプットされてしまったせいかも知れない。



余談だが、この映画(地獄の・・・)の事は私としては絶対に書かなければならないテーマだと思っている。

しかし既に『映画雑記』の「太陽の帝国」の中でもちょっと触れた事なので、ついつい後回しにしているのだが。



かつて少女だった頃は、アメリカの音楽に全く関心がなかった。

殆どイギリスのプログレッシブロックを聴いていたものだから、ドアーズもロックの一般教養的に耳にしてはいたものの、特に好きではなかった。

歌のついた音楽もあまり好きではなかったし、ドアーズもストーンズもポップで当時の私の気分には単純過ぎた。



やがてもう少し大人の歳になると、「歌」という表現手段とその才能に魅せられるようになる。

才能豊かな歌い手に魅力を感じるようになったのだ。

更には、アメリカの音楽市場の「大人」加減に魅せられていったのだと思う。



そうなると、今度はイギリスのロックがやけに子供っぽく感じられた。

ま、それはその時代の潮流の「概ね」という事であって、全てがそうではないのだが。



ジャズボーカルを聴き、(こうちゃんから教えられた)ブルー・グラス系の音楽も聴き、ポップスもやっと抵抗なく聴けるようになった。

粘着質なので、ひとつのアルバムを飽きるまで毎日繰り返し聴く。

多分、数えてはいないが、何千回も聴く事になるのだ。

そしてある日突然飽きて、別の対象にのめり込む。

これでは、まるで私がフォレスト・ガンプだな。



ドアーズの事にもう少し触れると、彼らの音楽の特徴は、レイ・マンザレクのオルガンでも、ジム・モリソン(写真右参照)の知的で深遠な詩でもなく(勿論それも差別化に一役買っているが)、何と言ってもジム・モリソンの独特な「声」にあるのではないかと思う。

特に巧い訳ではないのに、一度聴いたら忘れられない声質なのだ。



声というのは不思議だ。

ビリー・ホリディのねっとり絡み付くような雰囲気でありながら、それでいて乾いた独特の声、ジム・モリソンの地の底から響くような硬質な声・・・この二人には時代とジャンルの枠を超えた共通点が感じられる。

「絶望」からスタートしている、安易な理解を求めない記号的なメッセージとでも言うのかな。

勿論その詩にも込められたものを付加させたイメージなのだろうが。



フォレスト・ガンプは、死んだ母親からこう言い聞かされて育った。

「人生はチョコレートの箱のようなものだ」と。つまり「開けてみなければ解からない」という意味だ。

それならば、私の座右の銘と殆ど一緒だよね。「一寸先は闇」

そして「死までが生きることの一部」だと母親のミセス・ガンプは言う。

そう、そこまでが生きるという事なんだ。

覚悟していたとは言え失いたくないものを失ったばかりの身に、この言葉は沁みた。

「最期のとき」を見送る事までが、「飼う」という事なのだ。

それがどれだけ泣き叫びたい程の哀しみを伴なうものであるとしても、愛している事の証しとしてそこから逃げる事は出来ない。

ジーコは私に何を言いたかったのだろう?

それを思う度に涙が落ちる。



だけど立ち止まりはしない。

自分が向こうに行くその時まで、痩せ我慢してでも自力で頑張りたい。

ジーコのお花畑

右側

Feb. 19, 2005
天気が悪くて寒いと、アインの容態が気掛かりだ。

部屋を暖かく保ち、私は相変わらず半袖で過ごしている。



今夜は風呂にも入ろう。

もしかしたら、2月に入ってからは初めての風呂かも知れない。疲れが出るのが恐くてシャワーしか使えないでいたが、そろそろ湯に浸かりたい。


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