《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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ルス

お久し振りね

Mar. 5, 2005
2005年3月5日 土曜日
色々と思う事あり、日記にも書けない事もある。自分の心の中を見る事から逃げているのではなく、言葉にしても仕方ないだろうと思うから。満たされないまま、決して解決出来ないまま、不愉快を抱えたままでも、ちゃんと生きていかなければならない。

心に浮かぶ全てを吐き出したくなって書かずにはいられないとしたら、それは自分を意志の力で制御出来ていない事になる。そういう年頃はとうに過ぎた。しかし「全て」は書かずとも、2〜3割は書いておく。それは日記とは言え、ある程度の情報発信でもあり、少しは影響があるからだ。

解かる人にだけ解かれば良い事柄と、出来るだけ多くの人に理解されたい事とは区別しているつもりだ。私の個人的な感情などは、広く理解されなくて良いものだ。

しかし敢えて繰り返し伝えなければならない(と信じる)メッセージというものもある。それはしつこく繰り返し書き続けるだろうし、それもまた少しずつ形を変え進化していくものだろうと思う。過去僅か5年半とは言え、私が少しずつ変化・成長して来たのと同様に。

いずれはすっかり弱るかボケるかして、サイト運営どころかメールも出来なくなる日が来るのだろうが。暫くの間、現状維持出来れば「御の字」だろう。

弱りもしていなければ、ボケてもいなかった(であろう)2歳年上の従兄が死んだ。

脳溢血だったらしい。

ジーコが逝く前日に「今日がお通夜だったのよ」と報せを受けたけれど、危篤状態のジーコを見守りながらボーッと聞いていた。

まだ50(前?)だった。



祖母の時もそうだったが、私は葬儀にはとても行けないので、母が香典と花を用意してくれていた。

70も過ぎた母は、いつも先を読んで行動する性分のままだ。こういう時は、母の世話好きでせっかちなところが有り難い。立て替えて貰った分は、後で振り込む事にした。



後日、伯母からお礼の手紙が届いた。

伯母には浪人時代に毎週1度泊めて貰い、そこから絵の先生のところに通っていた。受験の為に、ある画家のところでデッサンと油絵を指導して貰っていたのだが、終わると夜中で終電(電車ではなかった、ディーゼルだった)がなくなっており、家まで帰れないのだ。

予備校の後、伯母の家に行き、早めに晩ご飯を食べさせて貰ってから絵の先生の家に自転車を借りて行っていた。ご飯を食べながらTVを見ていると、デビューしたばかりのピンク・レディーが「ペッパー警部」を歌っていた。私の10代最後は、そういう時代だった。

伯母は5人姉妹の長女で、八千草薫似の美しい人だった。真ん中の三女で、スキのない厳しい母よりずっと穏やかな人だった。学生時代はバイオリンを弾いていたと聞く。上野の音楽学校に行くはずだったのが、東京で空襲が激しくなって、祖父(伯母たちにとっては父顔)が上京させなかった為に泣く泣く諦めさせられたと、母が話していた。伯母の娘時代とは、そういう時代だった。

ある晩、娘時代の伯母がバイオリンの稽古をしていると、空襲警報があり灯火管制となった。バイオリンを床に置き、暗闇で膝を抱えて警報が解除されるのを待っていた時、トイレに行こうとした次女が廊下を通らずに部屋を斜めに横切り、バイオリンを踏みつけて壊した。

「あの時、お姉さんはうんと泣いたけど、お父さんは泣くほど大事なものを床に置いていたお姉さんが悪いと言って、2度と買ってやらなかったのよねえ・・・」と母は言っていた。

ピアノを習わせて貰い、随分と長年月謝も注ぎ込み、挙げ句にピアノではなくて「美大に行く」と言い出して、噂で聞いた画家の家を突撃して無理矢理頼み込み、寒いさなかに色んな人の助けを借りながら通っていたくせに、受験直前に精神的に挫折して文学部に寝返った私を、伯母はどんな気持ちで見ていただろう。

母にしても、気の強いプライドの高い人で、私のように簡単に挫折して逃げだす事はなかった。我が子にはあらゆるチャンスを与えてくれていたのに、私は悉く無駄にして来た。振り返れば挫折の歴史、私が捨てた(逃げ出した)ものが死屍累々と積み上げられている。

無駄だったとは言いたくはないし、きっと何らかの滋養にはなっているのだろうと思うけれど、自分の心に問うてみると、最後までちゃんと努力しなかった事を嫌でも思い出す。駄目な娘時代だった。

理屈をつけて自分を正当化していたように思うけれど、世間知らずで我が儘で怠惰で弱かった。あの頃の私が目の前にいたら、この罰当たりが!と言ってやりたい。恥の多い人生だ。

今は幸せだし、わざわざ過去を「恥」とまで言いたくはないが、2度の離婚でも自ずと世間が狭くなり、伯母にもずっと音信していなかった。母に一言断ってから、伯母に電話を掛けてみた。

我が子に先立たれた母親の悲しみは、幾分解かるつもりでいる。慰めようがない。ひとしきり話相手をするしか出来ない。

伯母は言っていた。「人がどう言おうと、人になんかどう思われようと、自分が納得するように生きた方がいいよ」そして「生きて行くって事は、本当に苦しいわよね」と。日頃口の減らない私だけど、うまい言葉が返せなかった。

昼前にメールチェックしたのを最後に、メール受信が出来なくなった。少しすれば回復するだろうと思って待っていたけれど、遂に今日が終わる今現在も復旧せず。

もちろんプロバイダにウェブからメールして問い合わせしているところだが、明日になっても回復していなければ電話するしかない。よりによって土日にこんな事が起きると、プロバイダに電話して人が出るのだろうか?

ルス

にゃ〜ん

Mar. 5, 2005


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