モア
寄り目復活
Sep. 5, 2005 |
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2005年9月5日 月曜日
昨日一日ダラダラしていたせいか、今日は夜明け前から頭スッキリ。
午前中にご相談電話2件、その後、もえるさんとも電話で話す。
いつも電話の向こうでフニャフニャ鳴いている「ひなた」がちょっと調子悪かったらしく、病院に連れて行ったところだと言っていた。
ひなたの赤ちゃんのような声が受話器から聞こえないと寂しいよ。
生活クラブ生協の配達が済んでから、遅めの昼食。
配達は毎回、予定時間より最低でも30分は遅れる。配達員が代わってから、いつもこうだ。
先日、今の配達員さんが夏休みだったのか、久し振りに元の配達員さんだった時は、かつてのように予定時間通りに来た。
不思議だな。
仕事に関係する事柄で先方の事務員さんに伝わらない事があり、ちょっと苛々する。あまり苛々するとストレスでホットフラッシュが出るので、なるべく気分を落ち着ける為にもBGMを流しながら仕事を進める。先日ここでもちょっと書いた、グレン・グールドの1955年版の「ゴルトベルク変奏曲」と1981年の再録版を聞き比べながら・・・。
初期の速弾きの「ゴルトベルク」の方が好きだと言ったけれど、今、交互に聴き比べてみると、どちらが良いともいえない気がする。敢えて言うなら、晩年(死の前年)の演奏の方が、テンポは緩急が極端で豊かな感じがする。
しかしテンポだけでなく音の強弱も極端で、元々クラヴィーア曲だった事を思うと、ここまでの強弱はきっとオリジナルでは有り得ないだろうと思う。あくまでもグールドの「ゴルトベルク」なのだ。
晩年の再録版と比べると、55年版の方はテンポが速いだけでなく、大変に煌びやかだ。グールドて言えばバッハというイメージだが、実のところショパンに向いているんじゃないかと思う位だ。
「ゴルトベルク」は、そもそもが技巧的で装飾的な練習曲ではあるのだが、わざわざチェンバロではなくピアノで演奏しているだけあってポロポロと粒の立った弾き方をしていながら、大変に叙情的な演奏だ。そして、全32曲が一つの曲のように、自然に一つの纏まりを見せて一気に流れ去っていく。
改めてどちらが好きかと言えば、どちらも好きだとしか言いようが無い。そしてどちらもバッハらしくないというのが、私が最初にグールドの演奏に触れた時の正直な感想であった。もう20年も前の事だが、当時そういう感慨を持った事ははっきり覚えている。それでも魅力的な演奏であり、世界中にもの凄い数のファンを持つのも頷ける。
今回も、ちょっとしたきっかけで偏執的に聴き込んでいるけれど、特にグールドの演奏が好きかと問われれば、それはちょっと解からない。もっと無機質に聞きたい気分の日もある。
彼ほど芸術的に扱われるピアニストは少ないだろうし、実際その解釈や、表現したい世界を具現化する為の超越的に技巧、聴く者を圧倒する個性や感性には魅了される。
しかしグールドの「ゴルトベルク(またはゴルドベルグ、或いはゴールドベルグ)」に関する意見や論文や記述は巷に溢れているので、素人の私がここで改めて書くまでもないだろう。
20代の青年のグールドの風貌は繊細で、若さゆえ当然まだ美しい青年であったものが、50歳で亡くなる直前の写真を見る限りでは、彼の演奏の如く、ある要素を極端に磨き上げた結果デフォルメされた造型のように異様なオッサンとなっている。
やはり内面は外見を演出するだけでなく、見事に構成要素なのだといたく感心した。(人の事は言えない、私達とて大なり小なりそれを具現化して見せているのだ)
余談だが、映画『ハンニバル』(『羊たちの沈黙』の続編)でハンニバル・レクター博士のテーマ曲として使われているのが、この「ゴルトベルク変奏曲」の「アリア」であり、その演奏はまさにグールドの極端にスローテンポな81年版「ゴルトベルク」のオープニングの「アリア」である事は、映画好きの皆さんは先刻ご承知だろうと思う。
最近、文章を書きたくなくて困る。どれ位困るかと言えば、死活問題となる程に困る。そういう時の逃げ道は、音楽でもあり、絵や写真やであり、料理やガーデニングでもあるのだが、もう一つレパートリーが加わった。
それは「運針」だ。若い人は解かるかな、運針・・・「うんしん」と読むのよ。解からなければ、お婆ちゃんに訊いてね。
私達の世代だと、運針なんて家庭科でやらされた程度だろう。和裁をする人だったら、もっと若い人でも勿論必須事項ではないかと思う。しかし私達の年代は、既に運針が出来ない人ばかりだと思う。私もその一人だ。
しかし私は、縫い物自体は好きで、パッチワークもキルティングも随分とやった。そこはホレ、偏執的だから、一時期は徹底的にやる。寝食を忘れて、日に15時間位ぶっ続けでやる。従って、一定の時を過ぎると飽きる。
今では大きな作品など作る時間も根気もないのでパッチワークはしないけれど、雑巾を縫う位だったらちょっと片手間で出来る。雑巾の素材は、手拭いのような晒し木綿が一番だ。
戴きものの手拭いは両端が切りっ放しなので、そのまま使うとどんどんほつれてしまう。でも手拭いの使い心地の良さは、タオルの比ではない。
手拭いを3つ折にしてしっかり縫った雑巾は、絞り心地の良さ、丈夫さ、拭き掃除して濯ぐ時のホコリや猫毛の生地離れの良さ、そして美しさに於いて、タオルの雑巾とは大違いだ。
少し前までは、せっせと雑巾を縫った。縫いながらいつも、(いつかもここで書いたはずだが)幸田文が父・幸田露伴に「雑巾なんか縫うな。そんな事をする時間があったら、もっとマシな事をしろ」と言われたとどこかで書いていた、或いは語っていた事を思い出す。
そうだよなあ・・・と思う。しかも今の私は以前と比べてもかなり忙しいのに、雑巾なんか縫っていて良いのか?という気持ちにならないでもない。しかし、そういうスローライフに戻りたいという気持ちも強くて抗えない。
これは振り子の原理だ。あまりにきっちりと詰め込まれたスケジュールの中で、切羽詰まった相談や締め切りまが短い仕事、時間通りにこなさなければならないルーティーンワークばかりこなしていると、一見無駄な事にも思えるような拘った作業がしたくなる。
雑巾の手縫い然り、もやしのひげ根取り然り、人様の大事な猫の写真に勝手にイタズラする事然り・・・しんし指貫を使って一気に上手な運針が出来ないので、かと言って1針ずつなど縫ってはいられないから、自己流の運針を編み出したのだが、これは指先がとても痛くなるのが難点。
何でも自己流だから、色々と無理がかかる。その結果、腱鞘炎になったりタコが出来たりするのだ。
ホント、ごめん、海里くん。私が悪かった。
ベロ出てたから、つい、イタズラしたくなっただけなのよ。
ごめんね、ベルロさん・・・じゃなかった、メルロさん。
オリジナルのハンサム海里くんは、>>ここで見て来てね。 |
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台風はかなり速度が遅く、明日あたり九州に上陸だと言う。勢力範囲が大変に広く、今年最大規模らしい。まだ14号だという事は、今年はもっと来るのかな・・・台風も地震も防げないのかな、宇宙にロケットが飛ばせるだけの科学力があっても。
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