《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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カワムラさん

渋いよな、俺って

Feb. 22, 2006
カワムラさん
2006年2月22日 水曜日

そうか?

カワムラさん・・・鳴き声は全然渋くないよ。

「あ〜っ」とか「お〜っい」と高い声で私を呼ぶ。

可愛いとすら言える。



ぶーちゃんもペリーも、大きな身体をして高い可愛い声で鳴く。



可愛くない声の筆頭がテトだな。

ガラに追いかけられて、困っているのに「な〜〜っ」と濁った低い声で鳴く。

可愛らしい容姿とは裏腹な、ダミ声のテト。それは豆腐屋のラッパを少し濁らせたような音・・・と言っても、豆腐屋のラッパの音を知らない人も多いのだろうな。






私が子供の頃は兎も角、大学卒業間近から7年間住んでいた渋谷区代官山にも、オジサンが自転車で豆腐売りに来ていた。

当時、故郷の群馬ですら既に豆腐売りは回って来ていなかった時代だ。



鍋かボウルを持って、サンダルつっかけて道まで買いに出た。

車など殆ど入って来ない住宅街の路地で、まるでサザエさんの世界だな・・・と思った。

お魚くわえたドラ猫をおっかけた事はないが。



やがて猫を飼う事になるなんて、想像もしていなかった若かった頃の私。

若くて体力があって、若いというだけでまだ充分綺麗だった年代・・・でも戻りたくはないけど。

アノコロノワタシ、アルチュウダッタモンネ・・・



亡くなったホームレスの飼い主からはなれずに生き延びていた犬達のSOSが少し前からスタートした。
リンクにご協力戴ける方は、↑こちらのバナーをお持ち帰り下さい。リンク先は↓こちらとなります。
http://www.netpro.ne.jp/~kkk/satooya_satogo-6/satooya435.html#Satoh435-1711

この犬達の保護主さんから今日、以下の手記と写真を戴いたので、里親募集コーナーにも掲載したのだが、ここでもご紹介したいと思う。

〜いったらんかい〜


その犬達に間近で接したのは、ほんの二日前のことだったが、その存在は以前から何となく知っていた。

遠くで見掛けたこともある気がするし、だけども何頭いたのかも知らなかった。
JR環状線の**駅から外回りに乗ると、発車してすぐに三角形の公園が見える。

その外側の道路に沿って廃棄物のゴミ溜めが放置されていて、それが独りのホームレスの住処だということは、遠くからでもだいたい見当がつく。

私は一度も面識のないそのゴミ溜めの住人は、昨年の暮れから行方不明になってるそうである。

もう数年前から行政の公園整備の管轄課からの立ち退き勧告がされていたが、本人がいなくなったことを幸い、年明け早々撤去の運びとなった。

繋がれたままの二頭の犬がいるのである。小屋の解体と同時に保健所から市の動物管理センターに「捕獲」という形で抑留され、殺処分になる予定であった。

飼主のホームレスがいなくなった後、その犬達に餌を与えていた婦人からその話を聞き、撤去までもう日が無いと知った。

私にして今、犬二頭の追加飼育は負担なのである。

ほんの二週間ほど前、以前からの長い付合いのホームレス親父から、ついに引取る破目になった両前脚が折れたままの身障犬チャキを迎えたばかりであった。

うちには大飯喰いのビーちゃんと散歩で他の犬を見たらケンカ売ることを生甲斐にしているコータローがいて、そしてチャキが来たばかりで、そんで猫は二十匹ぐらいいる。その上に犬二頭はとてもじゃないが置き場所も厳しいのだ。

私にだって、犬猫には全く関連性のない仕事もある。
『諦めようや、そんなとこ場所にもう近寄らんとこうや!』
と常識のツダクンが耳元で囁いた。

すると、もう一方の非常識のツダクンが
『犬猫のボランティアのオバチャンの中には、オマエなんかよりもっと頑張ってる人が幾らでもおるやんか。
なんとかなるて!・・いけ、いったらんかい!』
と背中を押そうとした。



結局、私が新しい里親さん探し(といっても色んな人に助けて貰いながら)するからという約束でエサを置いていた方とその知人の方に一時凌ぎで預かってもらえることになり、その御二人の了承のお陰で、犬達はひとまず命拾いしたことになった。

保健所の生活環境係から電話が入った。

数日前に一度私の方から管轄所に電話で「犬の保護先が見つかるまで、あそこの解体・撤去をもう少し待ってほしい」と頼み、保健所には「繋がれた犬は飼主がいる証だから、法律上勝手に処分出来ない筈だ」という弁をうった経緯があるのだが、「決めた日にちは変えられない」と断られていた。

この日、所側からの用件は「例の二頭の犬を処分するなというならば、アンタが引き取るなり飼主を探すなりしてくれ。それについて了承した旨の覚書を一筆用意しろ」という話だった。

要するに・・・ノラという扱いで殺処分予定だった『やっかいモノ』をもし生かすというなら、今後その犬が引き起こす可能性のあるトラブルについての責任を私に負えという、その約束を書面に残せということである。

私は了承した。それは、一時預かりをしてくれる人が決まっていた故である。



撤去前日の日曜日、AM七時前。公園へチャリンコをこいで独り着くと、そこは夜明けのヒト気のない冷たい空気にヒンヤリ包まれていた。


畳1畳ほどの面積で、中では寝ころがるしかない位低い背丈の小屋に、もう住人はいない。

その外周は、家庭用品などのガラクタが積み重なっていた。外には薄汚れたプラスチック製の犬小屋がひとつだけあって回りにカラの犬缶やウンコ転がっていて、この前来た時は白い犬がそこに入ったり出たりしていた。

おやっ・・からっぽ!低い小屋の暗い中を覗くと、二頭の犬が体を寄せあってうずくまり寝ていたが、すぐに私に気付いて頭を持ち上げた。

前は小屋にいた白い犬ともう1頭、そいつより若干小さめの、茶と黒と白のまざったカイ犬の様な犬といっしょにボロい小屋にすっこんでいた。

白はメスで、私を気にして吠えたり顔を近付けたりする。何度も仔犬を産んだみたいなお乳が垂れていた。

カイ犬の方は若いオスで、かなり臆病で、近寄ると小屋の暗い奥まで隠れた。

ここを寝ぐらにしていたホームレスの男性は、容態が悪くなり救急車で運ばれた事があり、しばらくして戻って来てから、自転車で走ってる姿を何人もの人が見てるのだが(長年ここでホームレスやってるので、この辺りではそこそこ有名人)、いつしか姿を消してしまったという。

また具合が悪くなって、どこかの病院に運ばれているのだろうか。しかし、今まで十年以上ここにいて世話をしてきた犬を今更放ったらかしてしまうだろうか。

まあ、ホームレス親父て、訳の分からんいい加減で無責任なところがあるからな。それとも事故か事件か、近くの安治川に落ちて沈んでるかもな・・とか、色々想像してみた。

それにしても、行政の公園管轄の課も保健所も、ここの住人が存在していた時も行方不明になってからも、私より遥か以前からこのボロ小屋を訪ねては、近隣の苦情、衛生上の問題として立退きを勧告、いなくなってからは早々の撤去を検討していたのである。要するに、前から何度もこの犬達に接してきているくせに、殺処分の方向付けしかできずに、いざ私がこの犬達を引き揚げるとなれば、犬の諸問題の責任を全部私に被せようとする。

お役所っていつもこんな感じで、やるせない。


翌月曜日、撤去の日。解体中に連れ出そうとすれば怖がって手が焼けると思い、犬達は午前中にそれぞれ預かっていただくお宅に届け、その後昼過ぎに現場に戻ると、衛生局のトラックが何台も公園沿いに横付けに止まっていた。保健所の犬捕獲車も一台止まっていて三人乗っていたが、私を見掛けて(おっ、こいつや、電話でしゃべった奴は)という雰囲気で降りて来た。

職員のうち若い一人が、今まさに崩され様としている小屋の住人と、何度か面識があったという。

彼が訪れていた時には仔犬を含め五〜六頭が公園を走り回っていたらしく、放し飼いなど管理義務を注意し、仔犬は譲渡会(管理センターに飼主希望者が集う日を設けている)の対象になるからと放棄を促すと「俺の家族同然やから、やらん!」とその場で拒絶したらしい。

しかしその後、自分から保健所の窓口に仔犬達を連れて来て「頼みます」と号泣したという。

私は、そいつがどんな人か知らない。

近所だから、もしや遠くで見掛けている様な気もするし、JR環状線の窓からは、その廃材で囲まれた小屋の辺り一面を何度も眺め、流れ過ぎていた。

私は、長年付合いのあるホームレス親父のだらしなさが引き起こす、彼の元にいる犬猫の劣悪な状況の尻拭いで、散々煮え湯を飲まされてきた。

なので正直なところ、たとえそれなりの愛情があったとしても、あいつらが動物を飼うことにかなり否定的なのである。

実際ここの犬達にしても、そこそこの年齢を重ねてる白い犬の方は何度も仔犬を産んだお乳をしているし、両方の犬とも、首輪も胴輪も外すのが困難なくらい身体にくい込んだ状態だった。

何が原因で行方不明か知らないが、こんな状態で棲家に犬を残して放ったらかしてる奴なのだから、所詮いい加減なオッサンに決まってる。

私は保健所の職員に「この犬達は私が引取る手筈をしなければ、どうせ収容され殺処分にしていたのだから、もしオッサンが戻ったとしても、棲家もないし、犬達の所在は分からないと言ってくれ。定住地もない、世話のできない奴が犬を連れて行ってもロクな末路に終わることになりかねないから」と伝えて、今まさに撤去の始まる現場を後にした。



二頭の犬は、白いのが「モモ」、カイ犬が「タイガ」と一時的な名前を付けてもらって、それぞれ一時預かりの人達の元で、別々に暮らしている。

初日モモは、鳴き疲れて眠ったそうだ。

さて、私が期限を決めて保護をお願いした一ヶ月の間に新しい里親さんが見つかるかどうか・・・。

『いったらんかい!』でいったものの、一時凌ぎの後の、安堵と不安のもたれあい・・ヒェ〜ン。



私が現場を離れた後、解体撤去が執り行われたボロ小屋の中から、飼主であるホームレスの遺体が発見されたことを、その日の夜友人からの電話で知った。以前に救急車で運ばれたというから、身体が不調な上に冬の到来が災いしての凍死だったのだろうか。



昼間、その遺体が横になる小屋のすぐ前で、私はその見知らぬ人の悪口を吐きたおしていた訳である。

昨日もその前も私がそこへ出向く度、カイ犬がその主人の横たわる奥の方にすっこんで隠れたのだが、きっと夜はいつも傍で寝ていたのだろう。

一夜明けた今日は曇り空だった。

通り道の花屋で黄色と白の僅かな花を束ねてもらい、行ってみると跡形もなくなり、その地面が少し黒ずんでいるアスファルト路の脇に一束供えて、手を合わせた。

『これから色んな人の世話になり、貴方の二頭の犬の新しい里親さんを探します。探せなければないでなんとかします。別々に飼われるしかないと思いますが、どうかよい結果に治まります様に見守ってやってください。生涯幸せに暮らせる状況にもっていける様に力を貸してやってください・・御苦労様でした』

先など見えない、当てなどない。こーゆーときは・・なんとかなるわ、ケセラセラでいくしかないな。

犬って健気だと思っていたが、本当に忠犬だったんだね、この2匹。どうか宜しくお願い致します。



今朝、ヒヨちゃんが羽を膨らませては小首傾げて可愛いポーズをしていると思ったら、何とウンコしているところだった。

ヒヨちゃんの場合はエサ台から離れたところに飛び移ってウンコするのだが、ジロちゃんてばエサ台にそのままウンコするので困る。

ジロちゃん食事中

Feb. 22, 2006
メジロのジロちゃん
ヒヨちゃんウンコ中

Feb. 22, 2006
ヒヨドリのヒヨちゃん

庭に鳥がとっかえひっかえ来ているので、猫たちも窓辺に釘付けだ。イオ、真剣に観察していた。

イオ

鳥を観察中

Feb. 22, 2006
イオ


覚え書きとして:

朝は煮込みうどん。具は長葱と鶏肉の薄切り、半熟卵。

昼は豚キムチとご飯。

おやつにチョコレートと日本茶、黒胡椒煎餅。

夜は・・・色々あってまだこれから。


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