マルコ
呼んだ?
Mar. 6, 2006 |
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2006年3月6日 月曜日
昨日から、足と首のリンパが両側とも腫れて熱がある。
ちょっと画面を見続けていると吐き気もする。
勿体無いがハイポをたくさん、そしてプロポリスもいつもより多めに飲む。
風邪という感じは無いので、疲れて毒素が溜まったのだろうと勝手に解釈する。
このところストレスも多いので、ホットフラッシュも頻繁に起きる。
熱のせいもあってか、兎に角暑いし熱い。家の中ではずっと半袖だ。
体調が良くなるまではせめて徹夜を止め、エサやりから戻ったら直ぐに寝ようと思う。
しかし早く寝た分、午前3時には目が醒めてしまう。
一度に長時間は眠れない体質になってしまったようだ。
これなら豆腐屋か魚河岸勤めも出来そうかな。
でもヘコミタレなので、寒いところで水を使う仕事はとても出来ないだろうな。豆腐も魚も好きだけど(そういう問題ではないか)。
暖かい部屋でPCに向かって出来る仕事ばかりでゴメンナサイ。
その分、無償の奉仕も色々やっているので許してね。
兎に角、色々と溜まっている仕事と課題を片付けて、ゆっくりお花見の季節を迎えたい。
最近では手抜き料理ばっかりなので、旬のもので料理も色々作りたい。
モリさんと久し振りで電話で話したら、相変わらず寝不足で忙しく働いているのに、これも相変わらず家族の為にしっかりご飯を作っていて、つくづく偉いと思った。
しかも蕗の薹(ふきのとう)の天麩羅を揚げたなどと聞かされては、もう堪らない。
モリさんちの子供になりたい。でもそんな事は現実的ではないので、仕方ないから食べたいものは自分で何でも作るしかないのだ。
その昔、親元を離れたばかりの大学一年生だった私は、学校と家事の両立が結構大変で、最初の頃はとても辛かった。
毎日テストや宿題は多いし、毎日新しい単語を30個は覚えなければならないし、お風呂は銭湯に行かなければ当時の下宿にはなかったし(学生アパートはそれが普通だった時代だ)、掃除は兎も角、料理しなければ安く食べられるところなど近くになかった。
真面目だった私は、ご飯は家で作って食べるものだと思っていたし、仕送りで生活しているとは言え、初めて生計を自分で切り盛りするので、ちゃんと節約しなきゃ・・・と必死だったのだ。
それは西新宿のアパートに住んでいた時の事。新宿駅からアパートまで歩く間にはスーパーも無くて、近くにやっとチサンストアが出来た頃には中目黒に引っ越ししてしまった。
西新宿には1年しか居なかったけれど、当時の新都心には高層ビルがまだ4本しか建っておらず、淀橋浄水場の広大な跡地は原っぱで、夜中には暴走族が走り回っていた頃だ。
しかし中目黒に移った頃には、料理の腕はかなり上達していたと思う。料理の本を見ながら、圧力鍋ひとつで何でも作った。牛乳と卵でプリンを作れば、同級生が食べたいと言って次々と押しかけて来たので、毎日プリンを作っていた頃もある。
近くの肉屋で牛の足の骨を買って来て、髄がズルッと抜けるまで煮てスープストックをとった。それで作ったカレーやタンシチュー(タンも丸ごと買って来て茹で、不気味さに泣きながらイボイボのある皮を剥いた)を振る舞った。
炊き込み御飯やコロッケも揚げたし、今よりずっとちゃんと料理していた時代だ。若くて体力があったし、勉強が忙しいと言っても所詮は働く社会人より時間があった。
そして料理に対する好奇心が、覚え立ての頃は旺盛だったのだろう。初心者の時に、美味しいと褒めて食べてくれる人に恵まれたせいもあるかも知れない。ボーイフレンドのゼミの後輩たちまでがしょっちゅう押しかけて、ご飯を食べて行った。
食べる事は私の人生の命題と言っても差し支えない。今、やっとこうちゃんと二人で気兼ねなく暮らせる幸せな時代がやって来たのだから、料理して食べる事をもっと大切にしなくちゃ。
美味しいものを食べると、少なくとも私達は幸せな気持ちになれる。幸せをたくさん感じる為にも、美味しいものをもっと食べなきゃ。
そして自分で作れば安上がりだ。外食や買い食いをしていると、作る喜びは味わえないし、料理も創造性を養う身近で良い手段だと思う。
そう言いつつ、今夜も「切らない」で済むモヤシ炒めと唐揚げ用にカットしている「鶏肉炒め」だったけど。モリさん、私ももうちょっと頑張るわよ!
クラゲさんの3月5日の日記の写真を見た。チャタがなずなちゃんを舐めている。日当たりの良いテラスで、前脚をチョコンと揃えて、嬉しそうに「なずな、大好き」と言っているように見える。
チャタは里親募集当時は「デブトラ」と呼ばれ、マツモト先生のところに長く入院していた時に出会った。
野良時代、猫嫌いの人間から熱湯を顔にぶっ掛けられ、目の上の皮膚を無くした。後ろ足も骨折させられるような虐待に遭い、先生には色んな手術をして貰っていた。
抱っこはさせるくせに、人が怖くてブルブルと震える。
気の良いお馬鹿さん茶トラだし、エサやりさんにはとても懐いていたらしいし、人を信じた結果の大怪我だったのだろう。全てが怖くて仕方ない状態は、クラゲさんのうちの子になってからも暫くは続いていた。
クラゲさんが演出した静かな優しい時が流れ、やがてクラゲさんのお蒲団で一緒に寝るチャタや、なずなちゃん(この子も私が仲介した)と仲良しになっているチャタの様子をいつも日記で嬉しく読んでいた。
しかし3月5日の写真を見たら、無条件で胸が一杯になってしまった。写真の力って凄いな。
本当に良かったね、チャタ。その仕草も可愛いよ。
なずなちゃんにはなずなちゃんで背負って来たドラマがあり、私の大好きな余所様の猫でもある。それはまた別の機会に・・・でも、チャタもなずなが大好きなんだね。いい趣味だ、うん。
同じように茶トラで虐待を受けて後ろ足を1本失ったマルコは、お客さんとジャムは怖いけれど、私達とゴマには威張る日々だ。
威張るのが楽しいみたいだし、それでいいよ、上出来だよ。
お馬鹿ちゃん選手権では、きっと金メダル貰えるよ。
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マルコ
困った顔して
(何も困っていない)
Mar. 6, 2006 |
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マルコ
グネグネしないで
Mar. 6, 2006 |
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マルコ
シュワッチ!
(しかしマヌケヅラ)
Mar. 6, 2006 |
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覚え書きとして:
朝は身体がしんどくて、バナナとミカンとドーナツと日本茶。
昼はカツ丼。と言ってもソースカツ丼ではない。カツは惣菜コーナーで買ったものを、玉葱と共に煮て卵でとじる普通のカツ丼。しんどい人間が、カツ丼食べるのか・・・。
おやつにマスカットのゼリーとチョコレート、日本茶。
夜は鶏肉のハーブ焼きとモヤシ炒め、梅干し、そしてご飯。 |
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