《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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ペリー

遠くが見える?

Sep. 6, 2006
ペリー

2006年9月6日 水曜日


昨日、古い音楽の事を書いていて想い出した。

高校3年生の体育の授業で、創作ダンスというのをやらされた。

クラスを5〜6人ずつのグループに分け、それぞれが自由にテーマを決め、音楽を選び、勿論振り付けも自分達で考える。大嫌いだった、こういうの。



そもそも人前で身体を動かすなんて恥かしいと思っていた。

自意識過剰だったからな、若い頃って。

ラジオ体操ですら人前でやりたくなかったものな。



私のグループは、運動神経なんて母親の胎内に置いて来てしまった・・・という感じの、鈍いガリ勉タイプが集まった。

私は違う。進学校に居ても勉強なんか全然したくない、気が小さいから見るからに不良ではないものの、当時はロックと映画とボーイフレンドとの交際に夢中だった。



ともあれ、私が大嫌いな創作ダンスでグループの実質「リーダー」とならざるを得なくなり、憂鬱な日々が始まったのだ。

他のメンバーはひたすら黙っているから、選曲も振り付けも全て私が考えた。考えたくなんかなかったけれど、誰も何一つ提案しないのだ。与えられた事は真面目にこなすけれど、プランは無いという感じだろうか。

みんな努力家で、私よりずっといい大学に行ったくせに・・・。



しかし、ムカムカしていても始まらない。時間ばかり無駄に過ぎて、発表の日は迫って来る。好き嫌いに拘わらず、そして目先の受験には殆どプラスにならないような体育の授業の課題でも、やらなきゃならない事というものはあるのだ・・・少なくとも私はそう感じていた。

でもやる気の無い優等生たちは、ただ待っていた。誰かが先導してくれるのを。

でも、それって社会の縮図だったんだな・・・と今になってみるとよく解かる。グループで活動する事が嫌いなのは、こういう事の積み重ねがあったからかな。



余談だけれど、必ずしも単独行動ばかりが良いと思っている訳ではない。

仕事でも猫の事でも、1足す1が2ではなく4にも5にもなる実感も知っているし、その醍醐味は癖になる。



でも、全てがそう上手く行くとは限らない。

そこに個人の突出した名誉欲が入り込んだり、他人と比べて自分が少しでも多く苦労したくないという気持ちがあると、グループ活動はただの烏合の衆となる。



ミヨコがいつも言っていた。

「人より手間も金も余計に出して丁度良いと思える人間の集まりじゃない限り、群れて良い事なんか無い」と。

その通りだと思う。

でもそう思える人間に限って一人でコツコツやっていて、群れようとはしないのだが。





閑話休題。

忌々しい創作ダンスの話に戻る。

最初に曲を私が一人で選び、当時のボーイフレンド(彼は最初の夫となった)に編集してテープに録音して貰い、それに合わせて適当に身体を動かしただけのダンス(と言うより「暗黒舞踏」に近いかも知れない)だった。

快活さなど微塵も無く、曲もマニアックだったと思う。

この8年後に結婚し、9年後に離婚した最初の夫となる彼は、映画「栄光への脱出」のテーマと、キング・クリムゾンの「Epitaph」と「Moonchild」、そしてヴィバルディの「四季」から「冬」・・・この3曲のメイン部分を使い、上手にフェードアウトさせながら繋げてくれた。

なかなかいい趣味だったな、今にして思うと。



創作ダンスには、テーマも決めなければならなんった。しかしそんなモン、全然考えられない。そもそも最初に音楽ありき・・・であって、テーマから入って曲を決めた訳では無いのだ。

余所のグループのテーマを聞くと、「希望」だとか「夢」だとか、「旅立ち」だとか「友情」といったものばかりだった。へそ曲がりな私は、そういうテーマでは厭なのだ。

元々どうでも良い創作ダンスだったはずが、いつしか妙なこだわりにとらわれていた。



突如思い立ち、ちょうどその頃「現代国語」の授業で読んだばかりの森鴎外の短編小説「舞姫」の中から、「ウンテル デン リンデン」という単語だけ使わせて貰った。

それはドイツの「通り」の名前らしいが、箸が転んでも可笑しい年頃の私には、「ウンテル デン リンデン」と口ずさむだけで笑えた。

ただそれだけの理由で、メインテーマを「ウンテル デン リンデン」と決めた。そもそもナンセンスな事が楽しかっただけだから、自分でも意味が解からん。ましてや体育教師には当然理解されないだろう。

他のメンバーも特に異議を唱えない。ま、考えようとしていない奴らに反対なんかさせないけれど。



そしてサブタイトルも用意する事にした。

サブタイトルとは、テレビの2時間もののサスペンスドラマなんかで、例えば「船橋ヘルスセンター殺人事件
 〜昼下がりの甘い誘惑・夫に秘密で麻薬の売人に接触した検察官の妻が痴情のもつれの末に見た血の祝祭〜」ってな感じかな。(しかしまあ、思いつくままデタラメにでっちあげたけれど、凄いタイトルだな)



そこで私がつけたサブタイトルは、どうせオフザケついでだからと、恥ずかしげもなく「青春の愛と苦悩」とか何とかだったと記憶している。何が「愛と苦悩」だ、ウンテル デン リンデンなのに。

いや、待てよ。

「舞姫」で鴎外は、自らの伯林時代の苦悩と愛する女性を捨てた恥の過去を曝け出しているではないか。デタラメなこじつけのサブタイトルだったけれど、今考えると、結果的には意味が繋がっていたのだ・・・いや、繋がらないか。



そんな事をだらだらと思い出していたら、久し振りで森鴎外が読みたくなった。

優柔不断でネクラな太田豊太郎には、今改めて読むと苛々するかも知れないが、テーマは兎も角、「舞姫」の分語調は格調高くて好きだ。昔、ラジオの朗読番組をよく聴いていた頃、森鴎外の作品はよく使われていた。

今でも、「舞姫」の冒頭と最後だけは暗誦出来る。

「石炭をば早や積み果てつ。」
「嗚呼、相沢謙吉が如き良友は世にまた得がたかるべし。されど我脳裡に一点の彼を憎むこゝろ今日までも残れりけり。」

10代の頃に覚えた事は、50近くなっても忘れないのだな。しかしその2つに挟まれた本文は、全く覚えていない。きっと、語感や語呂が私の感性には響かなかったのだろう。



私の母は、その父親から言われた事を、私にもよく言っていた。「読書百編、意、自ずから通ず」と。そして音読せよとも。

真面目だった私は、言われるまま音読を繰り返した。でも難しい文語など到底、「意、自ずから通ず」とまでは行かなかったし、全然違う意味に勝手に解釈していた事がたくさんあった。



今の時代の小説で、音読するに値するようなものがあるだろうか?

ペリー

可愛い口元

Sep. 6, 2006
ペリー

最初、2匹だけでひとつの部屋に居たペリーとイオは、今もとても仲良しだ。イオはお姉さん、ペリーは弟・・・その関係は今も変わらない。

どちらもナイーブで甘えん坊だ。

私が自分の手で保護した訳ではなく、里子に迎えた子だという点も共通している。

遠く離れた所に1匹で連れて来られた事を思うと、心細かっただろうな・・・と思う。



でも血を分け合った兄弟姉妹ではなくても、仔猫のうちに出会った訳ではなくても、こんな風に仲良くなれる例もあるのだ・・・という事で・・・

イオ

お尻ポンポンして

Sep. 6, 2006
イオ
イオ

ぶにゃ?

Sep. 6, 2006
イオ


覚え書きとして:

朝はトーストとアイスコーヒー、目玉焼き、ボイルしたソーセージ、バナナ半分ずつ。


昼はご飯を炊いて、焼き肉とピビンバ、キムチ。


おやつにマンゴーのババロアとアイスコーヒー。


夜はヤリイカのマリネ、トマトとモツァレラチーズのサラダ、鶏肉の煮込み(玉葱とセロリとトマトと共に)にペンネを添えて。そして赤ワインを二人で750ミリリットル。

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