カワムラさん
具合が良いから
Nov. 27, 2007 |
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2007年11月27日 火曜日
届いたばかりの本を集中して読みたいのに、なかなか読書に充てる時間がとれない。
猫の数が多くて時間をとられるのは、自らの意志で増やしたのだから仕方ない。
1匹ずつに手間隙を充分に掛けて飼育したいというのも、私たちの譲れないこだわりだから仕方ない。
それぞれがどれ位食べているか、どんなオシッコ・ウンチをしているかを把握しておかないと、ここまでの数ともなると、いざという時には却って大変なのだ。
顧みると、(やや乱暴な括り方ではあるかも知れないが)飼育頭数が5匹と10匹とでは雲泥の差があった。
しかし10匹と15匹の間にはそんなに差を感じなかった。増やす時は慎重に、悩みながら増やしたので、その時々では苦労したはずなのだが、あくまでも振り返って見れば・・・という事だ。
それが15匹が20匹となると、再びかなりの差が出て来る。兎に角、猫家事に時間が掛かる。具合の悪い子達もいたので余計に時間が掛かるのだが、まとめて3時間寝られる日など無くなった。
ところが20匹と25匹では、これまたあまり極端な差を感じない。
これは我が家が、完全に4部屋に分離して暮らさせている事に起因しているのかも知れない。
一旦、1室を増やして順調に稼動し始めたなら、そこで猫同士の折り合いがつけられさえすれば、一定限度内の数の増加は何とかなるという事だろう。
その一定限度内・・・というところがミソか。
私たちの手間の限界の問題ではなく、猫にとってストレスになり難い限度を見極める事が勿論大事なのだが、猫たちが感じるストレスは意外と飼い主の心の問題を反映している場合が多いような気もする。
それは飼い主と猫たちとの間の密着度が高い程、その傾向が強まる。だから私達は、努めて心穏やかに過ごさなければいけないと思う。
予定では、遠からず30匹になるだろう。それはまた新たな苦難の時代でもあるだろうし、責任を果たせる喜びでもあるはずだ。
総括してしまうと、一桁と10匹台では格段に違うけれど、20匹台というのはそれどころの話ではなくキチガイじみて管理が大変になるという事だ。
もしそれが大変でないとしたら、きちんと管理出来ていないという事でもある。
ご飯とトイレと寝床だけ与えて済むならば、我が家のスペースからしたら40匹はいけるだろう。
でも私たちにその頭数は無理だ。シェルターではなく家族なのだから、家族として意志の疎通を図り、甘えさせてやり、1匹ずつとコミュニケーションとスキンシップを充分にとりたい。
誤解の無いよう断っておくが、頭数をたくさん抱えているから偉いと言っているのではない。そんな事で、誰かと誰かを比べる事には全く意味が無い。
大事なのは、与えられた(或いは自分で選んだとも言える)情況の中で、どう対処・努力・行動するかという事なのだ。
私達夫婦が、この状況に於いてどういう具合に猫達と生きていくのか、どう生きる事を楽しむのか、そのバランスのとり方を考えたいという事だ。
猫との暮らしは楽しい。でも楽しいだけじゃない。責任も苦労も伴う。しんどい事は多い。でも苦しいばかりではなく、喜びは大きい。
多頭飼育のメリットも、今までさんざん言って来た。しかし、支払う犠牲も多い。何よりも時間とお金が掛かる。それだけは事実なのだ。
だから大変に時間の掛かる猫家事の他に仕事も家事もするとなると、本なんかじっくり読めなくても仕方ないのかも知れない。
それでもトイレの中や食事中の短い時間に(行儀悪いな)読み耽る。どちらもほんの短い時間でしかないのだが、結構読める。
実は、本を読むのは人並み外れて速い。本当に読んでいるのか?と言われる位に速い。
最近になって、どうやら文章の読み方が人と違うらしい事に気づいた。しかしこの事をあまり詳しく書くと、ある意味では厭味だし、ちょっと脳の異常ともとられかねないのでやめておく。
しかしもっと早い時期にこの事に気づいていて、もっとその能力を開発していたら・・・と思うと残念だ。その能力とは正反対の仕事をしていると思うから。
読むのは速いのだけれど、好きな本は硬いスルメを噛むように、そしてイメージを膨らませながら楽しんでいたい。
なので、好きな本に関しては何十回も読む。商品として書籍を考えた場合、すっかり元を取っているどころか、大変お得な買い物をした事になるだろう。
最近、楽しみに読んでいる本のタイトルは【図説 最悪の仕事の歴史】という。
英国に古代から現代までの歴史上に実在した、汚くて危険できついという所謂「3K」に加え、退屈で低収入という要素が加わったおぞましい仕事の数々とその歴史背景が、ややシニカルな歴史観と共にテンポ良く語られていく。
ここで紹介されるいずれの仕事も過酷で不快で、自分に果たして出来るだろうか?と問うた時、到底辛抱出来ないと思えるものばかりなのだが、全ての時代を通してありとあらゆる最悪の仕事の中でもとりわけ最悪中の最悪と著者が評しているのが、「皮なめし」の仕事である。
「皮なめし」と聞いて直ぐに思い出すのは、今年の春に観た映画【パフューム】だ。
たぐいまれなる嗅覚を持って生まれた主人公は、念願叶って調合師となる前、孤児院で育った子供の頃に身売りされ、「皮なめし」の仕事をしていた。
それは大層きつい仕事で、仲間の多くが長くは生きられずに死んだというナレーションが入る。
しかし映画を見ていた時には、不快で重労働であろう事は想像がついたけれど、そうそう危険を伴う仕事とも感じられず、何故長生き出来ないような仕事なのか解らなかった。
それが今回、この本を読んで解った。どういう事なのかは、興味のある方は読んでみて下さい。
勿論、危険さの程度から言えば、もっと色々と危険な仕事はたくさんある。現代であれば、誰もがやりたがらない危険で汚くてきつい仕事は報酬が良いとされている。
しかしヒエラルキーが厳然と確立されていた時代と社会であったからこそ、そんな仕事でも糊口をしのぐ程度の収入にしかならなかったか、もしくは奴隷であればその収入すら無かったのだ。
そんな時代の、たとえば「農奴」に生まれなかった事だけでも、私は何と幸せな事だろう。
ずっと気になっていたキイボードの隙間のゴミを、今日、苦労してすっかり掃除した。
ごっそり出て来た猫の毛・・・あまり大量なのに驚いた。本当に手の平にたっぷり山盛りになる程たくさん取れたのだ。暫し感じ入ってしまった。
見えていない部分からも、絡まりあった毛はイモヅル式に引っ張り出されてしまうところが悲しい。
いや、悲しいのは勿論「毛」の立場であって、私は嬉しくてワクワクしてしまう。
少しずつ取り出す毛取り作業は余りにも楽しくて、オデキ潰しフェチの私としては、アレに通じるところがあるのかも知れないと思った。
何かが出て来る驚きと不気味さ・・・突然飛び出して脅かされるのはご免だが、ズルズル、ニュルニュルと幾らでも出て来るのを見るのは本当に楽しい。
綺麗になった状態は勿論嬉しいけれど、プロセスが楽しいとまで言える掃除は少ない。雑巾掛けもトイレ掃除も、換気扇や食器の洗浄も、別に楽しくなんかない。むしろ苦痛だ。
だけど、キイボード掃除はこんなにも楽しかったのか。殆ど感動に近いものがある。
余りに感動したので、出て来たゴミの山を記念撮影したい位だったけれど、こうちゃんが「恥ずかしいからやめなよ」と言う。
それもそうだと思って、涙を呑んで捨てた。
「キイボード掃除人」という仕事が成立するなら、是非やりたい。きつくも危険でもなく、それどころか楽しいのだから、低収入でも我慢出来るかも知れない。
「オデキ潰し人」も良いが、これはちょっと気持ち悪いと言えなくも無い。それでも、どうしようもなく好きなんだけど。「変態」とでも何とでも呼んで。
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カワムラさん
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Nov. 27, 2007 |
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リマ
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