ジャム
アタシだけ見てて
Nov. 19, 2008
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2008年11月19日 水曜日
マーゴ、全く食べない。
食べないので投薬も出来ない。
昼過ぎ、致し方なく通院。
補液と注射。
マーゴは意外と力強く泣いて抗議する。先生にも「元気はありそうなんですけどね・・・」と言う。
でも食べないのだ。
色んなものを買い込んでは、食べさせようと苦心惨憺する。
匂いの強い一般食も食べない。
刺身もササミも缶詰もシーバも何も食べたくないらしい。
シリンジは極端に嫌がるので、二人掛かりで押さえつけて強制給餌。
こうちゃんが毛布で包んで抱き、私がペーストタイプの缶詰フードを指に付けて上顎に擦り付けて飲み込ませる。
耳が反り、これまた泣いて抗議するマーゴ。
いつだって強制給餌は、心を鬼にするしかない。
一日の必要量の1/10くらいは食べさせられただろうか。
一度にたくさん食べさせるのは色んな意味で危険なので、少量ずつ回数を多く、インターバルを短く与えるのが強制給餌の最大公約数的な秘訣だ。
何故食べないのか解らない。
だけど、もう入院はさせたくない。
強制給餌は余程嫌なのだろう、私が近づくだけでケージの際下段に下りて隠れてしまうマーゴ。
食べてくれさえすれば、もう病院に連れて行く事すらしたくないんだよ、マーゴ。
腫瘍の投薬が終わったらケージから開放したいと思っていたのに、開放してしまったらどれ位食べているかのチェックが難しくなる。
一日中張り付いて観察する事は不可能だから。
結局、具合の悪い子に関しては、ケージか一部屋に1匹で隔離して食べる量や排泄を管理しなければならないのだ。
あと1部屋あったら・・・と多頭飼育の飼い主は誰もが思うだろう。
でも、理想を言えばあと1部屋どころでは足りないのだ。我が家は部屋数も面積も多い方だ。今現在、5部屋を使って飼育しているのだから。
でも隔離政策の為には、あと4部屋は欲しいと思う。どんな豪邸だ?
今片付けをしている納戸は4畳ほどある。そこに大きな押入れが付いている。1匹くらい、そこで暮らせないかとも考えた。
しかし北側の部屋で窓もない。夏でもひんやりしていて、そこに置いてあるビールはそのまま飲めると舅はよく言っていた(私はキンキンに冷やしたビールが好きなので、それは無理だと思ったが)。
そしてあと4部屋があったとしても、世話をする「手」が足りない事に変わりは無い。分離飼育が進めば進む程、手間と時間が増えるのだから、問題はスペースではないのだ。
猫と暮らすという事は、ただエサとトイレを与えておけば済む訳ではない。
多頭飼いを全てひっくるめてダメと批判するような人は、きっとその人自身が、頭数が増えたら極めて雑な飼い方しか出来ない人なんだろうと思う。
うちは違うと言い切れる。多分その点に於いてのみ私達は誇りを持てるのだから、手前味噌とは思うが言っておきたい。
夫婦共に猫の世話というだけじゃなく「共に暮らす」手応えと喜びを感じながら、睡眠時間をギリギリまで削ってでも相当な時間と手間を猫様たちのお世話に費やしている。
それでも勿論、時間も手もスペースもお金も足りない。
悔しいけれど、夫婦二人だけでは私達の理想とするケアは充分には出来ていないのだ。みんながそれぞれに私達を求めてくれるだけ与えられていないだろうと、いつも忸怩たる思いがある。
二人して「居職」だから出来る事であって、かつてのように二人とも勤めていたらとても出来ない。あの頃だったら、10匹でも難しかっただろうと思う。
野良猫に対しても、いつも同様のジレンマから抜け出せない。
冬は特に辛い。
いや、本当に辛いのは野良猫であって、私達はそれを想像して辛いだけなのだが、面倒を見ている全ての野良猫を家猫にしてやれない事も辛い。
今日から大分寒くなって来た。野良猫のハウスも、もっと暖かくしてやりたいし、数も増やしたい。
ご飯にはハイポを入れる量を増やし始めた。
ご飯もハイポも幾ら有っても足りない。
自分達の生活を、もっと切り詰める必要があるだろう。
3億円の宝くじが当たればなあ・・・でも買わないから当たらないけど。
2階に居ない時間が増えると、途端に不安定になるジャム。
ただでさえうちのサビ猫はお喋りなのだが、ジャムとマーゴは「不平」と言うか「文句」が多いような気がする。
ジャムなど私がキッチンに立てば付いて来て、一歩踏み出す毎に先回りして大声で文句を言う。どうしろと言うのだ。
いや、解ってる。
私達が二人揃って何もせずにベッドに横になり、その間にジャムが寄り添って、時々凝視め合い、「ジャムちゃん」「可愛いね」などと言っていれば文句は無いのだ。
気持ちは解る。
私がジャムでも、きっとそうだろう。
でも、そうはいかないのが大人の生活というものだ。
ジャムは永遠に子供でいたいんだよね。
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ゴマ
元祖ゴマ和え
Nov. 19, 2008
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やっと粗食モードに心が切り替わって来た。
大きな束の大根菜を、菜飯とゴマ和えにしてみた。
ほろ苦い大根の葉や春菊のゴマ和えは、もしかしたら大人の味かも知れない。
洗いゴマを炒り、すり鉢で丁寧に擂る。こんな作業は久し振りだ。
子供の頃、母親の手伝いでゴマを炒らされた。火加減・炒り加減や蓋をしないと爆ぜて飛び散る事など、いつの間にか覚えていた。
海苔の炙り方は祖母に教わった。だから10歳未満だったはず。祖母が亡くなったのは私が小学校4年の秋だったからね。
厚揚げを煮る時は蓋をしてはいけないという事も、いつの間にか教わっていた。
洗濯物の干し方、布団を干しても午後2時には取り込まなければいけないという事も、日々のお手伝いの中で(嫌々だったけど)覚えたものだ。
そういう家事の基礎は自活し始めてから知る事じゃなくて、子供の頃に日常の中で大人から教わって覚えられるという事の幸せを、今更理解する。
勿論、子供だからと言ってボーッとしていては聞いていたとしても覚えられないものだし、親もそういうコミュニケーションや躾を大切にしてくれたのだと思う。
今頃、親は有り難いものだったと感じる。
今からどうやって親孝行が出来るのだろう。
ともあれ、ゴマ和えはとても美味しかったので、こういうヘルシーで安上がりなものを毎日食べよう・・・と決意して、シンクの下の収納にしまってあったすり鉢を、いつでも手の届き易い場所にしまい直した。
ゴ〜マを擂りま〜しょ、陽気にゴマをね・・・って。
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大根葉のゴマ和え
Nov. 19, 2008 |
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