ペリー
この目が素敵
Feb. 11, 2009
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2009年2月11日 水曜日
どうでも良い事なんだけど、誰か知っていたら教えて下さい。
実は、もう何十年振りかで、朝の連続ドラマを観ている。観始めたのは昨年の秋頃からで、気に入って観ている訳ではない。
たまたま観てしまったからつい次も観てしまう・・・という感じで、今は殆ど毎日、昼の再放送で観ている。
ストーリーはお手軽な昔の少女マンガのようで、常識的に考えると突っ込みどころ満載だ。
先ず、何故双子を1人ずつ引き離して育て、その後会わせない等と言う取り決めを大人たちがしたのかが全く理解出来ない。
私が離婚する若い夫婦の親だったら、母親に双子とも育てさせる為の協力を惜しまないだろう。
ましてや双子の母親は老舗の呉服屋のお嬢さんらしいから、それを機に祇園に戻るなどさせず、子育てしながら呉服屋を継いで貰うと思う。
呉服屋の旦那、つまり双子の祖父ときたら、双子の母親でもある一人娘を預けているお茶屋の「おかあはん」と昔からいい仲のようだし、別れた双子の父親と母親はいまだ心にモヤモヤ燻ったものを引きずっているようだし、どうなっているのだ。
異常なまでの熱心さ(しつこさ?)で双子をスカウトしたレコード会社の「イシバシ」の、謂れの無い自信に満ちた科白や精神構造の子供っぽさが鼻についたり、この双子の歌が「奇跡のハーモニー」だとは到底思えなかったり(声は綺麗だけどリズム感が悪い)、「しじみじる」のタンバリン男が酷すぎるとかはさておき・・・
今、一番気になるのが「めぐみ」の方言だ。
断っておくと、私自身、方言はどこの言葉も好きだし、お国訛りというのは味わいと温かみがあって良いと思う。
そしてこの朝の連続ドラマはそれぞれの地方へのサービスを心掛けていて、満遍なく日本全国あちこちを舞台にしてきた事情も解る。
それはまあ結構な事だ。
しかし、いまどきの若い娘が、幾ら自分の故郷を愛し、お国言葉にも誇りを持っているとは言え、どこで誰に対しても、いつまで経っても島根弁でしか喋らないのを聞いていると、どんどん違和感を感じるようになって来た。
本当に島根の若い娘は、今も「だんだん」とか「ごしない」などと言っているのですか?
それよりも気になるのが、余所の土地に住んでいるにも拘らず、誰彼構わず「そげかね」とか「どげかね」と言う事なのだ。
こういう言い方を、本当に目上の相手に使って失礼ではないのだろうか?という疑問がどうしても消えない。
ご当地島根では、若者がお世話になっている年配者や上司に対してそんな風に言って、差し支えないものなのだろうか?
私の感覚では、「そげかね?」は「そうなんかい?」と聞こえるし、「どげかね?」は「どうなんだ?」と聞こえてしまう。親しみを通り越して、余りにも「対等」な物言いに聞こえてしまうのだ。
年配者が年下の人間に使うとか、同世代同士の会話で使われるならばむしろ温かみの有る言葉に聞こえるのに、何故、そう感じてしまうのだろう?
どうして職場の上司にまで「そげかね?」なんだろう。
そこにとても違和感があるのだが、土地の者ではないが故に、微妙なニュアンスを理解出来ていないせいなんだろうか?
島根便を肌で知らない上州女のせいなのか・・・それが知りたいのだ。
お国言葉は良いとしても、せめて目上の人間には「そげですか?」とか「どげでしょうか?」とか言わないものだろうか?それともそんな言い方は有り得ないのだろうか?
島根弁に詳しい方、是非教えて下さい。
「めぐみ」の不自然なまでに使いまくる島根弁と比べると、京都弁は流石に怖いまでに当たりが柔らかい。
成る程、京都が辿って来た歴史が培って来た言葉の文化を改めて思い起こし、本当に他者に対してソツが無い言葉だな・・・と感じる。
あ、役者はそれぞれ好演していると思うし、吉田栄作はしじみ猟師とは思えない位カッコいいし、石田ひかりの声も顔も好きだし、藤村志保は流石だと思うし、マナ・カナちゃんも一生懸命ではありますが・・・
脚本の悪さかな・・・気に食わない原因は。 |
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ペリー
眩しいなあ・・・
Feb. 11, 2009 |
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ペリー
珍しくニヤッ
Feb. 11, 2009 |
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ペリー
あら、ハンサム
Feb. 11, 2009 |
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