《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》猫雑記
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ぶーちゃん

オレ貫禄
あるだろ?

Feb. 20, 2009
ぶーちゃん
2009年2月20日 金曜日

我が家で最大の巨大猫ぶーちゃん。

その猫とは思えないほど大きな顔と身体に似合わず、気が小さくて声も小さい。

動物病院に連れて行くだけでオシッコちびってしまうし、無理矢理抱き上げて爪切りしてもチビッてしまう。どうすればチビらせずに爪切りするか、毎回が汗だくの闘いだ。

何しろ10キロもあると、一人では制する事が出来ない。



私が部屋に入って行くと、さっきまで床で転がっていたのに、もう姿が見えない。

隅っこのケージのベッドで小さくなっている。嫌な事(爪切り・ブラッシング・目やに取り・バリカンで毛玉取りなど)ばかりされるから、私は不吉な人間なのだろう。

まだぶーちゃん部屋にぶーちゃんしか居なかった頃、私が「お泊り」に行くと、布団に入って来て私の腕枕で寝たくせに、どうしてあの頃よりも後退してしまうのよ。



しかしぶーちゃんは気持ちが優しいので、猫にはモテる。ジニーだけじゃなく、同じオスのレンやカイルにも慕われている。

みんなぶーちゃんと抱き合って寝るのが好きだ。

頑固で怖がりのタムですら、ぶーちゃんには寄り添って寝ている事がある。ぶーちゃんがタムとジニーの2匹に寄りかかられてひとつシェスタの中にいる様子は、本当に微笑ましい。

もしかしたら、ぶーちゃんのモフモフの長毛が暖かいせいなのかも知れないけれど、それにしてもレンもタムも長毛だし、ジニーやカイルはツンツルテンの短毛だがよく太っていて寒がりには思えない。



やっぱりクッションとしてのぶーちゃんは魅力的なんだろうな。

一応「部屋名主」のボスではある事だし・・・。







今はまだマーゴが具合悪いので、もう少し落ち着いたら、また平日の夜にレイト・ショーを観に行きたい。

脚本のしっかりした映画が観たい。大人の俳優の演技が観たい。



それもこれも、つまらないと言いながら朝の連続ドラマを観ているせいだ。

残りあと1ヶ月ちょっとになって色々と急展開してまとめに入っているようだが、まあ安手のご都合主義と辻褄の合わない科白ばかりで笑える。

特に双子をしつこく強引にスカウトしたイシバシなど、日頃ドラマの批評なんかしないこうちゃんにまでメタクソに言われている。

「僕が君の人生を変えてみせる」なんて謂れの無い自信が鼻につくキモチワルイ事を言っては、歌手になんかならないと断り続けていた「襟替え」目前の舞妓だったのぞみに祇園や親を捨てさせ迷惑を掛けさせた上で歌手にしておきながら、傍迷惑で自分勝手なセンチメンタリストのめぐみが歌手を辞めてしまうと、のぞみひとりでは歌手としての価値が無いなどと平気で言えるイシバシよ・・・ふざけんじゃねーぞ、恥を知れ・・・と言ってやりたい。

ま、そういうツッコミを承知で、視聴者を苛々させるのが狙いの脚本だったら、まんまとその術中にはまってしまっている訳だ。

今の世の中、ストレートに信用出来ないからな。煽られる方が馬鹿なのかも知れないな。

そもそも昔の連載マンガそのままの「引っ張り」手法じゃん。




私が好きなドラマやマンガは、大した事件もなく、解り易い悪人も出てこなくて、淡々と日常を描いたものが多い。その方が、人間の心はずっと深く描かれるものだ。

シチュエーションの突飛さやショッキングな事件、思いがけない展開・・・そういうもので「ドラマチック」に仕立ててしまえば、ドラマとして何とか格好がつく。

でも敢えてそうしないでドラマを作るには、より深い洞察と表現力が要求されるのだ。



もしかしたらこの双子の連続ドラマは、視聴者にものを考えるきっかけを提供する為に、わざと非常識な科白や常識的でない展開をさせているのかも知れない。

いまどきの若者は、賢いと思う。ブログや携帯メールの隆盛により、自ら文章を書く事にも慣れ、次第にそれは熟成して来ている。

私の若い頃とは大いに違う。





このドラマのタイトルと「自分勝手」をキイワードに検索すると、視聴者の独自の意見が大量にヒットする。

たとえブログや掲示板では匿名だとしても、こうして真面目に考えて意見を述べる事で、自分自身の価値観や生き方が見えてくる事も多いだろう。



インターネットの急速な普及で勿論弊害もあるだろうが、個人が発言や情報発信の場を得られる事は、個人の内面を掘り下げるには役立っているのかも知れない。

但し、現実世界での自分の役割を得る事を第一に努力する事なしに「自分探し」だけしていたら、それは不健全で脆弱な精神を作るだけだ。



大切なのは自分が生きている価値を自分で認められる生き方をする事であって、ただ精神世界で突き詰めて自分らしさなんか探す事でもなければ、他人からの評価でもない。

生きている意味が解らないなどと甘ったれた事を言う前に、道端のゴミ拾いでも良いからコツコツ続けていると、必ずや生き甲斐は見えてくる。





私にとって野良猫との関わりは、そういう事だったのかも知れない。

野良猫はゴミではないけれど、ゴミ同然に扱われている部分もある。

世間全体の意識や価値観を変える事は出来ないだろうけれど、私が自分の身の回りのゴミを拾い続ける事で、小さな小波を立てる事くらいは出来るのだ。

そして少なくとも、気付いてしまった事を見なかった事にし、自分だけが大した事も無い自分の人生をありきたりの価値で埋めるような「保身」に終始するよりも、ちょっと身を屈めてゴミをひとつ拾う事は遥かに気分の良い事だという事も知っている。

知識として知るのではなくて、身体で経験出来るかどうか・・・そこが本当の自分探しを始められるかどうかの大きな分岐点なんだろうな。
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