ガラ
お日様まぶしい
Apr. 3, 2009
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2009年4月3日 金曜日
桜、どんどん開花している。
今、5部咲きだろうか。でも明日には満開になってしまいそうな勢いだ。
窓の外がやけに眩しい。お日様のせいばかりじゃない、桜の花がハレーション起こしているのだ。
ドラマやCMを見ていて不思議に思う事がある。
お父さんが帰宅すると、ダイニングテーブルにご飯が並べてあって、「パパ、お疲れ様」などという書き置きがあって、パパは結構満足そうにそれを食べたりしている。
一日仕事で家を空けている父親の晩ご飯が、冷めた作り置きのおかずなのか。
専業主婦であろう母親は子供達と早い時間に晩ご飯を済ませて、夫の帰宅時にはすっかり夢の中なのだろうか?
子供のいる家庭では子育てが大変で、いつ帰ってくるか解らない父親の帰宅時間になんか合わせていられないという事だろうか。
子供を持たない妻であった私の感覚では、こんな作り置きは有り得ない。
私の母は私の中高生時代、夕飯を3〜4回作っていた。
一度目は私達子供が学校から帰って「おなか空いた」と言うから、ちょっとしたものを作ってくれるのだ。残りご飯でオムライスとかチャーハン、卵丼とか、ヤキソバとか・・・。
そして祖父の晩ご飯どきに母はまた料理をして、子供たちはまたその時にも食べる。
祖父は晩酌をする人だったので、例えばカレーの時はご飯を食べずに薄味のカレーを小鉢で食べて肴にしていた。
私達はご飯を炊いて貰い、ちょっと味付けをご飯用に変えて貰ったカレーを食べる。それが7時頃だっただろうか。祖父はその後、早い時刻に寝てしまう。
父は毎晩、夜中の12時から1時頃に帰って来る。
車通勤だったし、接待などで酒を飲んで遅くなるのではなく、兎に角仕事から離れられない、所謂「モーレツ・サラリーマン」もしくは「仕事中毒」の走りだったのだ。
その父は、会社を出る直前に必ず「帰るコール」をしてきた。
それは妻を恋しいが故ではなくて、帰り着く時間に合わせて晩飯を作れという意味だったのだと思う。
しかしそう言われて作る受け身の母ではないから、炊きたて・作りたてのご飯を食べさせたいから会社を出る時に電話して欲しいと、母から先んじて注文していたのかも知れない。
父が帰宅すると、直ぐに炊き立てのご飯が用意される。実は、私はその時も食べた。
だってこれが唯一父親と食事出来るメイン・イベントだ。「正餐」と言っても過言ではない。味噌汁も温め直しではなく、その時に合わせて作られてた。
父は酒飲みではないし、太ってはいないものの身体が大きかったので大食漢だったと思う。
そして思春期の私がたくさんご飯を食べると、「カズエは随分食べられるなあ・・・」と目を細めた。
父が私を褒めるのは、それ時くらいのものだった。
成績が良くても・・・たとえ学年でトップをとっても、田舎の中学で1番でも都会の中学では大した事は無いだろうと笑って言っていた。
それでも父に褒められる事は嬉しかったから、私は調子付いてたくさん食べて見せた。実際、無理をしなくても食べられたのだから、大食いの素質は充分にあったのだろう。
大人になってからも、つい最近まで私が大食だったのは、へそ曲りで娘をストレートに可愛がる事が出来なかった父親のせいだと思っている。
間違いない。
しかも祖父の血を受け継いで酒も飲む。
困ったものだ。
「鯨飲馬食」という言葉は、私の為にあるのかと思っていた。
しかし、この家に舅・姑と同居した直後、その事で激しく批判されたのだった。
批判なんかされたら尚の事やめない。
それが私だ。
その時に反論はしなかったけれど、どれだけ食べようと私の勝手だ。
大人なんだから、夫のこうちゃんまで叱られるような事じゃない。
しかも、食べても人の倍ほど・・・大した量じゃない。
みんなで食べるときに人の分まで食べる訳じゃないし、いつまでも食べている訳でもない(そもそも早食いなのだし)。
たくさん食べられる・・・と発言しただけで、どうしてこっぴどく叱られるのか私には理解出来なかった。
結局、私の食欲が自然と人並みに落ち着くには、その後15年も要した。
多分、もう「人並み」だと思うんだけど、どうかな。
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