テト
僕だって男だから・・・
Dec. 23, 2009
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2009年12月23日 水曜日
昨夜DVDで観た【グラン・トリノ】について、やっぱり書いておきたい。
この作品で、クリント・イーストウッドは俳優業を引退すると表明している。
監督は続けるという事だろうか。続けて欲しい。100歳までも生きていて欲しい。
陳腐な言い方しか出来ない位、素晴らしい映画だった。
ストーリーそのものよりも、男として人間としてどう生きて、そしてどういう終わらせ方をするのか・・・
今回の役「ウォルト・コワルスキー」は今までクリント・イーストウッドが演じた役柄の総決算のようでもあり、全ての作品の底に流れていた一本の精神が凝縮されていた。
観終わってから、こうちゃんと二人、直ぐには喋れなかった。そして暫くして、大袈裟に聞こえるかも知れないけれど、生きて来て良かったと話し合った。
同じものを感じていた事は、多くを語り合わなくても解る。その時々でちゃんと二人で向き合って来たし、同じものと闘って来た同志だから。
簡単に夫婦が「戦友」だなんて言える訳は無いのだ。言葉遊びじゃないのだから。
お互いが闘い合ったという意味でもない。同じものに対する怒り・哀しみ・喜び、そして労わりを共感し合い、同じだけリスクを自らのものにして来たからこそ自負を持って言えるものだと思う。
偏屈だけど古き良き開拓者の生き残りのような老人の科白が、シニカルで且つユーモラスでとても良かった。
男の名は「ウォルト・コワルスキー」。
自らはフォード社の自動車工として定年まで勤め、息子が日本車のセールスをしてトヨタ車に乗っている事も苦々しく思っている。
そして、自宅には星条旗を立てているような男である。
人種的偏見を感じさせる科白が多いのだが、コワルスキー自身もポーランド系白人という設定だ。
そして朝鮮戦争で3年従軍し、部隊でただ一人生き残って勲章を授かった経歴がある。
この朝鮮戦争での体験がこの男の人生にどれだけの翳を落としていたのか、物語が進むにつれ私達は知る事となる。
この家の周辺では、金のある白人はどんどん余所の土地へ引っ越して行き、代わりに有色人種の移民が住むようになっている。
その結果、治安も風紀も好ましくなくなったと感じながらも、妻との思い出のある家で暮らし続けている。
近隣のスラム化のみならず、いまどきの社会・いまどきの若者・・・それは自身の息子たちや孫たちでさえ同様で、そんな現状にもウンザリしている老境の男だという事が冒頭からたっぷり描かれる。
妻に先立たれ、その妻との生前の約束だからと若い神父がコワルスキーに懺悔をしに教会に来るよう繰り返し説得するが、彼は神など自分の救いにはならないと信じている。
自らが生きて来た中で背負った重荷も、今直面している問題に関しても、解決してくれるのは神でも懺悔でもなく、頼れるものは自分一人なのだという精神を貫いている。
それはまさに、古きアメリカのフロンティア・スピリッツと言えるだろう。
実際、年老いても家や電化製品の修繕や庭の手入れを自らの手で欠かさず行い、自分の生活は自分で守る開拓者魂が、アメリカに忠誠を誓った男の中には生き続けている。
そんな孤独な老人の楽しみは、自らの手でステアリングを改造し、新品同様ピカピカに手入れされたフォードの1972年製ヴィンテージ・カー「グラン・トリノ」を眺めながら玄関ポーチで一人飲むビールだ。
ビールを飲みながら、独り言で悪態をついている。
隣家の老婆など「クソババア」呼ばわりだが、自分も同様に嫌われている事を自覚している。
今の世の中の全てが疎ましく、気に入らない。
老人が偏屈なのか、世の中がおかしくなってしまったのか・・・
デトロイトという世界一を誇ったモーターシティの盛衰の歴史を知れば、この映画の背景も良く理解出来るだろう。
現在、この地域にはヒスパニックもいれば、アジア系も黒人もいる。
そして【ウエストサイド物語】のように、そういう若者たちは、それぞれが反目し合っている。
これは黒人の不良グループに絡まれていた隣家の娘を助けた場面。
かくして人種間の抗争もチラホラあるのだが、本当の敵は同じ民族同士の中にあった。
しかも最悪な事に、血の繋がりのある一族の間に・・・
それがやがて、この映画の横糸となって行く。勿論、縦糸はこのコワルスキーの人生に貫かれる精神の有り方である。
隣家の娘「スー」はラオスから迫害を逃れて移民して来た「モン族」という山岳少数民族の一家の長女で、才気煥発でチャーミングな娘である。
彼女とその弟「タオ」が、この孤独な老人の心を次第にほぐして行く過程が面白い。
特にスーの機知に富み、積極的で柔軟な性格が、息子夫婦や孫たちも含め他人を寄せ付けようとしなかった偏屈なコワルスキーを、ぐいぐいと新しい社会に引っ張り込むところが凄い。
思うに任せない肉親よりも、この人たちの方がずっと親しみが持てる・・・というような独り言を漏らし、他人から受けた恩を決して忘れず礼節と誇りを重んじるこの黄色い民族を、やがて心から受け入れるようになり自分の人生が変わって行く事を感じただろう事が見ていて解る。
それぞれの登場人物の描き方、シニカルな科白、伏線となるエピソード・・・そういうものが、いかにもクリント・イーストウッドのタッチである。
この人が一人出ているだけで、作品の色が独特に決まる。
悪い仲間にそそのかされてコワルスキーの大事な「グラン・トリノ」を盗みに入った少年「タオ」ではあったものの、償いとして無償で手伝いをするひたむきな姿を見ているうちに、この内気な少年を一人前の男に仕立てようとするコワルスキー。
その辺りは【ベスト・キッド】のミヤギとダニエルの関係を思い出させる。
しかし、いつまでも「泥棒」とか「トロ助」と呼ぶ偏屈ジジイっぷりが可笑しい。
コワルスキーのガレージには、大事な車と共に大量の工具類が置かれている。
その工具の多さやバリエーションに目を見張り、「これ、どうしたんですか?」と訊くタオ。
すると偏屈ジジイは、「泥棒には理解出来ないだろうが、これは全部金を出して買ったものだ」と言う。
「そういう意味じゃなくて・・・」とタオ。
タオという少年は、アメリカ社会に溶け込めず消極的な態度で自己表現も下手糞ながら、姉の言う通りなかなか賢く誠実で、コワルスキーならずとも次第に好感が持ててくる。
男として人とどうコミュニケーションをとれば良いかをタオに伝授するコワルスキーだが、そのやり方はいささか荒っぽく、ここは一番コミカルな場面だ。
口汚く相手の人種を差別したものの言い方をし合う長年の友人同士。
イタリア系の床屋も、タオに仕事を紹介した先の現場監督も、コワルスキーに負けず劣らず口が悪い。
ストーリーの詳細は、ここで触れるまでも無いだろう。既に今年一番との評価も受けている作品だし、肝心なのはストーリーではないとも言えるし。
印象的な場面だけ拾い集めてみる。(順位不同)
悪態をつき合う仲間の、イタリア人の床屋にて、男の口の聞き方を教える場面。
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現場監督のアイリッシュの友人に、タオを紹介する為に出向く場面。 |
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チンピラを追い払う為に、朝鮮戦争当時のM1カービンを持ち出すコワルスキー。 |
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体型・・・特に胴回りや背中が爺さんぽくなったイーストウッド。
それでも誰よりも頼もしく見え、ダンディでもある。 |
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このM1カービンだけでなく、コルト・ガバメントも常に手元に置いている。
【ハートプレイク・リッジ】の軍曹役を思い出させる。 |
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音楽を担当しているのが、実の息子のカイル・イーストウッドだ。
1982年の作品【センチメンタル・アドベンチャー】では、イーストウッドの甥を演じていて、とても自然で上手かった。こまっしゃくれた子役とは一味違っていた。
だけどその後俳優の道は進まず、現在はジャズ・ミュージシャンとして活躍している。父親の映画の音楽と関わるのも、1990年の作品【ルーキー】以後続いている。
近影にも【センチメンタル・アドベンチャー】の頃の面影がちゃんとある。本人だから当たり前だが。
それにしても、いまどきの媒体は凄い。
今回のDVDには、日本語吹き替えと原語と両方入っており、字幕も英語版と日本語版と切り替えられる。
もしかして私が知らなかっただけなのだろうか。DVDは全てそうなのか?
日本語吹き替え版と日本語字幕で英語版と、2日続けてどちらも観てしまった。
きっとまだあと20回位は死ぬまでに観るだろう。
「最高」としか言えない。有り難う、妹とクリント・イーストウッド。 |
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