アンダ
誰が怪獣ですって?
Oct. 27, 2010 |
|
2010年10月27日 水曜日
良く晴れて寒い。
外に出ると、まるで年末の頃の空気だった。
お正月のしめ飾りを売りに来た子供の頃の家の前の通りの風景が目に浮かび、あの頃の空気感が甦る。
冬の陽射しは眩しくて、頬に触れる冷たい空気・・・大人たちが慌しくしていて、子供も落ち着かないながらもお正月が楽しみなあの頃の気分・・・そういうものが一瞬で甦る。
或いは11月下旬に行われる「えびす講」の頃のよう・・・かな。
「えびす講」では、「くまで」や「おたから」を売っていた。
「おたから」とは「お宝」の意味だろう。>>こんな感じのモノだ。
因みに「えびす講」の事を、子供だった私は「エビスコ」だとばかり思っていた。
勿論、意味なんか解りゃしない。考えもしない。ただ「エビスコ」「エビスコ」と言っていたのだ、子供連中は。
小学校に上がる前だっただろうか・・・まだ健在だった祖母に連れられて「えびす講」に行くと、決まって傷痍軍人が居た。
二人組みで、一人がアコーディオンを弾き、一人がそれに合わせて膝下の無い足で立ち上がる。そして通り掛る人が、鍋だか帽子だかの中にお金を入れる。
幼児の私が祖母に「あの人はナニ?」と訊くと、祖母は怖い顔をして「見るんじゃないよ」と叱った。
その時は何故祖母が怒っているのか理解出来なかったけれど、今では何となく祖母の気持ちが解るような気がする。
祖母は、長男を先の戦争で亡くしている。父の兄にあたる人だ。
ハンサムで学業に於いても秀で、心優しい前途有望な若者だったらしい。
だからと言って次男である無骨な私の父よりも如才無くて人気者の長男を失った事の方が辛いとか、そういう事とは違うとは思うが、どこの戦没者遺族もそうであろうように、前途ある息子を若くして失った親の気持ちは推し量るに余りある。
戦争で手足を失った人たちはたくさん居るだろう。
命を失った人たちはもっとたくさん居るのだろうけど。
傷痍軍人には「恩給」が支給され、自らの不具を見世物にして物乞いのような真似をせずとも生きていけるはずだという思いも、祖母の中にはきっとあったに違いない。
そしてそういう理屈とは関係ない、息子を大陸で亡くした母親の思いも未消化のまま存在していて、自らを見世物にして金を稼ぐ人たちを見る事に拒否反応があったのかも知れない。
私が4〜5歳と言えば、まだ戦後17年経つか経たないかの頃だ。
息子の遺骨は届けられたそうだが、父が生前に言っていた事がある。
あんなの、誰のお骨か解らないさ・・・と。
お骨を粗末に考える気は無い。
でも、お骨にこだわっても仕方ないな・・・と思う。
だから大事なミュウたちのお骨も、私達のお骨も、然るべき場所があれば捨てて構わないと思う。
その「然るべき場所」とタイミングが難しいのだが、生きている間にちゃんとやるべき事をやり、決めるべき事を決めておかなければ・・・。
そもそもお墓に入るつもりは無い。
父のお墓も永代供養してあるとは言え、それも未来永劫まで・・・という事ではなく期限があるはずだ。いつかは無縁の墓となり、整理されてしまうのだろう。
父にも母にも、あの世では再会したいし、出来るものならまたあの父母の娘としてもう一度生まれたい。
そしてもう一度こうちゃんと出会い、ミュウたちとも出会い、もう一度一緒に暮らしたい。
その願いの大きさを思えば、お骨やお墓なんか本当にどうでも良い気がする。
寒いので、夜は鍋にする。
白菜に春菊、長葱に白滝、豆腐に椎茸にえのき、そして豚の細切れを入れ、薄味の醤油ダシで煮る。
柚子胡椒でいただく。
美味しくて、つい食べ過ぎてしまう。
残りは明日、冷凍うどんを入れて食べるのだ。
明日は朝から病院で「心エコー」の検査だから、今夜も夜なべ仕事は避けて寝る事にしよう。 |
|
アンダ
おチビでも強いのよ
Oct. 27, 2010 |
|
アンダ
たまに寂しくなるけど
Oct. 27, 2010 |
|
|
前日の「猫雑記」へ |
|
翌日の「猫雑記」へ |
|
|
|
note and link |
Click erch picture please |
脱走は人災です!
必ず防止策を!
|
ディックとサム
気長に里親募集中!
|
片目の女の子ひとみちゃん
とっても甘えん坊です!
|
|
関西勢のみんなも頑張るよ |
|
|
|
|
|
|
九州組も頑張ってます
可愛いさびちゃんを宜しくね! |
|
三毛ちゃん一家もおるとよ! |
|
ナチュラルフードとサプリメントの
取り次ぎウェブSHOP |
|
|