2011年 《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》 猫雑記
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ペロ

最近のボクって

Apr. 20, 2011
ペロ
2011年4月20日 水曜日

ペロが今までよりずっと甘えるようになった。

私は爪切りをするので敬遠され気味だったのだけれど、デンちゃんが自由気儘に動き回るようになってからというもの、ペロは私という後ろ盾を持ってデンちゃんと間近に接するようになったようだ。

それはデンちゃんとペロの距離が少し縮まったという意味では嬉しい変化だし、「ホ〜ラご覧、ママが一番の味方だって事が解ったでしょ?」なんて事も言えちゃうのだ。



一気にデンちゃんの存在に馴染めなくても、少しずつ2匹の関係が変化しているのは解る。

ちゃんと目配り・心配りしてやっていれば、猫にもそれが解るのだろう。

うんと頼っていいよ、ママを。



今は「虎の威を借るペロ」だけど、いつか私を後ろ盾にしなくてもデンちゃんと遊べる日がきっと来る。

デンちゃんはデンちゃんで、どう接すればみんなが逃げないでいてくれるかを、きっと自分で学習し、上手い溶け込み方を見つけ出すだろう。



猫同士のチカラを信じ、私達保護主は観察と保護を怠らないでいよう。

カワムラさんの乗り移ったかのようなシロちゃんもいてくれるし、部屋の雰囲気はまとまりつつある。



困った時、必ず猫には助けられているよね、要所要所で。

有り難や。




あの大震災の日に行こうとしていてキャンセルしたマッサージに、今夜久しぶりで行って来た。

あまりにも酷い足の浮腫みにギブアップして行ったのだけれど、先生が一目見ると顔も手もみんな浮腫んでいるとの事だ。



うつ伏せで腰をマッサージしようという時、「コルセット着けていますか?」と訊かれた。

「いいえ、骨なんです」と私。

まるで痩せさらばえたお婆さんのように腰の肉がごっそれと落ちて、固いコルセットで締めた腰にに触れたようだったのだろう。

筋肉量が無いと熱も作り出せないから、どんどん冷えてしまう。



肉と脂肪は違う。

筋肉が殆ど無いのだ、今の私には。

だから体重もひどく軽い。



極端な話、体重なんか重たくても良いのだ。

重要なのは身体の機能性と見た目である。

私の身長159センチで、仮に60キロあったとしても、見た目がカッコよくて機能的な身体であればそれで良いし、今のように40キロしかなくてもみっともない痩せ方で少し動いただけで筋肉疲労で動けなくなってしまうようでは全然ダメだ。

勿論、健康である事が第一だけど。



若い頃の同じ体重のときは、身体に張りがあってピチピチしていた。

それこそ切れば果汁が滴るみずみずしい梨のようだった。

ちょっと言いたい放題かな。

でも、失われてしまった若さというものの価値を知っている同世代の人には、きっと共感して貰えると思う。



それが今は萎れかけたモヤシとか干しイモ・・・いや、切り干しダイコンのようだ。

干されて旨味は増したと言いたいところだが、みずみずしい野菜や果物の方が良いよ、私は。





しかし皮肉な事に、この切り干し大根にはあろう事か排泄すべき水分が溜っていて、浮腫みが酷いのだ。

水分の溜った干し野菜とはどういうこっちゃ。





薬の副作用もあるかも知れないけれど、兎に角、歩き足りないのも事実。

足も痛くてなかなか歩けないのだけれど、マッサージだけじゃなくて少しずつ歩くようにしなくちゃ。




福島第一原発の事故を契機に、今まで考えないで済ませていた事を色々と考えざるを得なくなっている。

まだきちんと考えがまとまらないのだけれど、急ぎ何とかしなければならないと思うのは、避難地域に取り残された動物たちの事だ。

救助に入っている人達もいるようだが、大半は既に餓死、もしくは餓死寸前の状態だ。

酷い。





人間が作り出したものの為に、手の施しようが無い事態を招いている。

こんな非常時に動物の命云々を言う事は不謹慎である・・・というような世論も多いのは知っている。

だからこそ、災害時には慎重に発言して来た。



行政も優先順位をつけて事に当らざるを得ない事情がある事は理解できる。

人手にも予算にも限りがある以上、人の命を優先するのが行政としての辛い立場だろう。



だけど動物の命は人の命より軽いという事ではないはず。

いつも動物たちは、人間の都合でその運命を左右されて来た。



でも今回は動物はおろか人の命や運命すら、原発という一見便利で先進性の高い文明の利器を誇らしげに作ってはみたものの、何かあった場合には人の手に負えなくなる怪物の為に翻弄されているのだ。

世界で唯一の原爆の被爆国である日本が、どうして原発に手を出してしまったのだろう。



その責任の一端は、私達国民にある。

私達はその責任を取る意味でも、原発には反対をすべきなのだと私は考える。

その反対行動が具体的にどういうものであるべきなのかが、まだ私には考えあぐねているところなのだが。





これ以上の人災を出さない為にも、もう少し安全に管理できる発電方法に切り替えて欲しい。

出来ない筈が無いだろう、あれだけの技術力と金がある国に。



科学者・研究者のおごり、自己満足、知的好奇心や可能性の追求の楽しみの為に発明・研究開発されてしまった、この世に存在しない方が良かったもの、優先されるべきではなかったものが大量にある。

その研究者と政治や企業との癒着があるらしい事も解って来た。



もういい加減にして欲しい。

人や社会の役に立ってこその研究・開発だろう。

誰がどの角度から見ても有益でなれければ、そう一般人に理解と納得がさせられなければ、国の予算を使ってすべきではない研究開発だと言いたい。

人類の為という大義名分の裏に巧みに隠されてはいるものの、実は自己満足の為に国費を使っている研究が一体どれだけある事だろう。




考えがまとまらないので、また続きは後日。

この件に限らず、大切な事はずっと言い続けなければいけないのだと思うから、繰り返し何度でも書いておくつもりだ。
ペロ

ちょっと弱気なの

Apr. 20, 2011
ペロ
ナム

アタシがいるでしょ

Apr. 20, 2011
ナム

さんざん花を散らして庭も散らかしてくれた木は、昨日の雨ですっかり花を散らし終わったらしい。

新緑が美しい。



但し、この枝が庭に掛っているので、これでもか・・・と言う位に大量の花殻が落ちている。

それを桜の花弁やガクと共にせっせと掃いたけれど、ほぼ全ての花や葉にも降り積もり、細かい部分に入り込み、とても綺麗にし切れない。



何の木なんだ、これは?

花はケヤキの花と似ている気がするが、葉が違う。



これが毎年繰り返されるのか。

でも、そういう清掃作業も季節の風物詩として楽しむしかないな。後始末の手間を惜しんでは、美しいものは楽しめないという事か。
公園の木の新緑

Apr. 20, 2011
新緑

庭のエゴノキの葉も育って来た。よく見ると小さな花芽もついている。
エゴノキの新緑

Apr. 20, 2011
エゴノキ

玄関前の満天星(ドウダン)の白い小さな花が満開だ。

花のアップの写真は無いのだけれど。



この木は花が枯れても葉が枯れても殆ど枝から落ちず、面倒だけど外に出る度チョコチョコとマメに取り除いてやらないといけなかった。

植物を綺麗に保つって手間が掛るなあ・・・ホントに。

いや、動物も同じか。
玄関の満天星
(ドウダン)

Apr. 20, 2011
満天星

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