2011年 《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》 猫雑記
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若き日のママ
(昭和30年頃)

Apr. 29, 2011
ママ
2011年4月29日 金曜日

昨日、スキャナーを買いに行った。

今までのスキャナーは、PCを新しくしたら使えない事が解った。先日、ドライバをメーカーのサイトからダウンロードしようとして初めて気付いたのだ。

そうか、このスキャナーは、廃棄したWindows 2000のマシンで使っていたんだ。

余りにも古いスキャナーは既に、もう1台のXPマシンにすら対応していなかった。



暫くスキャンするものがなかったので、windowa 7のマシンを入れた時には直ぐにつながず、それで気付かなかった次第なのだが、先日、母からある絵の写真が送られて来て、それを絵葉書にして欲しいと頼まれた。

知り合いの描いた絵らしいのだが、気に入って写真に撮って貰ったのだと言う。

それが10日ほど前の事だった。



簡単よ、そんな事・・・と言って引き受けたのだが、スキャナーが使えなくなっていたとは。

それで新しいスキャナーを買わないとダメだなあ・・・と思いつつ一日延ばしにしていたら、母が突然死んでしまった。



激しく後悔した。

母は楽しみにしていたのに。

母は私との約束は、何だって直ぐに実行してくれたのに。



そろそろあのお味噌がなくなるから送って欲しいと言えば、翌日には買って送る手配をしてくれていた。

ケフィアヨーグルトの菌だって直ぐに送ってくれたし、父が亡くなった後、こちらでも毎日お線香をあげていると言えば、自分が取り寄せた線香をたくさん送ってくれた。

猫がたくさん居るからオシッコ玉やウンコを取るのにスーパーのレジ袋が一杯要るのだと言えば、綺麗に折り畳んだレジ袋をすぐさま大量に送ってくれた。

雑巾だって、あんなに早く縫って送ってくれるとは期待していなかったのに、まるで自分の死に間に合わせるかのようにあっという間に縫ってくれた。

6枚で充分だったのに、10枚になるようにと4枚を追加で急いで縫ったりして・・・。



母はそうして何だって約束は直ぐに実行してくれていたというのに、私は母が生きている間に約束の絵葉書を作ってやれなかった。

ごめんね、ママ。

間に合わなかったね。



でも78歳で、元気にいつものように電話でお喋りした僅か数時間後に死んでしまうなんて、私には予想すら出来なかったんだもの。

ママだって予想していなかったよね、間違いなく。



いや、これは言い訳だな。

直ぐに実行しなかった私が悪いのだ。

たかが絵葉書の事だけど、母との約束が守れなかった事が悔やまれてならない。





親との約束は直ぐに果たさないと、そして親孝行は今すぐしないと、親はいつ死んでしまうか解らない。

教訓にしたいけれど、私にはもう親が居ない。




母との約束には間に合わなかったけれど、スキャナーはどのみち必要なので買いに行った。

そして直ぐに使った。

母の昔の写真をスキャンする為だ。



母の古いアルバムは、確か妹が持っている筈だ。

私の手元にはろくな写真が無い。

名刺より小さい写真とか、すっかり色あせてしまったものとか、大勢で写っていて母の顔なんか豆ツブほどの大きさもないものとか・・・。



それでも、私の古いアルバムから母と写っているものや、母が比較的鮮明に写っているものを探してスキャンしてみた。





写真もファッションも恐ろしく古ぼけているけれど、それは昭和30年頃のものだから当然だろう。

私が生まれたのが32年なのだから。



そういう古さを差し引いてみても、母はオシャレで美しい。

生前は自分の顔を私の日記に載せられる事を「誰が見るか解らないから・・・」と言って嫌がっていたのだけれど、私は誰が見たって何を言われたって構わないと思っている。



見られて恥かしいような母ではない。

母は私の自慢の母だもの。






私の全てが気に食わずに、何であれ誹謗中傷・揶揄する人達がいるそうだが、その人達は死んだ母の事までを中傷・揶揄するのだろうか。

どのみち僻み根性からしている事なのだから、どうぞ言いたいだけ言って、どんどん自分の大切な人生の時間を無駄にし、自分の心を汚せば良いと思う。



母など私とは比べ物にならない位に綺麗で、且つ優秀、行動力や向上心があり、子供の頃からひときわ目立つ人生を送っていたのだから、さぞかし敵や中傷も多かっただろう。

しかし、そんな事を気に掛ける母ではなかった。

見事なまでに常に堂々としていた。

母のネガティブな態度や言葉を、私は殆ど知らない。

内面にたとえ葛藤があったとしても、微塵も表に出さずに自己コントロールしている人だったから。






少しでも母に近づけるよう、私はもっと努力しよう。



あ〜、でも、あんまりプレッシャーにはしないよ。

元々の素材が違うんだから。

私なんか母と比べると、かなり怠け者なんだもの。

一体誰に似たんだろう?突然変異だろうか?







いつか妹から母のアルバムを借りて、画像を全てデジタル化しておこうと思う。

これ以上色あせてしまわないうちに。



ちなみに昨日の画像は、以前、古いスキャナーで取り込んであったものだ。

不鮮明なのは、元の写真が恐ろしく小さいのと、既にかなり色あせて(白黒写真だけど)しまっているせいだ。


まだ若くて綺麗な母親に比べて、ブタマンのような「白鵬」のような私。

今では見る影もなく痩せさらばえてしまったけれど、デコチンは子供の頃のままだ。




でも、写真なんか保存してみたところで、私と妹だってあと20年かそこらで死んでしまうのだ。

長生きしたとしても、あと30年くらいかな。

下手をすると、私なんかあと数年かも知れない。

私よりずっと健康で規則正しく生きて来た母ですら80にもならずに死んでしまった事を思うと、病気の私が長生き出来る可能性は極めて低いのではないか。



かと思えば、喘息が酷くて酸素ベッドに居た母方の祖母など、次のお正月は迎えられないかも知れないと何十年も言われ続けて100まで生きた。

母方の祖父は煙草も酒もやらず早寝早起き、毎朝自転車で遠くの公園まで行ってラジオ体操に参加しているような健康の見本みたいな人だったのに、70かそこらで死んでしまった。

同居していた父方の祖父は煙草も晩酌も欠かさない人だったけれど、特に病気らしい病気もせず90まで生きた。

そのつれあいである私の祖母は祖父より13も若かったのに、ある日倒れて半身不随になり、半年寝たきりで、自宅で母が一人で介護していたのだけれど、たった68で死んでしまった。



兎に角、一寸先は闇なのだ。

今回、改めてその事を思い知った。




震災で突然命を落とすことになってしまった多くの人々の無念さを思うと、眠ったまま一瞬で逝けたであろう母の最期はまだ恵まれていたのではないかと思う。

そう思いたい。




誰も自分の寿命は知らない。

長く患って、少しずつ死期に近付いている事が自覚出来るのと、何も予測出来ないまま突然死してしまうのと、どちらが良いかという事も解らない。

猫と比較しては不謹慎かも知れないけれど、突然逝ってしまったマルコやみーちゃんの場合と、長く闘病させ介護したアインやジーコ、カワムラさん、トム、タムの場合と、あれよあれよという間に逝ってしまったミュウの場合と、どれが一番辛いか、どれが比較的思い残す事が少ないかなども、結局のところ解らない。

どんな形であれ、愛するものを失う悲しみ・苦しみに変わりは無いのだ。




ただ私がどうしても心残りで気掛かりなのは、母はやっぱり父の死後、寂しかったのではないかという事だけだ。

かと言って、遠くで暮らす私に何が出来ただろう。

手の離せない介護中の猫もいる中、母に会いに出掛けて行く事すら出来なかった。

せいぜい毎日電話しては、とりとめのない話をする事と、たまに絵葉書を書いて送る程度の事しか出来なかったのだ。





ぐだぐだと言いたくないけれど、こうして失った者への悔いはいつまでも残るものなのだと思い知る。

だから、今、精一杯の事をしなければいけないのだ。

悔いが少しでも小さくて済むようにという思いだけでなく、相手が生きている間にこちらの愛する気持ちを少しでも多く伝え、僅かでも喜んで貰いたいから。

そう、生きている間に。
若き日のママ
(昭和30年頃)


Apr. 29, 2011
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