2011年 《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》 猫雑記
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ジャム

お祖母ちゃん
覚えてるかって?

Apr. 30, 2011
ジャム
ジャム

覚えてるよ〜

Apr. 30, 2011
ジャム
2011年4月30日 土曜日

あとどれ位時間が経ったら、この違和感は消えるのだろう。

悲しいとか寂しいとかの言葉ではとても言い表せない激しい違和感。



僅か4日前の夕方には、私と元気にお喋りしていた母。

その後、ヒレカツを揚げて妹と二人で夕食を摂った母。

そのほんの少し後、誰よりも快活な母があっさりと死んでしまうなんて、まだ信じられない。

死に顔も見たくせに、どうにもこの現実を受け入れられない。






母と暮らした訳でもないこの家の何を見ても、何をしても、母を想う。

それ位に、私の暮らし方には母が影響を及ぼしていた。



花切り鋏も包丁も、私が実家を出る際に母が買い揃えてくれたものだ。

30年以上経った今も、研ぎながら大切に使い続けている。



同じく母が持たせてくれたご飯茶碗と湯飲み茶碗は、先日の大地震で割れてしまったけれど、圧力鍋も様々な大きさ形のタッパーウェアも、ホーローの保存容器も、綺麗なバスタオルも、加賀友禅や結城の着物も、みんな当たり前のように母が持たせてくれた物ばかりだ。



洗濯物の干し方、野菜の刻み方、食器の洗い方、味付けの按配、雑巾の絞り方・・・みんな母がしていた通りに私はしている事に気づく。

母は私の中で確かに生き続けている。



母の送ってくれたケフィア菌で、ひき続きヨーグルトを作るのは辛い。

でも無駄にしてはいけないだろう。







父と母が死んで、私の価値は半分なくなってしまったような気がする。

あとの半分は、こうちゃんと妹が持っている。



子供を持つ人は、また少し事情が違うかも知れない。

身内が親きょうだいだけじゃないという事の意義・・・子供という存在にはまた格別の価値があるに違いないと、子供を持たなかった私でもそう思う。

子供の為には、それが幾つの子供であろうと、親は生き続ける値打ちがある。

自分が生きる意味は、子供によって増すのだ。





母は私と妹の為にも、まだまだ生き続ける意義と価値があった。

なのにどうして?





勿論、わが子同然の猫たちの為に、私も生き続ける必要もあれば生きる意味もある。

父の葬儀にも母の葬儀にも欠席した程に猫たちとの生活を優先しているのだから、これはある種の覚悟というか、優先順位を猫たちに高くおいた事になる。



それ位、猫たちへの責任と愛情は大きい。



実際、ペットシッターに頼めるような頭数ではないし、要介護の猫のケアに関しては私たちでないとダメな事もあるから、家はそうそう空けられない。

今回も苦渋の選択ではあったが、母の通夜や葬儀への参列は諦めた。

そうするしかないのだ、私達には。





でも、だからと言って父や母が猫に劣るという意味ではない。

むしろ、そんな事を通しても甘えられる身内だからこそ、今回だって出来る真似だった。



親戚縁者が私のこうした行動をどう感じているかは知らない。

その人たちには甘えられないし、その人たちからの評価は優先順位がうんと低い。



物凄い数の猫たちの世話だけではなく、具合の良くない私が一連の儀式に同席する事で妹の負担を少しでも減らしてやれるどころか、むしろ妹に心配や気配りをさせて負担を増やしてしまう事がよく解ったから、妹には甘え、今回も欠席する事にした。

妹は「身内」だから。

妹には申し訳ないが、そしてここに留まっていても居たたまれないのだが、甘えさせて貰う事にした。







しかし「身内」とは良く言ったものだ。

なるほど「身体」の一部なんだな。

親の死というのは、こちらが初老を迎えるような歳になっても、こんなにも堪えるものなのか。



この10数年なんか殆ど会わずに生きて来られたくせに、それは親が無事で生きていてくれたお陰だ。

物理的にはとっくに親離れしていても、親の存在はいつまで経っても心の栄養なんだな・・・と気付く。




今朝、庭に出て「メキシコ赤豆」(デタラメの名前ですが)の葉で黄色く枯れつつあるものを摘んでいたら、そういう黄色くなった葉の下には必ず新しく新芽が出て来ている事に気付いた。

新しい命を送り出して役割を終えた葉が、黄色く枯れて散って行くのだろう。





私は何も送り出していない。

そういう生き方を自ら選んだのだから悔いてはいないつもりだけれど、報いとして私はただ枯れて落ちて行くだけなんだな・・・と改めて気付いた。

私自身が両親からこの世に生を貰い、手間も時間もお金も掛けて育てて貰い、その結果ここまで来られたというのに、私はそういう尊い命の連続を途絶えさせてしまうのだ。



あまのじゃくにも自分勝手な生き方を通して来たけれど、人が昔から当たり前のように営んで来た事というのは意味がある事なんだなあ・・・と手遅れになってから気づく。

でも、これは自分の選択の結果。

潔く最後までやり通すしかない。



せめて少しでも人様のお役に立てるようであったり、野良猫でも助けない事には、お天道様にも両親にも顔向けが出来ないな。




もの心ついてからというもの、父の膝に抱かれたり、父に甘えたりした記憶が無い。

私が子供のくせに異常に大人びていて、兎に角、親に甘えるなんて恥かしかった。ひねくれていたとも言えるかも知れない。



父もまた、私に対しては妹にしたようには子煩悩な態度はとらなかった。父にもまた、もの心ついてからの娘に対しては、照れがあったのだろうと思う。

そして私が物事を理解するようになってからは、まるで息子を育てるように、自分と同じ人生の哲学・美学を教えた。




だけどこんな写真が出て来ると、ああ、父も初めての我が子の誕生を喜んでくれていたんだろうな・・・と感じる。

昭和32年の秋頃だろうか。

生後4〜5ヶ月ほどのあまり可愛くない私とパパとママ。



父のこんなにも嬉しそうな表情を、私は見た事が無い。





もう一度生まれ変わったら、もう一度父と母の娘に生まれたい。




庭の手入れをしたついでに、咲いていた花を少し摘んで来た。

いつだったか電話でお喋りしていた時、父の遺影に花を供える為に花屋に行くのだと言うと、母は「庭の花を切って供えれば良いんだよ」と言っていた。

「昔はみんなそうしていたんだから」と。



その時は、うちの庭の花なんか花瓶に挿せるようなものは無いのよ・・・と言っていたのだが、今朝、母の言葉を思い出して、切り花に出来そうなものを切って来た。

やっぱり野の花みたいに小さなものしか無いのだけれど、母に供えたいと思う。



あ、父にもね。



でも父は花なんか喜ばないと思う。

父にはお菓子でも供えるよ。
ママに供える庭の花

Apr. 30, 2011
ママに供える庭の花

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