100均の猫
May. 16, 2011 |
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2011年5月16日 月曜日
今日は生きた猫の写真は無し。
トップの画像は、庭のテーブルに置いてあるローソク立てに座った、100円ショップで買った猫のオブジェだ。
本当は庭のフェンスに座らせて接着剤で固定していたのだれけれど、フェンスの釣り鉢を何個も移動させたり植え替えさせたりしている時に、ポロッと取れてしまった。
いいよ、そこに置いておいてよ、また後で接着しておくから・・・と言って放置していたら、知らない間にこうちゃんがここに座らせておいたらしい。
意外に合っているので、もうこのままここに座っていて戴こう。
ルスの手術は、昨日のうちに無事に終わった。
但し、暫くは食べられないようなので、静脈に点滴を入れている。
とても今日なんか退院出来ない。
面会に行くと、ルスは入院室のケージの奥で「伏せ」の状態でじっと固まって居た。
痛みに耐えているようだった。
麻酔が抜けきっていないようにも感じた。
ジャムの手術の時を思い出す。
こんな思いをさせて、可哀想で堪らない。
何度も何度もルスの名前を呼ぶ。
パパとママだよ、もう直ぐおうちに帰れるから頑張るんだよ・・・と繰り返す。
一度、痛む口を開きかけて返事をしようとしたのが解った。
声は出なかったけれど、そして顔はこちらを向く事はなかったけれど、私達に反応したのは間違いない。
先生は、早くて木曜日、或いは金曜日に一度退院して家で様子を見ましょうか・・・と仰る。
本当はこのまま連れ帰りたい。
キャリーも持参したのだけれど、今日は無駄になった。
下のケージには犬が入院していて、私達の姿があると尻尾をケージの壁にバンバン打ちつけて喜び、構って欲しくて吠える。
それがきっとルスにはストレスに違いないと思う。
犬には罪は無いし、そういうところが犬って可愛いんだけど、ルスは怯えているだろう。
点滴したまま帰宅出来ないかなあ・・・明日、それを相談してみたい。
後ろ髪引かれながらも帰宅する。
外は風が強く、雨になりそうな気配がした。
さて、昼間のうちに撮っておいた庭の写真。
初夏の庭が整った。
しかも園芸店で、1トレイに20鉢も入ったセットの苗が1200円〜1500円程で買えたから、覚悟していたよりも遥かに安上がりに植え替えが出来てしまった。
赤と白の花は、遠目には「アザミ」のようだが「撫子」だ。
薄紫や赤と白のツートーンの小さな花は、大好きな「セージ」の一種。
「何セージ」であるかは、例によって買って直ぐに忘れた。 |
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初夏の庭
May. 16, 2011 |
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メインは、夏らしいビビッドな色の「マリーゴールド」にした。
「マリーゴールド」は黄色やオレンジの色が鮮やかなだけじゃない、花そのものが凄く強そうだから余り気を遣わなくても良さそうだし、何しろ1ポットあたり60円程度なんだもの、もし失敗してもダメージが少なくて済むじゃん。
そして同じくセットで安かった赤と白の「撫子」。
こちらも1ポットあたり80円位のセットだったので、たっぷり植えられた。
「撫子」の良いところは、野趣があるところと、茎が丈夫で雨や水やりに強いところかな。
「ロベリア」のように茎が繊細な花は涼しげで綺麗だけど、水やりひとつにも気を使うから、がさつでモノグサな私には向かないのだ。 |
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ゴチャゴチャだけど
May. 16, 2011 |
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そしてカメラを引いたのが下の写真。
向かって左上部分は「エゴノキ」の枝の茂み、そして左下部分の葉の茂みは、例の「メキシコ赤豆」と呼んでいるセージの一種だ。
これにも赤い花がポツポツと咲き始めている。
右上部分の葉の茂みは、公園の木の葉だ。
枝が庭まで入り込んでいて、すっかり日陰を作っている。それはそれで、季節の風情なのだけれど。 |
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遠目にはOK
May. 16, 2011 |
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冬には落葉した状態で、枯れ木のようだった「エゴノキ」。
新芽が出て、見る見る育った若葉がとても美しいと母へのハガキに書いたのはついこの間の事。
その「エゴノキ」に待望の花が咲いた。 |
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エゴノキの花
May. 16, 2011 |
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白くて可憐な花は、桜のように固い枝から細い緑色の花柄を伸ばし、スズランのように下向きに咲く。
直径2.5センチほどの小さな花は、散る時には桜のように花弁を1枚ずつヒラヒラと散らすのではなく、椿のようにひとつの花が丸ごと萎びて落ちる。
そしてその後で、ガクと花柄が一緒に落ちるのだろう。
桜と違って花の数が少ないので、花殻を拾い集めても、その手間はたかが知れている。
その「エゴノキ」の根元には、冬に植えた別の種類の撫子が、周りを囲む「メキシコ赤豆」の葉の藪に隠れるようにして、赤い小さな花を咲かせている。 |
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藪の中の撫子
May. 16, 2011 |
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そしてこちらは、植えてからもからもなかなか成長しないで気を揉ませているモミの木。
あの大雪の晩、あっという間に枝に積もって枝を全て下向きにしてしまう水気を含んだ重たい雪を、こうちゃんと二人でせっせと払ってやり、枝が折れないように祈ったモミの木だ。
隣家の洗濯物なんか見ないで済むように大木に育って枝を茂らせて欲しいと思って植えた木だったのに、ちっとも伸びる気配がなかった。
春に枝を伸ばさないで一体いつ大きくなるんだろう?と不思議に思っていたのだけれど、私達が気付かなかっただけで、ちゃんと新しい命の息吹はあったのだ。
隣家のベランダの洗濯物を撮らないで済むような角度から撮る為に無理をしたら、左手前にぶどう棚の支柱が写りこんでしまっている事に気付かなかった。
大失敗。
カメラって難しい。 |
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モミの木の全貌
May. 16, 2011 |
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最初、枝先に小指の爪ほど小さくて固い、マツボックリのような茶色いものが出来始めた。
実のようにも見えるけど、花も咲かずに実が生るものなんだろうか?とも思った。兎に角、何もかもが初めての経験で、色んな事が解らないのだ。
やがてその茶色くて固いマツボックリもどきは、中から緑のマツボックリもどきを出して来た。 |
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モミの枝先
May. 16, 2011 |
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緑のマツボックリもどきは次第に膨らみを増し、それは葉の束であるらしき事が解って来た。
そうか、こうやって少しずつ枝を伸ばして行くんだな。 |
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新芽がモコモコ
May. 16, 2011 |
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全部の枝に新芽
May. 16, 2011 |
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まだマツボックリ
状態のものも・・・
May. 16, 2011 |
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そしてこれがモミの木の、トップ・オブ・ザ・ワールド。
やがてこれが新しい枝となり、新たな茂りを見せてくれるのはいつになるのだろう? |
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トップ・オブ・ザ・モミの木
May. 16, 2011 |
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夕方、仕事を終えて煙草に火をつけると、いつものように母に電話をしたくなる。
そして、母はもう居ないのだと気付く。
母が死んで1ヶ月も経たないのだから、母の声を電話で聞かない夕方が来る事に馴染めなくても、それは当然かも知れない。
日に何度となく線香を上げる。
父に1本、母に1本、猫たちの為に1本・・・合計3本に火をつける。
遺影の母は顔中で笑っている。
子供の頃には随分と厳しく叱られて「鬼婆」なんて思ったりもしたのに、思い出すのは母の穏やかな笑顔ばかりだ。
母の死後、伽羅蕗を作った。
母が作って送ってくれたのと同じ味に作る。卵かけご飯には、この伽羅蕗が最高なのだ。
母の縫ってくれた雑巾で、毎日欠かさず雑巾掛けをしている。
悲しくなると、無心に雑巾掛けをする。
必ずアンちゃんとジャムが邪魔をしてくれて、二人を叱りながら楽しく掃除が出来る。
母は私が生きている限り、私の中で生きている。
それは確かなのだけれど、やっぱり生きている母の声が聞きたい。 |
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