テト
最近ボクは
悩んでるの
Jul. 2, 2011 |
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2011年7月2日 土曜日
蒸し暑くて空気が重たい。
せめて早朝だけでもエアコンが切れるかと思って試してみたけれど、気温は高くないのに湿度が高くて、肌がじっとりと冷たく湿る。
息苦しいような湿度の高さだ。
アンちゃんのように心臓の悪い子には多湿は良くないみたいだし、ゴマにも負担が掛かるといけないので、やっぱり直ぐにエアコンのスイッチを入れ直す。
それが夜明け直前の3時半頃。
最近、起床時間がどんどん早くなってしまって、3時を待ちかねて鎮痛剤を飲む位だ。
12時と6時という具合に、日に4回飲んでいた鎮痛剤なのに、少しずつ時間がズレてしまい、大分前から3時と9時になっていた。
その頃の起床時間は4時半位だった。
午前9時、午後3時、午後9時は良いとしても、午前3時の服用は辛かった。
寝るのが遅いから、3時と言えば寝たばかりだった。
今ではもう少し早く寝るようにしているから、楽しみにしていたウインブルドンも見ていない。
フェデラーも負けてしまったし、何しろ眠いし。
早く寝ると2時間半も眠れば充分なのか、ぱっちりと目が覚める。
そして2時半頃起床して薬を飲み、4時には朝食にする。
お陰で午前中が長くて、色んな事がはかどる。
だけどお腹はお昼までもたず、10時には昼食にしてしまう。
この調子で食べていると、また1日5食に戻ってしまう。
ヤバヤバ。
いずれにしても、日に4回の投薬というのは辛いものがある。
だけど医者に言われて4回になった訳じゃなく、日に3回では効き目が続かないから、こちらから懇願して4回にして貰った訳で、泣き事は言えない。
少しずつ時間がずれてしまった当初、午前3時には夢の中だった。
こうちゃんは起きている当番だから親切にも、そして優しく起こしてくれる。
「カズエちゃん、薬の時間だよ」
「・・・」
「薬、自分で飲める?」
このあたりから、こうちゃんの甘やかしがグレードアップして来る。
私は声が出ないで、「飲めない」という意志表示の為に首を振るのが精いっぱいだ。
するとこうちゃんは私の薬箱から2種類の薬を取り出して、水を入れたペットボトルにストローを突っ込んで持って来てくれる。
私は目を閉じたまま、いかにも面倒臭そうに顔をしかめて飲むらしい。
半分以上、眠っているのだ。
こうちゃんは、他にも色々と気遣ってくれる。
「窓閉めてあるけど、暑いか?窓を開けるか?」
「・・・・・」私はまだ返事が出来ないでしかめっ面をするのだという。
「窓を開けようか?」
私はまだ目を固く閉じて、相変わらずしかめっ面をしたまま、やっとの事で頷くらしい。
そして目を開けず、眉間に皺を寄せてようやく声を出す。
「まどを・・・あけ・・・れば・・・」
「うん?窓を開ければ?」こうちゃんは優しく聞き返す。
「・・・みなとがみえる」
「え?港が見えるの?」
「メリケン波止場の・・・」
ふた昔前のコントのように、ここでこうちゃんはズッコケる。
以上は全て私の記憶ではない。
後でこうちゃんが朝食の時に、事細かに教えてくれたのだ。
「カズエちゃん、覚えてる?薬飲んだ時、面白かったんだよ」と。
半分寝言なんだから、覚えているはずがないじゃん。
それに薬は飲めたとしても、熟睡している人間に色々質問なんかするから、頭の回路が変なところに繋がって変チクリンな返答をしちゃうのだ。
子供の頃、毎晩お祖母ちゃんの布団で一緒に寝ていた時期がある。
妹が生まれてからの事だろうな。
お祖母ちゃんは話が上手で、私を寝かしつけるのに色んな昔話をしてくれた。
昔話といっても、おとぎ話の類ばかりではない。
お祖母ちゃんが子供の頃、娘時代の頃の明治・大正時代の昔の話を色々と聞かせてくれる。
その内容も語り口も面白くて、私は毎晩楽しみにしていた。
お祖母ちゃんは、子守唄も歌ってくれた。
それは「黒田節」だったり「さのさ」だったり、オリジナルの歌詞の子守唄だったり・・・兎に角、普通とは少し違う子守唄だったようだ。
だから私が一番初めに覚えて歌ったのも「黒田節」らしい。
それも、お祖母ちゃんの背中に負ぶわれて乗っていた電車の中で。
まだ1歳半の私が赤ん坊に毛が生えたような顔をして「黒田節」を歌い始めたものだから、電車に乗り合わせた乗客はみんなビックリしたらしい。
「その子は赤ちゃんじゃないんですか?」と。
今だから平気で話せるけれど、娘時代にはこの話を聞されるのがとても嫌だった。何だか屈辱的な気分までしたものだ。
せめて、もっとお洒落な歌を教え込んでおいて欲しかった。「ブラームスの子守唄」とか・・・。
因みにこの話には続きがあって、「黒田節」を歌い終わると、「さのさ」も歌い始めたのだという。
サイテー!
お祖母ちゃんはそこまでだが、当時同居していた未婚の叔父など、友達の家に行くのに幼児の私を連れて行き、みんなの前で歌わせたのだと言う。
「サンフランシスコのチャイナタウン」とか、「哀愁波止場」とか・・・裏声が必要になるような歌を。
そしてみんなで大受けしてゲラゲラ笑っていたのだろう。
私は2〜3歳の幼児だから、大人に受ければ嬉しくて、調子づいてまた色々と芸を披露していたらしい。
サイテー!
話を元に戻さなくちゃ。
兎に角、お祖母ちゃんは私を寝かしつけるのに色んな話を聞かせてくれたのだった。
だけど私は幼児の頃から宵っ張りで、なかなか寝ない。
話しているお祖母ちゃんの方が先に眠ってしまう事も多かった。
「おばあちゃん、寝てたでしょ?」
「・・・起きてるよ」
「じゃあ、今私がなんて言ったか言ってみて」
「&%$#*?*&%」
眠っている人に話しかけるとトンチンカンで面白い事を答えるので、それがますます面白くて、私はつこくお祖母ちゃんに質問し続けた。
因果は廻る。
まさか私が他人に寝姿を見られ、しかもそんな時に質問されてトンチンカンな返答をするようになろうとは、思いもよらなかった。
ま、こうちゃんは他人ではないとも言えるが、自分ではない事は確かだ。
私は他人に寝顔を見られるのが厭で、どの夫にも見られないようにしていたのに、今では見られ放題。
折角こうちゃんが優しく掛けてくれた毛布を怒りながら蹴飛ばして剥いだり、足が冷たいからと穿いて寝ていた靴下を、眠りながら左右ちゃんとまとめてから遠くに放り投げたりしているらしい。
「カズエちゃんは寝ていると面白いね」と、こうちゃんは言う。
るせー、暑いから毛布剥いで寝ていたのに、わざわざ掛けたりして、嫌がらせしてんのか、テメー。
「窓を開ければ?」
「港が見える」
どうして眠っていてそういう事になってしまうんだろう・・・と覚醒していると不思議に思う。
さんざんからかったから、お祖母ちゃんの呪いかな。
でも、覚醒していても「窓を開ければ」とくれば「港が見える」に決まってるよな。
うん。
人事不省ではあったものの、正しいやりとりであったのだ。
えっへん。
それにしても私も浮腫みが酷くて、足の裏まで浮腫んでいる。
歩くのに痛みと違和感がある。
またマッサージに行けると良いなあ・・・
母が毎日電話で「今日はマッサージに行けるん?」と心配してくれていた。
「出来るだけ行くといいよ」と。
母に最期まで心配ばかり掛けていた私。
しっかりしなきゃ。
マッサージにも行くようにするよ、ママ。
心配しないで。 |
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