2011年 《CAT'S EYES & CAT'S HANDS》 猫雑記
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テト

ゴージャスな僕を

Jul. 15, 2011
テト
2011年7月15日 金曜日


未明にゴマ、砂のトイレで大量にウンコ。

目を疑う程の1本グソ・・・良く見ると、幾つものウンコが圧縮されて繋がった1本グソだ。

余程写真に撮っておこうかと思った位だが、スコップですくったら割れてしまった。





本人もウンコが出てスッキリしたのか、鳴いてホタテをねだる。

よしよし、お腹が空いたね。

でもホタテの次はキャットフードだよ。








相変わらず、ゴマには日に10数回、少量ずつ強制的に食べさせている。

お腹が空っぽになってしまってから食べたのでは、胃酸が強くなり過ぎて気持ち悪くなる。

そして嘔吐し、また食べるのが辛くなる。



だから眠っていても時々は起こして、少量でも食べさせる。

私達が眠くても、それは同じだ。



因みに今のゴマは、ホタテの刺身のミンチだろうがシーバだろうが、手の平からでないと食べない。

だから睡魔や薬のせいでフラフラしていても、食べ終わるまで付き合う。

そして吐かない事を確認してからでないと、こちらも眠りに就けない。






食べなければウンチも出ない。

出なければ毒素も溜まり、また食べなくなる事に拍車が掛かる。

食べる事がどれだけ大事か、それをどの子のの場合にも思い知って来たこの年月だ。



食べる事は生きる事・・・しかしそれだけじゃない、食べ方・食べさせ方にも、その子の寿命を左右させてしまう程の影響がある。

食べる事、そして身体に負担を掛けないようにする為にもどう食べるかを試行錯誤して会得する重要さを痛感している。



食べる事は、猫にも犬にもそして当然ながら人間にも、とても大きな課題なのだ。

ゆめゆめ疎かにしてはいけない。

疎かにする人は、必ず報いを受ける・・・と不吉な予言をしておこう。




私にとって食べる事は生きる喜びであると共に、生きた足跡を如実に物語ってもいる。

食べ物が過去の想い出にも深く関わっているし、食べる物や食べ方で「人となり」を厭でも曝け出させてしまう。

それ程に食べるという事は、私の人生そのものを具現化している。



大袈裟なんかじゃない。

これは恐ろしいまでに真実なのだ。



今となっては殆ど心に小波すら立てる事の無い過去の記憶から、その事を立証(いや、類型化とでも言うべきか?)してみたい。

と言うのも、ここ1週間ほど色々と立てこんでしまって日記が書けず、かと言って映画の話題を書く程には時間とエネルギーが取れないスケジュールなものだから、気軽な穴埋めに丁度良いからだ。





何故そうまでして毎日書く事にこだわるのか?

余程の事情が無い限り、自分で決めた事はちゃんと実行する方が気持ちいいじゃん。

そうして積み重ねる事でしか、私は再生出来ないのだと解っているから。



母が死んだ時には、流石に2日も休んでしまったけれど。

死ぬ直前の日の事・・・その生きていた生々しい想い出に溢れている日の事は、後から振り返るのもちょっと辛くて、遡っては掛けなかった。






ともあれ、苦し紛れの穴埋めに、食べる事にまつわる想い出を書いておこうっと。




今の伴侶に落ち着くまでに、2度の離婚を経験した。

つまり(つまらなくても)、こうちゃんの前に2人の夫を持った事になる。



その時その時は、別れるつもりで結婚なんかしていない。

真面目に一生連れ添うつもりだったのだ。

でも、続かなかった。



どちらの離婚も私が切り出したものではない。

形だけ見れば、私が捨てられたのだ。



ま、そんな事はどうでもいいや。

その失敗のお陰で今の幸せがあるのだから、結果オーライである。






一人目の夫は同郷人だったので、そんなにかけ離れたものは食べていなかったと思う。

そもそも生まれ育った地域によって、それ程に味付けや食べ方が違うものだと思った事も無かった。



勿論、同じ故郷を持っていても、各家庭で好みの味付けや、それぞれの家で受け継がれて来たレシピは違う。

料理の上手い下手の違いだってあるだろう。



たとえば母の作る雑煮と、一人目の夫の家の雑煮では違っていて驚いた。

我が家では餅は焼いてすまし汁を張るだけだが、最初の夫の家では餅を焼いてから、澄まし汁の鍋の中で少し煮るのだった。



餅を喉に詰まらせて死ぬ老人が毎年必ずいる。

どうすれば餅なんか喉に詰まるのか不思議で仕方なかったのだが、焼いた餅を煮込んだものを食べた時、ああ、これでは喉に詰まるわ・・・と理解した。

つまり柔らかくて、ねっとりのびて噛み千切れない。

どちらかと言うと、飲み込む感じだ。

若くて鯨飲馬食、カレーライスは飲み物だという事を身体で理解している私ですら、柔らかく煮込んだ餅は喉に詰まりそうだった。



彼の実家で正月を過ごしたのは1回こっきりだったので、その後は煮込んだ餅を食べていない。

だけど私のような早食いのせっかちがあのまま毎年彼の家で正月を過ごし続けていたら、いずれは餅を喉に詰まらせて死んでいたかも知れない。

この点に於いてだけでも、早めに終わって良かったのだ、あの結婚生活は・・・なんちゃって、それは今思いついたデタラメだけど。






ともあれ、一度目の結婚では、その次に全く違う出身地の人と一緒になった時程には、食べるものでのカルチャーショックは無かった。

私の料理を気に入ってくれていて、何でも美味しい美味しいと食べてくれた。

カレーなんか作ると「僕、毎日カレーでもいい」と言うし、辛い焼き肉なんか大量に作ってドーンと食卓の真ん中に置き、白い炊きたてご飯を二人でモリモリ食べた。

食べ物の好みはかなりフィットしていたのだ。



但し、私は彼の好きだった赤い麩菓子は嫌いだったな。

ぼそぼそ、もさもさした触感の食べ物を私は好きではないのだ。



大袋に入った大きな麩菓子を食後だというのにモリモリ食べ、難しそうな物理の本を読みながら大酒を飲むのが好きな人だった。

酒は一升瓶を傍らに置いて、一晩で全部飲んでしまった。

そんなに飲むから、最初に作ってあげた肴が無くなると、「後はこれでいいよ」と言って嬉しそうに麩菓子を肴に飲むのだ。

麩菓子は自分で買い込んで来ていた。どこで買うのか、私は知らなかった。





お正月には時間がたっぷりあるから、どこへも出掛けずに毎日二人で軽々と二升ずつ飲んだ。

これでは食費が嵩んで仕方ないという事で、もっと強い酒を飲む事にして国産の安いジンに変えた。

サントリーのドライジンの空き瓶を、週に一度買出しのついでに4〜5本酒屋に持って行くのだが、ちょっと恥ずかしかった。





今も元気に生きているんだろうか、あんな大酒飲みだったけど。






結婚生活は1年ちょっとしか続かなかったので、当時どんなもの食べていたのか、正直言ってあまり記憶がない。

もう30年近くも前の事だものな。

でも若くて体力があったから、色んなものを作っていたはずだ。

糠漬けも毎日していたし、保存食作りにも余念がなかった。



そう言えば、あの頃に漬けた梅酒がまだある。

飲まないうちに、きっと死んでしまうだろう。

誰が捨てる事になるんだろう。



何だか無駄な事ばかりしている人生のように思えて来た。




だけどもっと無駄は、次の結婚だったのかも知れない。

長くなるので、明日に続ける。
テト

地味に撮らないで

Jul. 15, 2011
テト


今年もまた、夏の定番、胡瓜と茄子の塩揉みを作り始める。

今日は青唐辛子が無かったのだけれど、茗荷と生姜、青紫蘇の千切りをたっぷり加えた。



おいちい。

これさえあれば、ご飯と納豆だけで充分だ。

でも納豆には、葱とカツブシをたっぷり入れないとヤダな。
茄子と胡瓜の
塩もみ

Jul. 15, 2011
茄子と胡瓜の塩もみ

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